ソビエト同様、こちらにもハーフシリンダーの建築が存在します。
ソビエトだと代表的な建物がいくつか存在しますが、
(写真はwikipediaより Constructivist architecture http://en.wikipedia.org/wiki/Constructivist_architecture)
アレクセイ・シシューセフ 農業省 1933年 モスクワ
イワン・フォーミン MPSビルディング 1930年代 モスクワ
コルビジェが設計に関わった、モスクワのTsentrosoyuz Building(1935年)にも用いられています。
アルマティにおいては、以前紹介した、ギンスブルグの旧アルマータ行政庁舎(1927-1931)
その横にKAZPOSTという現在郵便局の建物があるのですが
これもギンスブルグによるものじゃないかと思っていたのですが、
今日ランチの帰りアルマティで一番大きな本屋に寄り、アルマティの昔の建築に関する本を見つけたので買ってきたところ、
それにギンスブルグによるものと記述されていました。(1930-1934)
右奥に見える時計台などは、完全に構成主義時代のデザインですね。
ちなみにその本のタイトルは「アルマティ-古代、中世期、植民地時代、ソビエト時代の都市化」(ロシア語なので訳してもらった)
というなんとも過激なタイトルなのですが、実は知人の歴史家が書いたものだと分かりました。
この本によると、1930年代のかなりの建物が建てられたようです。(主にレンガ造)。
ほとんどが古典主義の様相ですが、おそらくソビエト時代の5ヵ年計画によるものではないかと思います。
またいつか彼の事務所に訪れたいと考えていましたので、この本を持参していろいろ話を聞きに行きたいと思います。
話がそれましたが、街中を歩いていて、ある建物の裏側の写真を撮ろうと、街区の中に入っていったところ、このような建物に遭遇しました。
思わずオッとうなって写真を撮ったのですが、入口の役割を果たしています。
反対側にはガラスブロックを使用して、採光を確保しています。
建物を見る限り、プレキャストコンクリートの建物ですので、1970年代以降かと思います。
もとから最初のあったのか、それとも後から改修して付け足したのか、細かく見てみないと分からないのですが、
多くのハーフシリンダーが、外部に向かって伸びていくようにデザインされているのに対し、
こちらは内側に向かって、作られています。
もちろん敷地の関係によるものが多いのでしょうが(アルマティはグッリド状の都市のため、街区に沿ったものが多い)
外部と内部が反転されたような奇妙さを感じました。
他にも、内側に向かったハーフシリンダーの建物を発見したのですが、中に入れず、遠くから見ただけで写真は撮れませんでした。
以前、なぜかふとある通りを曲がったところ、これまたハーフシリンダーの建物を発見しました。
現在、冬季オリンピック用に使われているようですが、いつの時代に建てられたか分かりません。
この建物、ヴェスニン兄弟のプロレタルスキー文化宮(1931-1937、モスクワ)の一部分に非常にそっくりなのです。
(このホールのエントランス側のファサードを模した建物が数多くアルマティにあります)
さて、このハーフシリンダーの形態はどこから来たのでしょうか?
私が持っているいろいろな本から作品を見た限り、
1926年のバルシチ、シニャコフスキーのモスクワのプロジェクト(「アレクサンダー・ヴェスニンとコンストラクティビスム」より)
が最も早くハーフシリンダーが出てきます。
ロシア構成主義の代表的建築家コンスタンチン・メーリニコフはwikipediaによるとドイツ表現主義のエーリヒ・メンデルゾーンとの類似性を指摘されているようですが、
(メンデルゾーンとブルーノ・タウトは短期間在留経験があるようです)
((ただし、「コンスタンティン・メーリニコフの建築 1920s-1930s」においては、この点についてはまったく書かれていない)
メンデルゾーンにおいて、このようなハーフシリンダーの表現が出てくるのは、私の持っている本(MENDELSOHN TASCHEN出版)では、
1917年の「Optical products factry」において見られます(有名なアインシュタイン塔より以前)。
この本によれば、メンデルゾーンは1925年から26年にかけて、ソビエトに旅行に行っているようです。
1920年代後半には数多くこのハーフシリンダーを用いた流線型の伸びやかなデザインを行っています。
どちらが影響を与えたのか、1926年と重なっているためちょっと分かりませんが、関連性があるのは間違いないでしょう。
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