沖縄に帰省しまして、少しの時間を見つけて、浦添ようどれとやちむんの里に行ってきました。

浦添ようどれ

http://yodore.jp/

浦添ようどれは、浦添グスクの北側崖下にある琉球王国初期の王陵で、咸淳年間(1265-1274年)に英祖王が築いたといわれています。その後、1620年に、浦添出身の尚寧(しょうねい)王が改修し、王自身もここに葬られました。岸壁に横穴を掘り墓室とし、中には中国産の石で作られた石厨子があります。向かって右側が英祖王、左側が尚寧王の墓といわれています。「ようどれ」とは琉球語の夕凪です。

浦添城の中にある墓ですが、5年ほど前に修復され以前とは違いまったく新しくなりました。

国指定重要文化財です。

この入り口は、暗しん御門と言って、この上に岩があってトンネルのようになっていましたが、第2次大戦によって崩落し、修復の際安全上の問題で、復元は見送られたようです。

こちらは一番庭と呼ばれ、西室と東室(尚寧王陵)があります。

ここはとても見晴らしがよく、浦添の町が一望できるのですが、なぜこのように壁で周りを囲っているのか、

理由は分かりません。一種の聖域のようなものなのでしょうか。

この後、読谷村のやちむんの里に行ってきました。

http://plaza.harmonix.ne.jp/~udagawa/yachimun.htm

実はこれはどうしても見たかったのです。

去年のブログで那覇市の壺屋の登り窯を紹介しましたが、

那覇への煙害のため、そこが使えなくなり、読谷村に陶芸家が移ってきて出来たようです。

設計は洲鎌朝夫(匠設計代表)

中に入り、柱を見てびっくりしました。話を聞いたところ、木材の電柱の廃材を使用しているとのことでした。

現代建築には見られない、ものすごくプリミティブな力強さです。

そして一番の見所はこの登り窯

本当に圧巻でした。登り窯によって、斜面を這い上がるように造られていますが、

このダイナミックな躍動感は素晴らしかったです。

話を聞くところによると、陶芸家や職人さんたち自らの手で作り上げたようです。

琉球石灰岩の壁に石灰岩を乗せ、その上に電柱柱を乗せています。

洲鎌氏の文章を読む限り、コルビジェや特にフランク・ロイド・ライトの影響を受けているようですが、

大げさに言えば、この建物はその影響をはるかに凌駕したものを感じました。

完成は1980年で当時ポストモダンの時代ですが、その中において大きな批評性を今でも尚、放っているのではないかと思います。

個人的に沖縄における建築として、名護市庁舎と双璧をなすものだと思います。

ものづくりとは何かという原点を、頭のてっぺんから食らったような衝撃ともいえるような体験でした。

このような建築を、父の生まれた古宇利島という所に、自らの手で作り上げたいというのが私の本望です。

もちろん、陶器も素晴らしいものが多く、見入っていくつか買っていきました。

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