沖縄病とは、俗に、沖縄に旅行に訪れた人々が、その魅力に取り憑かれ、何度も足を運んでしまう事を指します。
(昨今は、日本社会の閉塞感からの逃避行に近いような気がします)、
移住者も年々増えていますが、実際は、9割近くが、3年以内に戻ることを余儀なくされています。
(経済的理由など、イメージのギャップが大きい)
多くの方が、青い海や空などの自然、沖縄料理、三味線に代表される音楽など、癒しへの希求に関するものばかりですが、
個人的にこればかりではないような気がします。
沖縄での休暇の最後の日、壺屋のやちむん通りに行ってきました。
那覇の公設市場の裏手すぐのところです。
焼窯とやちむん通りを見てみたかったのです。
300年ほど前から、この辺りで琉球王朝により陶器産業を確立させようと壺屋焼が始まりました。
しかしここはコンクリートジャングルの那覇、山原の名護と違い、とても暑かったです。
実は、この小さな森に囲まれた丘に佇む登り窯が見たかったのです。
斜面に沿って、まるで生き物のように今にも動きそうなこの躍動感あふれた登り窯。
周囲に身を晒すことなく、緑に囲まれひっそりと佇んでいます。
明治以降、有田焼などの安い陶器が手に入るようになり、壺屋焼きは危機を迎えますが、
民芸運動の第一人者であった柳宗悦、浜田庄司らが訪れ、郷土の陶工、後に県下初の人間国宝にもなった金城次郎氏や新垣栄三郎氏らを指導して技術を高めていき、
東京などで再び、脚光を浴びたようです。
被災を何とか逃れたようですが、市内への煙害が問題となり、読谷村が新たに窯元の誘致を行い、
現在、「読谷やちむんの里」として、陶器の町として栄えています。
この読谷にある登り窯、実に迫力があり、この目で実際に見て見たいです。
実は設計は、1980年、戦後の沖縄を代表する建築家、故・洲鎌朝夫氏によるものです。
赤瓦による、永遠に伸びていきそうなこの躍動感は、類を見ないほど素晴らしいです。
少し話がそれましたが、やちむん通りを歩いていると、ある建物の前で立ち止まりました。
壺屋の陶器会館だったわけですが、写真の左側の木に元に近寄り、小道に入って強い日差しから逃れようと涼みを取りました。
そのなんと心地よいこと。
その少しばかり異様なコンクリートに寄り添う木が織り成す日陰の空間に佇まいながら、
ふと、これが沖縄病の一番の要素ではないかと思いました。
実際近くの公設市場の裏手は、ある種の異様なコンクリート郡で、それらが織り成す日陰の空間は、
爽やかと言うよりも、何かしら異様な空気が漂っています。
なぜだか分かりませんが、そこに向ってぐいぐいと引き込まれていきます。
青い海でも青い空でもなく、ひなびたコンクリート郡によって作られる、ある種の洞窟とも闇とも言えるようなこの強い日陰こそが、
実は沖縄病の最大の要因ではないかと思います。
沖縄の住宅雑誌「沖縄スタイル」(現在は休刊)にて、ある本土の作家が、このコンクリート郡によって作られる影について書いていました。
沖縄を代表する有名な言葉の1つに「チャンプルー」があります。
沖縄料理に良くでてくる、ゴーヤーチャンプルーは、今では本土でもほとんど通じると思います。
意味はご存知、ごちゃ混ぜという意味ですが、沖縄の文化そのものが、中国、日本、東南アジア、そしてアメリカなどの文化を吸収してきた
チャンプルー文化そのものであり、その風土の元にまた沖縄の建築も発展してきました。
色んな要素が、無作為に存在しながらも、なぜこれほどまでに沖縄らしいのか、
それはやはり、その無作為性の造詣が織り成すことによって出来る影ではないかと思います。
それが、観光客を含む、沖縄を訪れるものを魅了してやまない、沖縄病なのではないかと感じました。
最近の沖縄の建築では、やはり現在の日本的スタイルが増えてきています。
沖縄県庁舎は、故・黒川紀章の設計ですが、やはりツルンとしたファサードであり、そこには深みも何もなく、
沖縄の建築家からは不評のようです。
しかし、ミニマリズム的なスタイルが、この沖縄において、更にふえていくでしょうが、
チャンプルー文化の一つとして受け入れられていくのか、それとも拒否されていくのか、興味があります。
しかしやはり、先ほど述べた陰なるものを、違う形で表現して欲しいと思います。
さて、この2ヶ月ほど沖縄の建築について書いてきました。
もっと書きたいことはあるのですが、それは来年の帰郷した際にまた書きたいと思います(予定は未定)。
(私もなんだかんだ言って、沖縄人)
(写真は備瀬集落のフクギ郡)
次回から、カザフスタンの建築に戻ります。
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