1975年に、本当の北部に位置する本部町にて、「沖縄国際海洋博覧会」が行われました。
この博覧会の最大の目玉はなんといっても、菊竹清則デザインによる海上都市「アクロポリス」でしょう。
(写真はネットから拝借)
もちろん私も小さい時に行きましたが、内部がどのようなものだったか覚えていません。
半潜水型浮遊式という構造から、当時世界中から注目を浴びていたようです。
しかし、1993年に閉鎖。2000年に中国に売却され、残念ながら鉄のスクラップとなってしまいました。
そしてもう1つ、槇文彦設計の「沖縄国際海洋博・海洋生物館」、通称海洋博水族館がありました。
(こちらもネットより写真を拝借)
半円形をくりぬいたプレキャストコンクリートによる、ユニットの集合体の建築ですが、槇文彦の中で、もっともメタボリズムのイメージに近いものでしょう。
伊東豊雄設計の「多摩美術大学図書館」を見たとき、この水族館を思い出しました。
最近の伊東豊雄氏の建築は、メタボリズム的アプローチを取っているような印象を受けます。
残念ながら、この水族館も老朽化などの理由により、2002年ごろに解体され、その近くに国建の設計による、新しいあの有名な「美ら海水族館」が作られます。
上記の2人の建築家、菊竹清則と槇文彦は、メタボリズムグループのメンバーです。
さてここから本題です。
以前から、沖縄に帰省した際、街中の昔のコンクリート建築を見ていると、柱張りを強調したものが多く、
なぜだろうと不思議に思っていました。
那覇空港についてからは、タクシーで那覇バスターミナルに向かい、そこから名護まで海沿いを走るバスで帰っていました。
その際、よくバスターミナルを見ていたのですが、意匠デザイン上、 1960年代の日本の建築デザインを髣髴させました。
かなり後からですが、沖縄を代表する建築家、國場幸房率いる国建設計(現 株式会社国建)によるものと知りました。
(ただし、会社のホームページには記載されていない)
彼(もしくはこの事務所)が手がけた作品において、実にこの柱梁を強調したデザインが良く見られるのです。
代表作、ムーンビーチ(1975)や、那覇市民体育館や、最近では那覇第2地方合同庁舎など
特に庇部分においてデザイン上大きな特徴があります。
那覇合同庁舎
美ら海水族館
この理由が、去年やっと分かりました。
国建のホームページを見ると、國場幸房氏が寄稿した文章が掲載されており、経歴の中で大高建築事務所に入社していたことが分かりました。
大高正人といえば、故前川國男の弟子で、あのメタボリズムグループの主要メンバーの一人です。
これを知って、どうりでこのようなデザインが出てくるわけだとやっと理解できました。
しかし近年、国建は、沖縄の瓦屋根を大胆かつ重厚に表現してきます。
以前紹介した、
しかしこのデザインアプローチ、大高氏に非常に似ていることに気がつきました。
彼もまた、陸屋根による、モダニズムデザインから脱却し、大屋根を用いた地域性を重視したデザインに変わっていきました。
國場幸房の場合、このアプローチを取りながら、沖縄におけるローカリズムを追求しているように思えます。
槇文彦の後をついで、新しい水族館を設計したのが、國場幸房の国建であったのは、歴史がなせる偶然ではなかったように私は感じます。
それともう1つ、以前にも書いた沖縄のコンクリート住宅において、増築を考慮した、角出し住宅があります。
こちら平屋ですが、2階建てだと、バルコニーがあり、その屋根の下を増築する場合があります。
近年、核家族化に伴い、そのような住宅は少なくなっていますが、同じように、柱梁を強調したデザインがほとんどです。
この増築を考慮した住宅も、一つのメタボリズムと言っても差し支え得ないでしょう。
ただ、いつからこのような増築手法がとられてきたのか、個人的にまだ分かっていません。
戦後の沖縄の建築を分析するに当たり、このような視点から研究してみるのも、面白いのではないかと思います。
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