2010年にも「ルーバーの建築」という記事を書きましたが、新たな建築を追加したいと思います。

いくつか被る写真もあると思います。

 

カザフスタンには数多くのブリーズ・ソレイユの建築が存在します。

比率でいえば隣国キルギズスタンの首都ビシュケクよりも高いような気がします。

ウズベキスタンは訪れたことがないので分からないですが。

以前紹介したものを小さい写真で紹介していきます。

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以前も紹介しましたアルマティ技術大学。ブリーズ・ソレイユとしては非常にユニークです。

柱型が直方形でなく、三角形状になっておりその合間に挿入されています。

建物の南側に設置されています。

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こちらも以前紹介した建物です。以前は建築家連合のようなものが入っていましたが現在は分かりません。

建設は1968年です。長手側面のルーバーは回転可動になっており、

ソビエト時代の写真で一部逆に回転させているものを見たことがあります。

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ここから新しい建物です。

以前にも「アルマティの特異な建築」で紹介しましたシンバット・ビジネスセンターです。

現在は壁一面ペイントされ残念ながら以前のような石による荒々しい印象は消え去りました。

四角い建物にはビジネス・ファッション・アカデミーが入っています。

設計者は分かりませんが建設は80年代のようです。

下の写真が南側になるわけですが、全面にブリーズ・ソレイユを施しています。

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その横にあるソビエト時代の中央スーパーマーケット。

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こちらは以前のスポーツ・パラスです。1967年に建設されましたが2011年に改修され、

外観は全く別のものとなっています。

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こちらはもとからあったのか後から貼り付けたのか分からないですね。そしてブリーズ・ソレイユとしてか、ファサードを強調するためのものかも、分別しがたいですね。DSC03862

 

以前にも紹介したKaz Gu大学です。

設計はモスクワの高等教育施設設計機関、Giprovusにて行われたようです。

代表する建築家に名誉建築家であり、構成主義者がいたようです。

以前にも書いたように友人曰くモスクワで設計がなされたため、高層の建物は南を向いておらず、

ブリーズ・ソレイユの役割を全く果たしていないそうです。

東西方向に施しているので、朝と夕方は果たしていそうですね。

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こちらも裏側は大きなガラスとなっています。

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以前に少しだけ紹介した、KazNTU(研究工科大学)です。

こちらも設計はモスクワのGiprovuz。正確な年代は分かりませんが、KazGuよりは後ですね。

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現在は下の写真のようにブリーズ・ソレイユも両サイドのコア部分もクリーム色にペイントされ、ファサード上のメリハリがなくなっています。

この2つの大学は他の建築と違い、モスクワでの設計です。

ファサードにおけるブリーズ・ソレイユは日射除けというよりも、ソビエト芸術的な力強さを感じさせます。

他と明らかに性格が違います。

 

こちらはアルマティで見かけるもっともユニークなものです。

円形のコーナー部分に垂直方向に施されていますが、

この部分以外にも、水平方向にランダムに貼り付けられたものもあります。

まるで蜂の巣のようなイメージです。DSC07260

通りを挟んで、別のタイプが存在します。

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こちらは集合住宅に取り付けられたもの。知る限りアルマティでもっともユニークなものです。

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これらをブリーズ・ソレイユと呼べるものか分かりませんが、非常にユニークですね。

 

最近分かってきたことは、このようにファサードにブリーズ・ソレイユ的なものを施す手法はウズベキスタン、タジキスタンを含む中央アジア独特のものだと思っていたのですが、

どうやらネットで見る限り1960年代から東ドイツにおいてファサードに装飾パターンを張り付ける手法が出てきていたようです。

僕が知る限り、モスクワにはありません。

アルマティのカザフテレコムや美術館に非常によく似た建物が1960年代にルーマニアで設計されています。

もしかするとですが、このようにファサードに装飾パターンを張り付ける手法は、

旧社会主義圏において、イスラム圏である中央アジアから生まれたのではなく、

60年代東ドイツやその他のヨーロッパに近い社会主義圏で適用され始め、

それが70年代に入り、中央アジアの建築にイスラムスタイルとして適用され始めたのかもしれません。

 

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