1979年、名護市の新しい市庁舎のための設計競技が行われました。

300を超える応募総数だったようで、沖縄の現代建築のみならず、当時の日本建築界において画期的な出来事であったようです。

当時、モダニズムからポストモダンへと移行していくなか、アメリカの建築批評家ケネス・フランプトンによるクリティカル・リージョナリズム(批判的地域主義)

が1981年に提唱されますが、まさしく地域と風土性とは何かと言うものが問われてきた時代でした。

主催者の名護市は、設計競技において、「沖縄における建築とはどのようなものであるか」、「その市庁舎とはどのようなものか」を問い、

非常に重要な設計競技の趣旨を述べています。以下長文ですが

名護市庁舎設計競技の趣旨

1.目的と意義

本協議の目的は、次のとおりである。すなわち、沖縄の地域特性を体現し、かつ要求される諸機能を果たすことが出来るとともに、市のシンボルとして良く市民に愛される市庁舎を建設するための基礎となる案、および敷地全体計画のすぐれた構想案を求めることにある。

また、本協議を公開にすることの意義は、「沖縄における建築とは何か」、「市庁舎はどうあるべきか」という問いかけに対して、それを形として表現し、実体化しうる建築家とその案を広く求めることにある。従って、すでに十分な実績を残している建築家はもとより、これから頭角を現すであろう気鋭の建築家で、地域の建築について志を同じくする方々の積極的な提案を期待するものである。

2.沖縄の地域特性と市庁舎建築

沖縄は亜熱帯に属し、多くの島々と周辺海域によって成り立ち、日本でも特異な自然環境に置かれている地域である。

古来、人々はこの自然に生き、人と自然、人と人との長い関わりの中から独特の風土が形成され、地域の個性的な感性と建築様式が生まれてきた。

しかし、現在の沖縄の建築は、このような歴史過程の結果として存在しているだろうか。建築の型、合理性、美しさは受け継がれているだろうか。

ことは建築のみに尽きるのではない。

機械技術の革新を背景とした近年の産業主義は、速やかな伝達手段を媒介として、著しい社会変容をもたらし、風土はすでに収奪の対象となるかあるいは歴史遺産として保護されるべきものとなった。地域文化が破壊していくのも、理由のないことではない。

このような状況にあって、主催者が市庁舎を建設するにあたってまず求めることは、沖縄の特異な自然条件とその風土を再考し、その上に立って沖縄を表現しうる建築家の構想力である。

市庁舎の建築にあたって、風土が問題にされる背景には、地域が自らの文化を見すえ、それを中央文化との関係のなかで明確に位置づけてこなかったという問題があろう。

地域が中央に対決する視点を欠き、行政が国の末端機構としてのみ機能するような状況にあっては、地域はその自立と自治を喪失し、文化もまた中央との格差のみで価値判断がなされることになるだろう。

しかし、地域に生きる市民は、すでにこのようなあり方に訣別を告げるべきだと考えている。従って、主催者の期待している新しい市庁舎は、地域の人々が自ら確認し、かつ自らを主張していくための活動の拠点となり、地域の自立と自治を支える拠点としての庁舎である。

主催者は、今回の競技において、沖縄の風土を確実に把え返し、地域の自治を建築のなかに表現し、外にむかって「沖縄」を表明しうる建築をなしうる建築家とその案を求めるものである。」

ご存知の通り、1等は故大竹康市氏率いた象設計集団でした。

彼らは、それ以前にも、1975年に今帰仁公民館を設計しています。

 

267本の朱色に塗られた柱によって支えられた屋根の下に出来る、日陰の空間がとても印象深いですが、

うちの母親曰く、暗くて不気味だそうです。

大地からそのまま生えてきたような柱郡は、やしの木にも負けないほど力強く、

その柱を通じて、屋根の上にパーゴラを設けて、ブーゲンビリアが伸びていってます。

(以前は屋根の上まで生い茂っていましたが、何かしらの理由で、刈ったのだと思います)

写真はないですが、天井や犬走りに、住民の手によって貝殻がはめ込まれています。

地域性とは何か、そして公共建築とは誰のためのものか、と言う理念を体現した建築です。

彼らの理念を更に大きく飛躍して体現したのが、1981年に完成した名護市庁舎でした。

(撮影した日が違うのはご了承ください)

沖縄の昔の集落を思わせる屋根の下で繰り広げられるアサギテラスは、住民に開かれどこからでも入れます。

 

屋上緑化もされ、写真はないですが、2階のテラスには水が溜まり、そこには小さな生物も棲んでいました。

昼休みには職員が、この日陰のテラスで将棋を楽しんでいました。

象設計集団のコンセプトに「外皮」と言うものがあります。

彼らはここにおいて、戦後の代表的な材料である「花ブロック」を大胆に表現し、まさしく「呼吸する建築」を体現しました。

花ブロックを通して、中に風を通し、その開口部から、内側の空間が滲み出し、更に開放性を高めています。

このコンペの重要なテーマの1つに、冷房に頼らない空調システムの採用でした。

彼らはここで「風の道」と言う大きなダクトを提案し、通風を確保しようとしましたが、

これは実際失敗に終わり、大きな批判を食らいます。

(実際名護市庁舎の話を沖縄の人とすると、冷房がなくて扇風機を使ってダメだという話ばかりです。数年前、市民からの強い要望で冷房が導入されました)

しかし1階窓口は、階高も高く、とても開放的な空間で居心地がとてもよいです。しかも1箇所でなくどこからも出入りが出来ます。

1階入口には、英語で「CITY HALL」と書かれています。「CITY OFFICE」ではなく。

まさしく市民のための庁舎がさりげなく表現されています。

 

しかし冷静になってよく見ると、外観はある種の狂気を秘めていると言っても良いのではないでしょうか。

コルビジェ-吉阪隆正-象設計集団、と継がれてきたモダニズムが、沖縄において、象の持つデザイン上の狂気性と、沖縄の風土が奇跡的に一致したような気がします。

 

しかしこれ以上に重要なのが、象設計集団が、沖縄とは何かをほぼ完璧に表現した点だと思います。

沖縄には「ガジュマル建築論」というものがあります。

ガジュマルとは沖縄に植生する南方の大木ですが、外見はとても異様で近寄りがたいが、その大きな枝は、太陽の強い日差しを遮り、濃い影を作り出す。

そこは風が通り、とても涼しくて心地よく快適で、これ以上の空間はない、と言ったものです。

名護市庁舎はこのガジュマル建築論をものの見事に体現したのではないでしょうか。

個人的に、沖縄の建築とは「アマハジ」に代表されるように、あの強烈な日差しから作られる濃い影、そのものではないかと思います。

市庁舎が出来た当時、私は小学校4年生でした。その時は、本土の設計者が、シーサーなどを用い、分かったような口で作ってんじゃねーよと、生意気にも思っていましたが、

大学にて建築を学び、実際に肌で感じながら、感動が増していくばかりです。

竣工から約30年が経ちますが、世界遺産に組み込まれてもいいのではないかと思います。

この建築を、誇りに思い、沖縄の文化とは何か、そこから生まれる建築とは何か、常にこの建築を通して、考えていかなくてはならないと思います。

正直に言うと、これ以上の建築は、沖縄において生まれてこないだろうとさえ思ってしまいます。

 

ちなみに名護市庁舎と国道58号線をはさんで、名護市民会館(二基建築設計室)がありますが、

 名護市庁舎を見学に来た建築関係者が、思わずオッとうなる建築です。

沖縄の風土にはなぜか、このようなコンクリートの建築が良く似合います。

やはり石造文化からくるものなのでしょうか。

その向こう側は、名護湾なのですが、運動公園やビーチを備えた「21世紀の森公園」があります。

そのランドスケープも象設計集団によるものです。

沖縄の石垣をモチーフに、緩やかな起伏を持った緑豊かな公園です。

今では、プロ野球チームの日ハムのキャンプ場としても有名です。

 

余談ですが、設計者の故大竹康市氏は、中高時代の私の同級生の叔父でした。

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