Category: カザフスタン


今回はアルマティの現場打ちコンクリートの集合住宅を紹介したいと思います。

 

1955年のフルシチョフの政策以降、工場生産によるコンクリートパネルの集合住宅が建設され始めるのですが、

1969年以降、コンクリートパネルだけでなく、経済性・耐震性が向上した現場打ちコンクリート( いわゆるモノリシックコンクリート)による集合住宅が建設されるようになってきます。

現場打ちコンクリートにはコンクリート造のラーメン構造とパネルを組み合わせたもの、現場打ちコンクリートによる壁式構造があるのですが、今回は壁式構造の集合住宅を紹介したいと思います。

1971年にアバイ通り沿いのマイクロ地区(新たに計画された住宅団地)に実験的な9階建ての集合住宅が建設されます。設計は、テルポゴソフとソコロフ。

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1階ごとにコンクリートを打つのに1日しかかからず、このアパートの建設により、建設期間をかなり短縮できることが可能となり、

このプロジェクトの基づいて、1976年ジャンドーソバ通り沿いにこの建物をさらに発展させた形で3つのアパートが建設されます。

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先のプロジェクトと改良された点は、避難階段を両サイドに配置し、外観デザインとして角を滑らかなにしカーブを取りいれた事です。

この隅部を直角から丸めたことによって、シャープなデザインから柔らかいデザインへと移行し、都市空間への異なった印象を与えることになりました。

1978年にレーニン通り(現ドスティック通り)に軽量コンクリートによる正方形に近い平面構成の12階建てのアパートが建設されます。

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十字形平面の壁構造の適用により耐震性が増し、すべての部屋がバルコニーに面することによって居住環境が依然と比較してかなり改善されました。

隅部のバルコニー部分を湾曲させることによりより柔らかさを増しています。

このアパートはドスティック通りに2棟、1980年代にクルマンガジ通り沿いに2棟建設されます。

初めて目にしたとき、メンデルゾーンのアインシュタイン塔(1924年)を想起させましたね。

 

こちらはおそらく1980年に建てられたもので先の2棟に似ています。

1976年に建てられたアパートから両サイドの階段部分を省いたデザインとなっています。

シェフチェンコ通りに1棟のみ存在します。

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1983年にサマル地区で型枠によるコンクリート現場打ちの12-14階建てのアパートが2棟並んだ形で4棟建設されます。

設計は以前インタビューをしたアルマス・オルダバエブ。彼はこのサマル地区の地区開発のチーフアーキテクトでもありました。

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サマル-2地区に建設された棟を連結させたアパート群。実際にはバルコニー部分は連結されておらず分離しています。

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サマル-3地区に建てられた3方向のアパート。IMG_2331

 

トレビ通り沿いのアウル地区に実験的な集合住宅が1983年に設計され1つは1986年に完成します。

以前も紹介したこの集合住宅(通称シャムロック住宅)。

先と同じように120度に分割された3方向の建物を一つのユニットとして連結させていく方法で建てられています。

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最初の建設は1986年ですが、順々に建設され最終的には2002年頃でした。

このユニットを連結させていき、7~8棟を連結させたブロックを計画として4ブロック作成する予定だったようですが、結果的にはこのブロックのみ実現されました。

意匠上からしてもメタボリズムを想起させますね。

この方法論がアルファラビ通りのヌリタウという新しいビジネスセンターに適応されます。

設計期間は先のシャムロック住宅と同じカズゴルプロジェクト。

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写真は2009年次の物ですが、このシンメトリー状の2棟の裏側にも同様に同じデザインで建設されています。こちらもまだ建設中です。

 

先と同様な連結させていく方法で、シムケント市の気候条件を参考にして設計された集合住宅が1986年頃に建てられます。

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標準サイズの同じ型枠の使用されており、3つのユニットで構成されているのが分かると思います。こちらもユニットごとに順番ずつ建設されていきます。

正面に巨大な壁がありますが、おそらくその気候条件を考慮した結果だと思います。

ファサードにおける面的構成がうまく表現されています。

こちらもアウルの集合住宅同様ユニットを組み合わせてブロックを構成していく予定だったようですが結果的にはこの部分のみ実現されたと思われます。

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今回、アルマティのモノリシックコンクリートの集合住宅を紹介したのですが、次回はラーメン構造や剛性コアとコンクリートパネルの混合の集合住宅を紹介したいと思います。

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先日、旅行会社のツアーを利用してカザフスタンの歴史的建造物の見学に行ってきました。

何としてでも行きたいと思っていましたので、このチャンスを逃すまいとすぐにツアーに申し込みました。ようやく念願がかないました。

アルマテイを出発して西に向かいながら50人乗りのバスに揺れること約12時間、最初に到着したのが、南カザフスタンのオトラル地区にあるアリスタン・バブ霊廟。

広大なステップの中に佇んでいます。

https://en.wikipedia.org/wiki/Arystan_Bab_Mausoleum

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イスラム教の霊廟なので女性の方は頭にスカーフを巻いて参拝します。

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詳しいことはwikiを読んでもらいたいのですが、

伝説によると、12世紀アリスタン・バブが死亡しオトラルの近くに埋葬されました。中央アジアを当時支配していたティムール朝のティムールは、ホージャ・アフマド・ヤサヴィー(後でまた説明します)のお墓にモスクの建設を命じましたがうまくいかず、夢の中でヤサヴィーの指導者であったアリスタン・バブのお墓を最初に建設しなければならないとお告げを受けました。

霊廟は14世紀の建立され18世紀までに数回再建されたようです。18世紀の地震で倒壊し新たに2つのドームを付け加えて再建されたようです。ドームを支持していた2本の曲がった木製の柱のみを残して20世紀初頭に再度再建が行われたようです。

 

その後訪れたのがオトラルの遺跡。中央アジアの歴史を語る上で非常に重要なオトラル事件が起こった場所です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%AB

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地上から盛り上がった部分が遺構です。

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浴場の遺構。

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新たに修復された防衛用の城門。

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裏側から見た城門。修復の跡がよく分かりますね。

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ガイドが説明しているのですがロシア語とカザフ語のためほとんど分からず。。

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オトラルの後に向かったのが今回のツアーの最大の目的地であるトゥルケスタンのホージャ・アフマド・ヤサヴィー廟。ようやく念願がかないました。

中央アジアのイスラム教徒の聖地の一つであり、2003年にユネスコ世界遺産に登録されました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%9E%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A4%E3%82%B5%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%BC%E5%BB%9F

バスの中から霊廟が見えた途端乗客から大きな歓声が上がりました。かくいう私もその一人ですが(笑

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広大な草原に霊廟が佇んでいるのかと思っていたのですが、意外にも周辺に街並みが形成されていました。世界遺産に登録された後周辺の街が急速に発展したようです。

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wikiにもありますように、トルコ政府の援助により敷地を囲む城壁などが修復されています。

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城門をくぐると見えてくるのがこの景色。手前の台にはカザフ語とアラビア語で記されています。

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古代浴場(東洋の浴場)。16世紀に建立。

1979年までは実際に一般市民に使用されていたようです。

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ヒルベット地下のモスク。12世紀建立。

内部の写真撮影は禁止されているため写真が撮れないのは残念ですが、

非常に興味深い構造です。

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博物館金曜日のモスク。18世紀建立。17 IMG_1831

 

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入り口の門から覗くホージャ・アフマド・ヤサヴィー廟。

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これからホージャ・アフマド・ヤサヴィー廟に向かいます。

途中にあるラクダの群商隊の彫像。

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ホージャ・アフマド・ヤサヴィー廟の南側正面ファサード。

14世紀末に霊廟の建設が始まりましたが、1405年にティムールが死去し建設が継続されず、

1994年にトルコ政府の協力と援助の下修復されたようです。

この正面部分は未完成のままで当時の原型が偲ばれます。

こちらの方がより古代への憧憬が生まれますね。

ティムールはこの霊廟の建設にあたってペルシャから建築家を呼びよせており、ホージャ・アフマド・ヤサヴィー廟で実践された建築手法はのちのティムール王朝時代のモスク(いわゆるティムリッド建築)の原型となっていきます。

内部中央の大広間は、直径18.2m、高さ約40mの中央アジア最大のドームで構成されており、礼拝用の壁ミラフーブがありません。広間の内壁には白い鍾乳石が貼られています。

広間の中心にはティムールが寄贈したと云われる巨大な合金の鍋が置かれています。ここから25キロ離れたカルナック村で7種類の金属の合金で作られていると言われています。

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北側ファサード。

トルコ石のタイルが使用されたドーム。

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修復された周囲の要塞壁から。

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結婚式で霊廟を訪れていた女性たち。お気に入りのショット。

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ラギム・スルタン・ベギムの霊廟。

ホージャ・アフマド・ヤサヴィー廟の南西に位置し、16世紀に残された資料によると、

1430-1485年頃ラギム・スルタン・ベギムのお墓の上に建てられたようです。

ラギム・スルタン・ベギムは、1485年に死亡したエミール・ティムールの息子であり有名な天文学者科学者であったウルグベックの娘のようです。

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夕日で黄金に輝く霊廟。非常に美しいです。夕方になると多くの方が訪れていました。

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今回の旅で宿泊したユーラシアホテル。ソビエト時代からあるようです。

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様々な大理石で構成されたロビーの床。見事ですね。ソビエト時代の建物には大理石がよく使われています。

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翌朝ホテルでツアー参加者と一緒に朝食をとった後、トゥルケスタンから35キロ離れた北の方にあるウカシャーアタへ。

伝説によりますと、ウカシャーアタは予言者ムハマドの弟子でありこの地域にイスラム教を広めた勇敢な戦士であり戦いにて負けたことがなかった。

多くの敵は彼の妻を買収し、彼女は朝の祈りの時間が最も無防備だと気付きました。翌朝の祈りの際敵が背後から忍び寄りウカシャーアタの剣で彼の首を切り落とし、その首は丘を転がっていったあと井戸に落ちました。その井戸はメッカと地下でつながっていると云われています。

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霊廟の中に21メートルに及ぶ石棺があります。

非常に静かな場所です。

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井戸は霊廟から結構離れたところにあります。井戸水には不思議な治癒性があると言われ

数多くの巡礼者が聖なる水を求めて訪れます。

この日は300人近くいたようで、ツアーの参加者から水をもらうのは無理だからバスの戻ろうと催促されました。

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ウカシャーアタを後にして向かったのが、第2のハイライト、アイシャ・ビビ廟。

ツアーのガイドがバスの中でこれからアイシャ・ビビ廟に向かいますとアナウンスすると

女性の乗客から歓声が上がりました。そしてガイドが女性に何やら紙を渡しており、みな何かを紙に書き記していました。。

 

https://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%90%D0%B9%D1%88%D0%B0-%D0%91%D0%B8%D0%B1%D0%B8_(%D0%BC%D0%B0%D0%B2%D0%B7%D0%BE%D0%BB%D0%B5%D0%B9)

カザフスタンの国家的重要な歴史と文化の記念碑に指定されています。

愛と誠実の記念碑として広く知られており、伝説によるとカラハン朝の支配者の美しい婚約者アイシャ・ビビのために建設されたと云われています。

数年前から建物の保護のため入場料を払うようになったようです。

右側にあるのはババジ・カトゥン廟。

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入り口の左側に新しく出来た施設(何なのかよく分からず)。

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テラコッタのタイルによる非常に美しい装飾で、60種類以上のタイルが使われているようです。

2002年にかなりの修復が行われたようで、それまでは西側のファサードのみが残存していたようです。1960年にガラスによって保護され保存されていたようで、ネットにその当時の写真があります。よってこの紺型のドームがオリジナルの形態なのか個人的には分かりません。

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ウズベキスタンのタシケントに住む知人の芸術批評家によるとウズベキスタンのブハラにあるイスマーイール・サーマーニー廟に似ているとの事でした。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%BC%E5%BB%9F

 

ババジ・カトゥン廟。11世紀に建立。

ババジ・カトゥンはアイシャ・ビビの乳母で、アイシャ・ビビの霊廟の近くに住み最期まで管理を行い無くなった後この場所に埋葬され、霊廟が建設されたようです。

折り畳み傘状のドームは半壊していましたが1981年にカザフスタンの修復研究所によって修復されたようです。

このようなドームは中央アジアでは見られない形態のようです。

https://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%9C%D0%B0%D0%B2%D0%B7%D0%BE%D0%BB%D0%B5%D0%B9_%D0%91%D0%B0%D0%B1%D0%B0%D0%B4%D0%B6%D0%B8_%D1%85%D0%B0%D1%82%D1%83%D0%BD

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アイシャ・ビビとババジ・カトゥンの形態構成とプロポーションは非常に似ていますが、

アイシャ・ビビの場合プロポーション的に上方に伸ばしたような印象を受けるのに対し、

ババジ・カトゥンの方がより純粋形態に近いですね。

私はこの構成に興味を抱きました。

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夕日で黄金に輝く西側のファサード。非常に美しいですね。

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コシュカールムイズと呼ばれるカザフスタンのパターンを用いたテラコッタのタイル。

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バスの中で何かを書き記したメモをタイルの隙間に埋め込む女性たち。

おそらく書き記した夢が実現するといったようなものだと思います。

我こぞって皆埋め込んでいました(笑)。

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飛行機雲は発生した印象的な夕暮れの空。

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バスで片道12時間と非常に疲れましたが、誠に有意義な旅でした。

ツアーに参加できて本当によかったです。

外国人のみならずカザフスタン全土からも多くの人がこの地を訪れてきます。

途中で立ち寄ったシムケントやタラズにも訪れてみたいですね。

 

 

 

今回初めて古典主義建築を紹介したいと思います。

今まで写真を撮ってきたのは殆どいわゆるソビエトモダニズム建築だったのですが、今回初めて写真を撮ってきました。

 

構成主義の建築が終焉し始める1930年代後半から新古典主義建築が作り始められるようになります。

パンフィロバ-キロバ通りにギンズブルグらによる構成主義スタイルの行政庁舎(1928-1931),通信局、トルキスタン・シベリア鉄道管理ビルなどが完成し、パンフィロフ通り沿いの北側に水資源省(現在すでに解体)、人民委員会の住宅が建設されます。その後労働者のクラブや住宅団地が同様に構成主義のスタイルで周辺に作られていきます。

しかしスターリンの政策により、構成主義の代わりに古典主義が台頭しはじめ、アルマティでは1933年頃から新古典様式で建設されていきます。

 

パンフィロフ通りの西側のアブライハーン大通り(旧共産主義通り)沿いに北から南に向かって

アルマトイⅡ駅、設計はM. クドリャフツェフ、A. ガルキン。1936年竣工。

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都市執行委員会(中央)、設計M. シュガル。1938年。食品産業人民委員会(右)、設計G. クシュナレンコ。1938年。国家農業省(左)、設計G. クシュナレンコ。1938年。

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人民委員会財務省、設計M. シュガル。1937年。

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人民委員会外務省。設計A. レピック。1938年。

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コンサルバトール。設計A. ストレメンコバ。1935-1937年。

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アブライハーン・カリーニナ通りの交差点に建設された住宅団地No.6。設計Ya.スタンケビッチ。1937年。

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パンフィロフ通りとキロバ通りの交差点に作られた住宅団地No.7(Stakhanovitesの家)。設計Ya.スタンケビッチ。1938年。

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フルマノバ通りの構成主義スタイルの住宅団地No.1, 2, 3, 4の後にNo.2と3に間に建設された建物。設計B. トベルドフレドフ。1935年。

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カザフスタン南部地質管理ビル。設計G. クシュレンコ。1930-1939年。

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繊維工場ビル。設計K.シムカチェフ。1941年。

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1941年に完成したアバイ・オペラバレー劇場。設計はN. クルグロフ、N. プロスタコフ。

設計競技にて選ばれた建築です。この建物から純粋な古典主義でなくカザフスタンの伝統を表現した様式がはっきりと表れるようになりました。

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シェフチェンコ-バリハノバのカザフスタン共和国科学アカデミー。設計シューセフ。1953年。

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この建築においてカザフスタンの宗教建築の特徴でもある、尖塔アーチ、ペシュタクと呼ばれる入り口にそびえ立つ四角形の平面、計画案に示されたドーム(実現されなかった)などが表現されています。

1981年に南側の方に増築された科学者の家。設計はV. エック、M. ズヴォンツェフ。

ペシュタク部分がより彫りの深いものとなっています。

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センターの開発と共に1928年代以降、アバイ通り沿いに高等教育機関(現大学)が建設されていきます。

動物衛生研究所(現農業大学の一部)。設計N. ペトロフ。1928年。両翼が1939年と1954年に別の設計者によって増築されます。構成主義の影響が若干見受けられますね。

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農業研究所(現農業大学)。設計設計N. ペトロフ。1934年. 尖塔アーチなどの伝統様式が反映されています。

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現カザフ国立農業大学。1935年。

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アバイ通りのずっと西の方のマサンチ通りの交差点にトルキスタン・シベリア鉄道病院。設計M. クドリャフツェフ。1950年。

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アバイ-シーフリナ通りにある水文学研究所。設計V. ビリュコフ。1952年。

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トレビ通り沿いに医学関係の施設や高等教育機関が1930年代から建設されはじめます。

治療クリニック(現代1市立病院)。設計I.ドルガチ、A. カプルン。1938年。

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医学研究所(現カザフスタン国立医科大学)。設計A. ゲゲッロ。1932年。設計変更P. パスポポビム。1939年。

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外国語研究所(現国際関係と世界言語大学)。設計M. クドリャフツェフ、G. ボズニューク。1940年。

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No.39 学校。1938年。

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1940年代後半から文化、科学、教育の労働者、高級軍人のための住宅施設が建設されていきます。

アブライ・ハーン通り沿いの中央委員会の労働者用の住宅団地。設計A. レピック。1951年。

伝統様式が反映されています。

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アブライ・ハーン-カリーニナ通りの水力発電所の労働者のための集合住宅。設計V. ブチコフ。1954年。

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アブライハーン-トレビ通り沿いの集合住宅。設計A. レピック。1951年。

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アブライハーン-キロバ通り沿いの集合住宅。1950,1951年。

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アブライハーン-カリーニナ通り沿いの集合住宅。設計A. レピック。1940-1950年。1954年。

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政治検事の家(現カザックコンサート)。設計A. レピック。1955年。

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管理ビル。1960年。

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アブライ・ハーン通りの西側のミラ通り(現ジェルトクサン通り)沿いにも建てられていきます。

ミラ-キロバ通りのホテル・イシック(現オフィスビル)。設計V. コルシン。彫刻N. コルシン。1947年。

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ミラ-トレビ通りの住宅団地No.9。No.39 学校の丁度真向かいですね。

設計S. シェビーレフ。1950年。伝統様式の装飾が施されています。

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ミラ-ゴーゴル通りの集合住宅。1950年代。伝統様式の装飾が施されています。

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ナウリツバイ・バティル-ゴーゴル通り交差点の集合住宅。1950年代。

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その向かい側にあります行政と集合住宅。1950年代。

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ナウリツバイ・バティル-アイテケ・ビ通り交差点の集合住宅。1960年。

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フルマノバ-カリーニナ通り交差点のシベリア鉄道従業員の住宅。設計M. イルチェンコ。1953年。ソビエト帝国様式と言えばいいのでしょうか、尖塔が取り付けられています。

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トレビ-ナウリツバイ・バテイル通りの集合住宅。1946年。

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トレビ-ナウリツバイ・バテイル通り交差点の集合住宅。1956年。伝統様式が反映されています。

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トレビ-パンフィロフ通り交差点のうまく日本語に訳せませんがカザフスタン消費同盟(Kazpotrebsoyuz)。こちらも尖塔様式です。

設計B. ステシン。1953年。

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アバイ-ドスティック通り交差点の高等教育学校。設計キム・ドセン。1954年。こちらも尖塔が取り入られています。

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アバライ・ハン-トレビ通り交差点に新たに建設された行政庁舎(現カザフスタンイギリス工科大学)。設計B.R. ルバネンコ、T.A. シモノフ。1957年。設計競技によって選定され紆余曲折を経てこの構成に落ち着いたようです。

ギンズブルグ設計の旧行政庁舎から公園を挟んで北側向かい側に建設されました。

アルマテイの古典主義建築の集大成です。

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行政庁舎からアブライハーン通り沿い北側に新たに市議会ビルが建設されます。

設計カーツェフ。以前紹介したサーカスの設計者でもあります。1963年。

こちらはドーム状の上に小さな尖塔様式が取り入れられています。

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1953年のスターリンの死後、フルシチョフによる「設計と建設における過剰撤廃」が1955年に決議され、いわゆるスターリン様式と呼ばれる新古典主義の建築は衰退し、今までのブログで数多く紹介されているように、60年代中旬以降コンクリートパネルによる集合住宅やいわゆるソビエトモダニズムの公共建築が建設されていきます。

先日、アルマティの建築家セルゲイ・マルテミヤノフにインタビューをしてきました。

こちらの建築大学を訪れていたところその場にいた教授が突然彼に電話をかけまして急遽後日に会うことになりました。

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彼はアルマティの建築家組合の代表も務めておりまして、

非常にエネルギッシュな方でして、ものすごいスピードで自らのプロジェクトを次々と解説していきまして少し圧倒されました(笑

建築家とは元来エネルギッシュですけどね。

 

上の写真のプロジェクトは音楽学校で1986年完成。設計は1976年に始まったようです。

いくつか彼のプロジェクトを見せてもらったのですが、以前紹介した集合住宅が出てきました。彼の設計によるものでした。

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過去から現在までのプロジェクトの説明が終わった後、彼が設計した建物の見学に行きました。

まずは代表的な作品であります音楽学校。

以前訪れた際は敷地内に入れず外から写真を撮ったのですが、学校の先生が出てきまして少し説明をしてくれまして、その時に設計者の名前を教えてもらいました。

それがセルゲイ・マルテミヤノフでした。

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中心のキャンティレバーの大屋根が非常に特徴的で反対側まで貫いています。

この大屋根の両側にアシンメトリーに諸機能を配置しています。

天井に貼っているのは薄いコンクリートのパネルです。

最初は木材に白でペイントしたものかと思っていました。

この天井がダブルのガラスのカーテンウォールの内部までそのまま貫入しています。

 

中に入らせてもらい彼にいろいろ説明をしてもらいました。

カーテンウォールの内部は吹き抜けのエントランスホールで、奥の2階部分が講堂となっています。

その講堂の天井部分も同じ白いコンクリートパネルの天井材で構成されています。

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ガラスのカーテンウォールの右側部分に入り口用のボックスが挿入されています。

左側は2階に登っていく階段部分の踊り場で外部に突き出しています。

内部から見ると非常に開放的な吹き抜け空間で、外部と内部がガラスを通じて相互に貫入しています。

外部から内部、そして建物の反対側の奥までを貫く同じ材で成したボールト状の天井の元、極めて流動的で透明な空間が形成されています。

この開放的な吹き抜け部分に接する2階の講堂部分の廊下はサイドの建物とそのまま連結されており、吹き抜けを中心とした明快で流動的な動線となっています。

吹き抜けがが北側に向いているのですが、敷地が道路の南側ですのでそのような配置計画になったのでしょう。南側でしたら2階からの景観も素晴らしかったのかもしれませんが、その代わり夏に日射が厳しかったのかもしれません。

私の知る限りですが、おそらくアルマティで初めてガラスによる外部・内部空間の相互貫入性が実現された建築ではないかと思います。

建物の構成といい空間といい非常に素晴らしい建築でした。

ちなみに学校の先生(か校長先生)は私のことを覚えていたようで、彼は以前も来たわよと言っていたようでした。

よく覚えていますね(笑

 

その後、スポーツ学校を訪れました。1981年に竣工。

この建物は以前からちょくちょく見ていました。

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陸上競技用のトラックやプール、飛び込み台が中に作られています。

水平に連続していくガラスの開口部が美しいですね。

石の部分とガラスの部分の取り合いのディテールが綺麗で、巧みに分節化することによって素材の違いをうまく表現していると思います。

ダブルのガラス部分が壁の部分から切り離されて、何と言いましょうか、後からはめ込んだような表現になっています。

てっきりアルミサッシュと思っていたのですが、彼によるとスティールだそうです。

アルミはその当時非常に高価で使用できなかったと言っていました。

スティールサッシュにしては厚みも薄く非常に軽やかに感じます。

ガラスやバルコニーのエッジの部分を90度ではなく、角度をつけて納めています。

非常に滑らかな印象を与えます。

 

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プール棟の部分ですが、屋根が一段と角度をつけて伸びています。

彼によると最初はそのままの勾配でデザインを進めていたようですが、他の設計師の意見を取りいれて、このようになったようです。よりダイナミックになっていますね。

全体的にディテールが非常にきれいな建築だと思います。

 

先の集合住宅もそうですが、セルゲイ・マルテミヤノフの建築表現として、オブジェクトをはめ込む、もしくは挿入するといったような操作が見受けられます。

立面図を見るとそれがより一層明確に見えてきます、

これがカザフスタンのモダニズム期の建築においてどのような意味を果たしたのかは分かりません。

ただ先の音楽学校のガラスのカーテンウォールで囲まれた吹き抜けの開放的で流動的な空間は当時非常に画期的であったと思います。

新年明けましておめでとうございます。

本年も宜しくお願いします。

沖縄滞在中にいつものように沖縄の建築に関する記事を書こうと思っていたのですが、

結局できませんでした。

 

今回紹介するのはアルマティのシンボルと言っても差し支えないでしょう。

ホテル・カザフスタンです。

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設計は以前にも出てきました、ユーリ・ラトゥシュニー、ウフボトフ、アンチュゴフ、カシュタノフ。

竣工は1977年です。

ホテル・カザフスタンという名のホテル(1960年竣工で初期のモダニズム建築)が以前から存在していて、このホテルがその名を踏襲し、以前のホテルは「ゼティス・ホテル」と名称が変更されました。

ドスティック通り(旧レーニン通り)に沿って、以前紹介した共和国宮殿政治教育舎の隣に立地し、アバイ広場を中心とした建築群を構成しています。

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(写真はコクトべから。改修前の共和国宮殿が見えます。)

 

2層の低層棟部分(バンケットホールなど)と高さ102mの25階建ての高層棟(ホテル部分)で構成されています。

2007年まではアルマティで最も高い建築でした。

当時地震に対してどのように施工するかかなり考慮したようで、現場打ちコンクリートによる施工、

楕円形を模した形状に階段室や各部屋の壁を耐震壁とした両端コアシステムが初めて導入されたようです。

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屋上の王冠のような部分は最初の設計時にはなかったようです。

というのもエレベーターの屋上機械室の配置がシンメトリーではなく、外観に予想以上の影響を与えたため急遽このような王冠を載せることになったようです。

頂上部の王冠によって、背景の山々と呼応し溶け込んでいきます( この写真の方向からは山は見えませんが)。

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低層部のデザインを見ると分かりますが、それらに呼応させているのが分かります。

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1階エントラン部分の両サイドに低層棟のバルコニーが曲線を描いて巻き付いています。

石を細長く縦貼りで貼り付けています。

 

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ホテル棟のファサード部分に注目すると、居室部分の壁がジグザグになっており、南側(山側)に窓が設けられ室内からの眺望を考慮しています。

居室部分のファサードには、楕円曲面上に垂直・水平方向のグリッドラインを強調するかのように、

アルミによる水平ルーバーと細長いアルミパネルが使用されています。

この繊細さを表現したことによって圧倒的なボリュームが消え去り、軽やかな印象を与えています。

こちらのジャーナリストが設計に従事した建築家(当時は若手)にインタビューをした記事がありまして、

それによると設計者は当時コルビジェに触発されたようですが、このホテルの設計にあたっては、日本の丹下健三の影響がかなりあったようです。

どの建築から影響を受けたのかは分かりませんが、個人的にはおそらく旧東京都庁舎ではないかと推測しています。

以前こちらの建築家アルマス・オルダバエフにインタビューした際、

丹下の影響について少し語っていたのですが、

どのような影響だったのかまたどの建築が具体的に受けたのかまでは分かりませんでした。

今回ようやく一つ、そしてアルマティの代表的な建築が日本の丹下健三からの影響を具体的に受けていたことが発見できました。

 

1979年にこの建築は共和国の重要記念碑として登録されます。

1980年には技術者を含む設計チームにカザフスタンソビエト共和国のバリハノフ国家賞が贈られました。

ソビエト時代のポストカードを含むアルマティの写真を見ると、必ずと言っていいほどこのホテル・カザフスタンが出てきます。

サーカスや共和国宮殿同様もしくはそれら以上にアルマティを代表する建築であり続けるでしょう。

 

 

 

カザフスタンの首都アスタナにて6月10日から9月10日まで万博が行われています。

中央アジアで初めての万博であり、テーマは「Future Energy」。

https://expo2017astana.com/

 

万博のマスタープランのコンペも2013年に行われまして、ザハの事務所やコープ・ヒンメルブラウ、

日本からは磯崎新事務所も参加していましたが、

1等はアメリカのAdrian Smith + Gordon Gill Architectureの案が選ばれました。

http://www.archdaily.com/420867/top-firms-compete-to-design-kazakhstan-s-world-expo-in-2017

https://archi.ru/world/51417/tochka-promyshlennogo-perevorota

都市軸、被膜・仮面性など磯崎さんらしい提案でしたが残念ながら3位でした。

ちなみにこのコンペはとある建築専門のサイトからオートキャドの戯れかと少し揶揄されていました。

 

さて、アスタナアートフェストに招待されているついでに万博に訪れてきました。

後日、日本から構造設計者である友人がアスタナを訪れ一緒に行ってきました。

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中央にそびえる球体が非常に目立ちますね。ちなみにカザフスタンパビリオンです。

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球体の周辺に施設を配し、皿のその円周上に各パビリオンを配しています。

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パビリオンのゾーンは各エリアに分かれています。

訪れましたパビリオンをざっと紹介したいと思います。

 

イングランド館。

最も印象に残ったパビリオンでした。

建築家のアシフ・カーンが設計したもので、カザフスタンの伝統的な住居ユルタをモチーフとしたものです。

透明なポリカーボネイト(館内の人によると)に触れますと反応して光を発します。

センサーに反応して下から光が反射されます。

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ユルタの周辺の円周上にスクリーンを配し、地球上の悠久の大地を映像として流しています。

ちなみに館内に流れる音楽を担当したのはブライアン・イーノ。

もうこの組み合わせだけで最高です。空間デザインとしては一番良かったですね。

コンセプトが若干私のアスタナアートフェストに出品したインスタレーションと似ていますね。

 

ギリシャ館。

エーゲ海を見立てた空間構成となっています。

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ラトビア館。

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ヨルダン館。

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ベラルーシ館。

ちなみに後日再度ここを訪れた際に民族衣装のようなデザイナーによるシャツを購入しました。

着る機会があるでしょうか。

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トルクメニスタン館。

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中にユルタが展示されています。カザフスタンのものと若干異なりますね。

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ウズベキスタン館。

この3次元曲面をどのような材料で作っているのだろうと思い近寄ってみたら膜材でした。

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ジョージア館。

館内でやっぱりジョージアワインを販売していました。

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フィンランド館。

何となくですが、アルバ・アールトのニューヨーク万博のフィンランド館(1939年)を思い出しました。

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リトアニア館。

イギリス館に次いで空間的に面白かったです。

直線的な回路のような発光体がランダムに放射していくのですが、サイバー的な空間でした。

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スロバキア館。

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スロバキアの現代芸術家によるリサイクルのインスタレーション。

他のパビリオンと違い、おそらくここだけ芸術家による作品が展示されていました。

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先にも述べましたように、後日再び万博を訪れました。

最初訪れたときはカザフスタンパビリオンは3時間待ちと言われ断念。

今回朝早くから友人とカザフスタンパビリオンに行ってきました。

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1階内部。

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ユルタを模したシェル構造の建物の内部。

カザフスタンに伝わる民話で、古代遊牧民の宇宙発生論を表しています。

幸福を呼ぶ魔法の鳥と神話的な生命の樹に関するもので、

幸福を運ぶサムルグと呼ばれる鳥がポプラの2本の枝に卵を産み落とすというものです。

バイテレクタワーはこれをもとにデザインされています。

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球体は8層になっていまして、1階からエレベーターで最上階に向かい、

そこから降下していく展示方法です。一部吹き抜けになっています。

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最上階上部の展示物。その上部は風力発電機が取り付けられています。

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上部吹き抜け部分に突き出たガラスの渡り廊下。

私は怖くて渡りませんでした(笑

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各階の展示の様子。

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そこから1階に降りていきますと、写真を撮ってクラウド上に反映されるインスタレーション。

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カザフスタンパビリオンを出まして、オランダ館。中には入っていませんが、

何となくモンドリアンっぽいですね。

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モナコ館。

床に映し出されたLED照明が、可動式のさざ波のようにうねる鏡に反射しています。

かなり人気の高いパビリオンです。

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ドイツ館。

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スイス館。

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オーストリア館。

自転車をこいで電気を発生させたり、非常に体感的で、子供に大人気でした。

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ベトナム館のエントランス。

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トルコ館。

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アゼルバイジャン館。

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日本館やアメリカ館、ロシア館など先進国のパビリオンも訪れましたが、

総体して現在・未来のエネルギー政策を巨大なスクリーンで映像で説明しているものが殆どでした。

後進国はどちらかというと自国の文化を表現しているものが多かったですね。

アフリカ館は各国のブースが設置されていましたが、物品販売の方が大盛況でバザールかといったような様相でした。

やっぱり建築屋としては空間展示の方に興味が行きますね。

こちらのサイトに全部ではないですがいくつかのパビリオンが紹介されています。

https://www.dezeen.com/2017/06/20/pavilions-astana-expo-2017-photography-paul-raftery-kazakhstan/

 

オープンスペースのパブリックアート。

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なんとなくトビリシの平和橋を想起させますが、設計は同じイタリアの建築家かもしれません。

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知人のカザフ人建築家、サケン・ナリノフ氏によるインスタレーション。

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敷地内に併設されたシルク・ド・ソレイユ館

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鋼管を外壁に張り付けた施設。

OMAのディー・アンド・チャールズ・ワイリー・シアターを想起させますね。

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屋外イベント施設。こちらで各国のナショナル・デーとしてイベントが行われます。

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屋外オープンスペースの飲食・休憩スペース。

館内のレストランよりもこちらの方で多くの人が飲食をしていました。

ローカルの人にとってレストランの値段はかなり高いですから。

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こうやって見ていくとまだまだな個所もありますがカザフスタンもかなり建設技術が上がったなと思います。

デザイン・意匠も以前よりもかなり洗練されてきたと思います。

万博によってアスタナの都市計画、特に交通計画が以前よりもかなり良くなっています。

後は一般市民の意識の問題でしょうか。

しかしここを訪れた子供たちはどのような印象を持ったのでしょうか。

特に地方から訪れた子供にとって万博は今まで体験したことのないような正しく夢のようなものなのかもしれません。

我々の未来はやはり子供の手に委ねられているという印象を持ちました。

カザフスタンの首都アスタナ市で行われていますアスタナ・アート・フェストに参加してきました。

https://artfest.kz/

今年で3回目になります。
私の2作品が展示されていますので、組織委員会の招待により行ってきました。
ちなみに上記の動画は昨年の物です。

 

“Reflection of Yurta”

こちらは提案時の画像です。
Yurta art for Astana 5211

実現したインスタレーション。

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実際の図面と若干異なりますが、コンセプトが如実に表現されていますので、

これはこれで良しとします。実際の解説文も私が送ったものと若干異なり、

委員会の方で修正しています。話を聞くと私の解説文が一般客にとって若干難しく

少し分かりやすく修正したようです(笑

 

2つ目は、”The Shells of Yurta”

こちらはキオスクとして提案したものです。当初の案はこれよりも少し規模が大きく、

若干縮小して実現されました。正直に言うとこれはコストもかかり選ばれないだろうと思ったら予想に反して選ばれました(笑

New Yurta bus stop new 5721 final

New Yurta bus stop new concept-1 New Yurta bus stop new eyelevel-5

こちらが実現したものです。

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見てわかりますように、提案した図面とかなり違います(笑

ダブルのDPGは正直無理だろうと思ったので、それは予想通りでしたが、

パンチングメタルやアルカボンド、透明なビニールは鉄骨にそのまま接合されています。。

パンチングメタルも3種類を適用したのですが、実現されたものは1種類でした。

ちなみにキオスクとして提案したのですが、委員会がこれはバス停に最適だといって、

メディアも、日本人建築家が伝統的な家屋であるユルタの形式を用いてバス停を提案した、と伝えています(笑

ちなみにメディアではこちらの方が紹介されていました。

1番目の方はメディアでの紹介が全くなかったですね。そちらの方がメインの提案だったのですが(笑

 

さて、数多くのアート作品が展示されています。一つ一つ写真を掲載していきます。

私の知人のアーティストも何人か参加しています。

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こちらはメディアセンター。委員会の方々はこちらにいます。

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通りの向こうにそびえるのが、アスタナを象徴しますバイテレックタワー。

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こちらはロシアのアーティスト、ニコライ・ポリスキーのインスタレーションです。

彼は日本でも展示を行ったようです。

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フェスティバルにおいて、私が最も好きな作品。カザフ人アーティストによるものです。

極めて批評的な作品と言えるでしょう。

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フェスティバルでは、アート作品の展示だけでなく、パフォーマンス、ライブミュージック、

アートフォーラムなど、数々のプログラムがあります。私も2日間にわたってフォーラムに参加してきました。

パフォーマンスは夜行われたようですが、連日の猛暑でへとへとになり、

夜はホテルに帰っていましたので残念ながら見ることはできませんでした。

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アートフォーラムの様子。数々のアーティストやキュレーターが講演を行い

討論を重ねていきます。

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こちらは、席を円形に囲んでの討論会。テーマは現在におけるノマディズムについて。

私も建築的観点から少しばかり意見を述べました。

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8日にすべてのプログラムが終了しまして、その日の夜アフターパーティーが行われました。

そこで数々のアーティストやキュレーターの方々と交流することが出来ました。

5日間の滞在でしたが、非常に意義のある滞在でした。

また来年参加できるのなら参加したいですね。

ブログを始めてから初めてバス停を紹介します。

とは言いつつあまり写真を撮っていないのですが。。

 

Christopher Herwigという( おそらくカナダ人だと思うのですが)写真家が旧ソ連圏の国々を旅し、

ソビエト時代のバス停の写真集「Soviet Bus Stops]という本をを2015年に出版しました。

 

http://herwigphoto.com/soviet-bus-stops/

 

 

これがかなり好評のようで、その本が出版されて以降、ロシア系のSNSで旧ソ連圏の様々なバス停の写真が投稿されています。

 

さて、アルマティのバス停です。

ソビエト時代は交通機関はもちろん公共ですので、個人の自動車所有が殆どなくバスが殆どを占めていたわけです。

そこで建築家が、様々なバス停のデザインを行ったようです。

 

2009年に初めて見たバス停。

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コンクリートパネルに、様々なタイプの石器タイルを散りばめています。

当時、非常に面白いなと思って写真を撮ったのですが、このようなタイプは市外のあちこちで見かけます。

しかし残念ながらこのバス停は現在すでに解体されていました。

 

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アルマティ湖に行く途中で見かけたバス停。

既に使われていませんが、山中には既に使用されなくなり、そのまま破棄されたバス停が数多く存在します。

 

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市の中心部にあったバス停ですが、解体され既に存在してません。写真は2009年時です。ただこちらはソビエト時代からこのようなデザインのバス停だったのかは分かりません。おそらく独立後ではないかと思います。後ほど確認してみます。

 

私が見た中でもっともユニークなのがこちら。

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フランク・ロイド・ライトが1939年に設計したジョンソンワックス本社事務所棟の内部の柱を想起させますね。

このようなタイプのバス停のデザインは旧ソ連圏でいくつかみられると思います。

ロシア系のSNS上でもウクライナや他の国で似たようなデザインのバス停が掲載されています。

 
バス停の設計にはどのような設計機関が関わっていたのか分かりませんので、後ほど調べてみたいと思います。

しかし市内にはソビエト時代のバス停はほとんど残っておらず、多くがすでに解体されています。

先の写真家の写真も多くが郊外です。

郊外を車で通りがかった際にバス停を発見することが多く、写真を撮り逃す場合が殆どですので、なかなか写真が撮れませんが、撮れた際は随時更新したいと思います。

久しぶりの投稿です。

カザフスタンの建築家、アルマティの建築についてアルマス・オルダバエフ氏(1938年生)に、
2回に分けてインタビューを行いました。

彼は歴史家でもあり、こちらのイスラム建築についても研究を行っておりまして、

度々レクチャーも行っています。

ギンズブルグのアルマティ行政庁舎(現国立芸術アカデミー)から60年代、70年代、80年代のモダニズム建築について、インタビューを行いました。

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インタビューの中で一番驚いたのは、60年代当時アルマティの建築家の間で最も大きな影響を与えたのが、丹下健三だと言う事でした。ル・コルビジェと同等かもしくはそれ以上だという事です。

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インタビューそのものは非常に貴重で、アルマティのモダニズム建築も含めて

何らかの形で日本で発表できればと考えています。

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新年明けましておめでとうございます。

本年も宜しくお願いします。

2013年にも投稿しました、「アルマティの特異な建築 Peculiar architecture in Almaty」の続編です。

アルマティの建築もこれまでかなり見てきたわけですが、

写真を撮ったにもかかわらず記事に挙げていないのもいくつかります。

そういったものも取り上げていきたいと思います。

タクシーに乗っていましたら偶然見つけまして、後から見に来ました。

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日本語で言うところの自動車運転手連合みたいな名前の建物です。

1986年に建設されたようです。

四角い箱に曲面の壁を貼り付けたような表現が非常に特徴的です。

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この曲面がもともと創建当時にあったのか、それとも後から取り付けられたのか分かりません。

数年前の写真を見ると窓がありません。あとから開けたようです。

せめて石を窓周りに貼りなおせばと思いますが。

知り合いの建築家に聞いたのですが、誰が設計したのか分からないとの事でした。

デザイン上から私は、以前紹介した子供宮殿の設計者じゃないかと思ったのですが、全く分かりません。

この表皮を剝がしたかのような、もしくは貼り付けたかのようなデザインは、アルマティで唯一でしょう。

ソビエト建築ではよく見られる手法ですが、代表的なものをあげると、

アルメニアの首都エレバンにあるチェスハウス(1970)があげられるでしょう。

https://en.wikipedia.org/wiki/Tigran_Petrosian_Chess_House

個人的にですが、コールハウスの「引き剥がす」といった初期の手法はこの辺りからきているような気がします。

こちらは、1938年にできた産科病院です。

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正面ファサードに面する通路部分でしょうか、

外部に面する大きな開口部の窓と、内部の窓の開口部の大きさが異なっています。

竣工が1938年ですのでレンガ造だと思うのですが、それにしてはファサードの開口部が非常に大きく

レンガだと支えきれないのではないかと思いますがどうなんでしょうか。

3つの大きな三角状のへこみがありますが、通路部分はどうなっているのでしょうか。

内部に入って一度見てみたいですね。

しかしスパン割としては同じだと思うのですが、内部と外部のこれらの開口部の大きさが異なることにより

外部から見るとファサードの像がずれて、妙な奥行き感を醸し出しています。

偶然の産物だと思うのですが、非常に面白いですね。

最後はこちら、1996年竣工のようで独立以後ですね。

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以前の記事「Brise-soleil architecture in Almaty」で紹介した

中央スーパーマーケット(1978年)に並行するように建てられています。

ちなみに2008年次はこのようになっていました。

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上部部分はまだ増築中でした。

その後低層部に新たにガラスのカーテンウォールが挿入されています。

実際にはどの部分が1996年竣工なのか分かりませんが、特徴的なのがこの大きな庇です。

ジャン・ヌーベルのルツェルン文化会議センター(1999年)の庇のように真っ平らに見えるよう梁を工夫しています。

個人的にはベスニン兄弟のバクーのバイロフ・クラブ(1928)を想起させますね。

影響を受けているのか分かりませんが。

今回は特異というほどのものではないですが、アルマティで僕が知る限り唯一と呼べるデザインでした。

また何かしら見つけましたら投稿したいと思います。

新たに写真をとった建物や以前の未紹介の集合住宅を紹介したいと思います。

 

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バルコニー手摺部分に張り付けたコンクリートの格子のパネルが印象的です。

1977年竣工で、おそらくこのタイプの集合住宅はアルマティでここだけです。

面を貼り付けたような深みのない表現で非常にグラフィカルですね。

 

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上下にカザフパターンを伸ばしたパネルを張り付けたものです。

1987年竣工のようですが、おそらくこの集合住宅がカザフ的な要素を最も表現した建物だと思います。

おそらく階段室だと思いますが、そこにカザフパターンをファサードに配し

イスラム的な門型アーチのような表現を取っています。

 

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こちらは以前紹介したものですが、再投稿です。1982年竣工です。

階段室にカザフパターン、バルコニーにコンクリートパネルを張り付けた表現です。

フレーム状の形態は、ソビエト建築によくみられる表現ですね。

 

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こちらも門型フレームを配したものです。

 

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フレーム状にカザフパターンを配したものです。バルコニーも直角ではなく角度をつけています。

 

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1988年竣工のバルコニーに円形状の開口部を配したものです。

 

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こちらは歩いている最中偶然発見しました。中心に階段室を配し、角度をつけて両側に居室が並んでいますが、

平面の形態はT字状のようになっており、この写真の部分はTの上部の部分です。

私が知る限り、このような平面形式の建物はこれだけです。

竣工は1972年のようですが、定かではありません。

 

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初期のコンクリートパネルのような建物ですが、竣工は2002年のようですが定かではありません。

異なった装飾を施したパネルを階層ごとに用いています。

 

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こちらはビッグ・アルマティ湖に行く途中で発見しました。

年代は不明ですが、おそらく90年代以降かと思われます。

パターンを模した刷り込みによるコンクリートパネルが連続した己状のバルコニーが印象的です。

コンクリート上の刷り込みが赤い部分もあればない部分もあります。

どちらが元のデザインなのかちょっと分かりません。

窓周りにコンクリートのフレームを配していますが、細長い窓も含めて珍しいタイプです。

 

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アルマティのメイン道路の一つゴーゴル通りに面した建物です。

1975年竣工で設計はアルマティギプロゴル。

全体として非常にマッシブで、建物の正面中心部分のみバルコニーをさらに突き出させています。

 

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1990年竣工の建物です。独立の直前ですね。建築家の名前は手元に資料がなく今は分かりませんが、

彼はいくつかの集合住宅の設計を手掛けています。

バルコニーの頂部からアーチ状の付け柱部分を一番下のバルコニーまでかぶせるように伸ばしています。

全体として垂直方向を強調するようなデザインです。彼は他の集合住宅も似たような手法で設計しています。

 

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今回、初めてこのような縦ルーバーを全面に施した建物を発見しました。

隣国のビシュケクでは以前に見たことがあったのですが、アルマティでは見たことがなくおそらくないのだろうと思っていました。

しかし、100mほどの長いスパンにかけて縦ルーバーを施していると圧巻ですね。植栽であまり見えませんが。

ルーバーは上部のバルコニーの下の部分で止まっています。

竣工はおそらく1978年です。

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その集合住宅に連続して小さな交差路に対してカーブしながら直交して連続していく建物がこちらです。

竣工はおそらく1982年。特にこのカーブ部分が非常に特徴的です。

5階建てですが、4、5階にあたる部分でしょうか、バルコニー部分が突き出ています。

カプセルのような表現を取っています。

この2つの集合住宅の設計者は誰なのかまだ分かりませんが、おそらくアルマティギプロゴルではないかと思います。

 

今回未紹介や新たに発見した集合住宅を紹介することが出来ました。

ソ連時代の集合住宅は年代ごとにシリーズで別れていまして、本当はそれにそって紹介しないといけないのですが、

まだ詳しいことは把握できていません。それらを整理出来た後、きちんと紹介できればと思います。

今回は映画館を紹介したいと思います。

ビシュケクの映画館は以前写真のみ少しだけ紹介しましたが、

アルマティの映画館は初めて紹介します。

1950年代から新たな映画館が建て始めたようです(以前は古典様式の建物を使用)。

ソビエト・モダニズム様式の建築が作られていきます。

1960年に映画館アラタウが建設されます。設計はドゥヤトロフ。

正面ファサードの構成は、真ん中がオープンで列柱を配した構成で若干古典主義を意識したデザインでしたが、

2000年に改修されその部分はガラスで覆われて、外壁も青くペイントされました。

(写真はWikipediaより引用)

2015年にマクドナルドの建設のため、残念ながら取り壊されてしまいました。

 

ツェリニー映画館

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建設は1963年です。設計者は今の所分かりません。

ある記事によると、以前紹介したサーカスの設計者、ウラジミール・カーツェフが設計したとありますが、定かではありません。

現在は映画館としては営業しておらず、元はここがマクドナルドに建て替えられる可能性があり、

解体か建物の後ろにあるニコライ教会の外観を通りから見えるようにするため外観変更の可能性がありましたが、

市に譲渡され伝統芸術のアートセンターやギャラリーになることが決定しました。

外壁に施されたレリーフは、グラフィックデザイナー、イエヴゲニ・マトヴェエビッチによってデザインされています。

ただ1998年あたりの写真を見ると外壁には何もありませんので、後から壁画として書かれたと思います。

内部にもあるようですが、入ったことがないのでどのようなものか分かりません。

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アルマン映画館

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設計はコルジェムポ、パニン。1968年に竣工です。

白くペイントされたマッシブな四角い箱に、正面・側面ファサードに施されたレリーフが非常に印象的です。

壁画家コンスタンチンによるものです。創建当時からあるものと思われます。

2階部分が1階部分よりもせり出しており、いかにもソビエト建築といったソリッド感です。

建物上部に白いテントのようなものが張り巡らせれていますが、もとは金属製の装飾です。

以前は覆われておらず見えていたような気がします。

手前にバーガー・キングがありますが、昨年ほど前に増築されています。

1階エントランスの三角形の部分も後から取り付けられたものです。

現在、アルマティ市の歴史的建造物のリストに加えられています。

 

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入り口から見て左側の側面ファサードのレリーフですが、コンスタンチンによるもので、

兵士、宇宙飛行士、女性の革命、豊作などを表現しているようです。

 

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バックヤード側の側面。ファサードです。

外壁に取り付けられた突起物が単調な外観に変化を与えています。

特に日差しがある日は影を生み出し、白い平面に奥行きと深みを与えています。

 

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こちらはピラミッド状のトップライトを伴った内部の吹き抜けのホールです。

壁に石が貼っておりレリーフが取り付けられています。

イスラム的な表現をかたどった門の形をしたレリーフが正面左側に見えます。

どうやら以前はここは屋根がかかっていない外部の中庭だったようです。

 

ArchCodeというアルマティの歴史的ソビエト建築の保存を呼びかける団体がありまして、

建築ツアーを行ったり、フォーラムを行ったりといろいろ活動しておりまして、

私も時たま参加したりしているのですが、そのツアー中にこちらを訪れ中に入りました。

ソビエト時代から働いているらしいロシア人女性が参加者にいろいろ説明していまして(もちろんロシア語)、

その後、参加者に通訳してもらい、この中庭はイスラム的なものを表現していたのかと質問したのですが、

彼女はそうではないと答えました。ただ全くの建築外の人なので確かなのかちょっと分かりませんが、

アルマティのソビエト建築で初めて中庭を設けた建築を目にしました。

 

以前紹介しました「Architecture of the Soviet」に中庭だけの写真が小さく掲載されていまして、

雪が積もってよく分からないのですが、レリーフの下に噴水のようなものがあります(現在は既に取り除かれている)。

このレリーフの意味が解読できれば、この中庭の意味も分かってくると思うのですが、

今の所は分かりません。ロシア語が完全に分かってればと思うのですが。

アルマティで中庭を設けた最初のソビエト建築だとすれば、非常に重要な意義を持っているのではないでしょうか。

今回はサーカス劇場を紹介したいと思います。

アルマティを代表する建築といっても差し支えないでしょう。

http://circusalmaty.kz/

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設計はウラジミール・カーツェフ、竣工は1972年です。

ソビエト時代はモスクワのボルショイ・サーカスでも知られていますように、サーカスは非常に盛んでした。

モスクワのボルショイ・サーカス劇場も1971年に建てられています。

以前、ビシュケクのサーカス劇場(1976)の写真を載せましたが、他の中央アジア諸国と比較して、

アルマティのサーカスは非常にユニークな形態といえるでしょう。

円形アリーナ、管理棟、トレーニング・ルーム、団員の居住施設などで構成されています。

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アリーナ右手に見えるカラフルなレリーフをまとった部分はチケット売り場で、竣工当時から同じデザインです。

その右手に見えるタワーも同様です。

このアリーナ部分ですが、サーカスという機能を果たすため円形になっていますが、

リブ状の屋根も含め、建築家のカーツェフはカザフスタンの文化を表現しようと努めたようです。

つまりユルタですね。

この円形アリーナの外形は、3層の水平ルーバー、回転するようにまとわりつくバルコニーで形成されています。

水平性を非常に強調しています。

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バルコニーサイド部分には手摺壁は回らず、開口されています。回転性を表現するための手法だと思います。

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バルコニー部分の床は先に向かって細くなっています。手摺部分の笠木の板の出が非常に大きいです。

水平性をより強調しようとしているのが分かります。

アリーナは回転するコスモロジーのようなものを、ナショナル・アイデンティティーと同時に表現使用したのではないでしょうか。

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登頂部分は、レオニドフの重工業省コンペ案(1934)のホール部分を想起させますね。

 

アリーナの内部からからドロッと突き出るチケット売り場が印象的です。

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後から塗装されたものだと思っていたのですが、竣工当時の写真を見ると最初から塗装されたカラフルなデザインでした。

 

アリーナの北側に管理棟などが併設されています。

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木の板が壁に貼られていますが、何年か前の改修で貼られたと思います。

エントランス部分から左側はおそらく増築ではないかと思います。

70年代に撮影されたと思われる上空写真にはこの部分はありません。

ネット上で公開されているオリジナルの立面図にもないですね。

今の所、いつ増築されたのか、同じくカーツェフらのチームによってなされたのかも分かりません。

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この増築部分の完成により、全体としてデザインが引き締まったような気がします。

ただ建物自体全体として大きく、高低差が非常にありますので、全体を通して見ることはできませんが。

 

ソ連崩壊後、経営などで紆余曲折あったようですが、2015年に正式に民営化から外されることが決定しました。

アルマティの都市景観のシンボルの一つともいえる建築ですので、

是非ともこれからもその魅力を保ち続けてほしいですね。

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ちなみにカーツェフは、スポーツ宮殿(1967)、メデオのスケートリンク場屋ホテル、

スキー場のチンブラックのホテルなども手掛けています。

アルマティのプール施設「ダイナモ」も彼の設計によるものです。

年代は分かりませんが、大きくフレーミングされた開口部から内部が表出したようなファサードで

バルコニーが突き出した外観デザインです。現在は改修されアルミパネルが貼られています。

オリジナルのデザインが見れないのは残念ですが、彼の代表作に数えられるでしょう。

フランスの建築家・歴史家のジャン=ルイ・コーエン氏の講演がアルマティにて、

フランス大使館の主催にて6月26日、27日と計3回行われ、すべて行ってきました。

https://en.wikipedia.org/wiki/Jean-Louis_Cohen

 

初日はカザリアン・アートセンターというギャラリーで開かれ、講演内容は「アーバン・ユートピア」について、

主にコルビジェの建築やスケッチに関するものでした。

http://sxodim.kz/almaty/event/vstrecha-s-zhan-lui-koenom-i-fotoproekt-urban-utopias/

写真はカザリアン・アートセンターに展示されている屋外アートと一階展示室。

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私は一番前の方に座っていたのですが、講演前にコーエン氏が私の隣に座り、

そのおかげで彼と話すことができました。

以前黒川紀章の事務所で働いていたことを話すと、アスタナのプロジェクトかと聞かれ、

いやその後のアルマティのプロジェクトだと説明しました。

彼は八束はじめ氏と友人だと話し、みかん組のマニュエル=タルディッツは彼の生徒だそうです。

その後講演は始まったのですが、私はてっきりフランス語か英語でやるものだと思っていたのですが、

全編ロシア語でした。

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ロシア語でしたので90%分かりませんでしたが、今まで見たことがないコルビジェのスケッチが出てきまして

非常に興味深かったです。

コーエン氏が関わった、以前にも紹介しました「The Lost Vanguard: Russian Modernist Architecture 1922-1932」を持っていきましたので

フランスの大使館関係者の方が講演後私の本を手に取って紹介していました。

 

講演後、アルマティの建築家とアーティストと談笑するコーエン氏。

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その後、彼と会話することができまして、先の本にサインをいただきました。

彼がサインをしている時に私と一緒に撮った写真を写真家に送ってくれないかとお願いしたのですが送ってくれませんでした。(一応ネットで見つけました)

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2回目の講演は、同日の夕方5時からSIGS Spaceという違う場所で行われ、

講演内容は「未来都市に関する簡単な歴史」に関するものでした。

ルネッサンス時代から、近代までの様々な都市計画が紹介されたのですが、

17、18世紀辺りのフランスの都市計画や1900年代初期のアメリカの都市計画のプロジェクトは初めて知りました。

もちろん、メタボリズムの都市計画やアーキグラム、アーキズーム、1960年代のソビエトの都市計画も紹介されました。

そこで彼がちょっと面白い発言をしまして、個人的には非常に重要な発言だったのですがここでは内容は控えておきます。(以下の写真についてではありません)

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27日は、「ソビエト建築の遺産」というテーマで講演が行われました。

こちらは事前に登録が必要でしてロシア語で登録を行い参加してきました。

https://almaty-urban-re-hub.timepad.ru/event/345627/

個人的にはこの講演に最も興味がありまして、ロシア構成主義の現在の姿を見ることができました。

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ご存知の通り以前解体予定であったシューホフのラジオタワーは保存が決定されました。

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日本の日土小学校に関しても話していました。

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メーリニコフのルサコフ労働者クラブが改修され、側面部分に窓ガラスが付け加えられたのは初めて知りました。

講演後いつものように質問タイムがあるのですが、彼がちょこちょこ私の方を見てきました。

先のレクチャーでは英語で質問をしたのですが、今回は控えておきました(笑

 

これらの講演の前か後かは分かりませんが、インタビューがいくつか行われたようです。

https://kapital.kz/gosudarstvo/51478/zhan-lui-koen-v-lyubom-gorode-mozhet-gospodstvovat-libo-vlast-libo-rynok.html

 

講演後、コーエン氏に挨拶をいたしまして、何かを呟かれました。ここでは秘密にしておきます(笑

本当に実現すれば非常に面白いのですが。

また彼のレクチャーがあればぜひ参加したいですね。日本語で質問できれば一番良いのですが(笑

 

 

 

アルマティにて目に留まる建物がありました。

この建物の竣工は1984年。設計はグラ。この設計者は1960年代に中央デパートも設計しています。

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柱型、梁型、腰壁によって構成された直交グリッド上に施された装飾を食い破るかのように

四角いフレームで切り取られオブジェのようなものが挿入されたファサードが非常に印象的です。

ファサードにこのように彫塑的な装飾を用いるのはソビエト建築のみならず旧社会主義圏で見られる手法です。

この彫塑的ファサードを見るとチェコ・キュビズムやマルセル・ブロイヤーを非常に強く想起させるですが、

何らかの関連性はあるのでしょうか。

近年の日本の現代建築でもよく見受けられる、ファサードを方形のフレームで切り取る手法

(私もいくつかのデザインで適応したことがありますが)もソビエト建築に見受けられます。

アルマティでも、アセム(1976)というグリーンバザールの隣にあるショッピングセンターのファサードにおいて

ブリーズ・ソレイユを全面に施したファサードにこのようにフレームで切り取られた面を挿入しています。

残念ながら現在は全面的に改修されその面影は全く残っていません。

 

初めてこの建物を見たとき、真っ先に思い出したのが、スティーブン・ホール設計のラッフルズ・シティにおいて

挿入されたレベルス・ウッズの「光のパビリオン」やアーキテクトニカの「アトランティス」(1982)の開口部です。

これらはファサードではなく建物本体に開口部を設け、そこに異物を挿入しているわけですが。

話も元に戻しまして、この建物のファサードにおけるフレーミングによる開口とその部分への異物の挿入は、

まさしく異化作用と呼べるものではないかと思います。

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この手法はどこから出てきたものでしょうか。

個人的な推測にしか過ぎませんが、モスクワの1930年代の古典主義建築から来たのではないかと思っています。

この時代は構成主義がスターリンによって衰退していき、古典主義が台頭してきた時代です。

特にワインシュテインのモスクワの集合住宅(1935-1938)や、

アルハゾフの集合住宅(1940)のファサードにみられるように、

柱とアーキトレーブでフレーミングされた部分が非常に特徴的です。

フレーミングされた部分の開口部はバルコニーになっており、壁の色もファサードと違う色彩を適応しています。

内部が剥き出しにされたかのような表現です。

彼らはもとは構成主義者であったようですが(ワインシュテインはソビエトパレスのコンペにも参加していた模様)、

他の構成主義の建築家と同様、古典主義(いわゆるスターリン様式)に転向していきます。

ただ古典的ファサードにおいて、彼らはそれまでの古典主義とは異質な方向性を

ファサードにもたらしたのではないでしょうか。

この建築家がどのような意識で設計したかは分からないですが、

このオフィスビルのファサードの構成は、おそらくそのあたりからきているのではないかと推測しています。

グリッド全体に連続する装飾を断ち切るフレーミングとその異物といえるオブジェの挿入は、

まさしく異化と呼べるものではないでしょうか。

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2010年にも「ルーバーの建築」という記事を書きましたが、新たな建築を追加したいと思います。

いくつか被る写真もあると思います。

 

カザフスタンには数多くのブリーズ・ソレイユの建築が存在します。

比率でいえば隣国キルギズスタンの首都ビシュケクよりも高いような気がします。

ウズベキスタンは訪れたことがないので分からないですが。

以前紹介したものを小さい写真で紹介していきます。

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以前も紹介しましたアルマティ技術大学。ブリーズ・ソレイユとしては非常にユニークです。

柱型が直方形でなく、三角形状になっておりその合間に挿入されています。

建物の南側に設置されています。

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こちらも以前紹介した建物です。以前は建築家連合のようなものが入っていましたが現在は分かりません。

建設は1968年です。長手側面のルーバーは回転可動になっており、

ソビエト時代の写真で一部逆に回転させているものを見たことがあります。

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ここから新しい建物です。

以前にも「アルマティの特異な建築」で紹介しましたシンバット・ビジネスセンターです。

現在は壁一面ペイントされ残念ながら以前のような石による荒々しい印象は消え去りました。

四角い建物にはビジネス・ファッション・アカデミーが入っています。

設計者は分かりませんが建設は80年代のようです。

下の写真が南側になるわけですが、全面にブリーズ・ソレイユを施しています。

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その横にあるソビエト時代の中央スーパーマーケット。

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こちらは以前のスポーツ・パラスです。1967年に建設されましたが2011年に改修され、

外観は全く別のものとなっています。

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こちらはもとからあったのか後から貼り付けたのか分からないですね。そしてブリーズ・ソレイユとしてか、ファサードを強調するためのものかも、分別しがたいですね。DSC03862

 

以前にも紹介したKaz Gu大学です。

設計はモスクワの高等教育施設設計機関、Giprovusにて行われたようです。

代表する建築家に名誉建築家であり、構成主義者がいたようです。

以前にも書いたように友人曰くモスクワで設計がなされたため、高層の建物は南を向いておらず、

ブリーズ・ソレイユの役割を全く果たしていないそうです。

東西方向に施しているので、朝と夕方は果たしていそうですね。

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こちらも裏側は大きなガラスとなっています。

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以前に少しだけ紹介した、KazNTU(研究工科大学)です。

こちらも設計はモスクワのGiprovuz。正確な年代は分かりませんが、KazGuよりは後ですね。

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現在は下の写真のようにブリーズ・ソレイユも両サイドのコア部分もクリーム色にペイントされ、ファサード上のメリハリがなくなっています。

この2つの大学は他の建築と違い、モスクワでの設計です。

ファサードにおけるブリーズ・ソレイユは日射除けというよりも、ソビエト芸術的な力強さを感じさせます。

他と明らかに性格が違います。

 

こちらはアルマティで見かけるもっともユニークなものです。

円形のコーナー部分に垂直方向に施されていますが、

この部分以外にも、水平方向にランダムに貼り付けられたものもあります。

まるで蜂の巣のようなイメージです。DSC07260

通りを挟んで、別のタイプが存在します。

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こちらは集合住宅に取り付けられたもの。知る限りアルマティでもっともユニークなものです。

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これらをブリーズ・ソレイユと呼べるものか分かりませんが、非常にユニークですね。

 

最近分かってきたことは、このようにファサードにブリーズ・ソレイユ的なものを施す手法はウズベキスタン、タジキスタンを含む中央アジア独特のものだと思っていたのですが、

どうやらネットで見る限り1960年代から東ドイツにおいてファサードに装飾パターンを張り付ける手法が出てきていたようです。

僕が知る限り、モスクワにはありません。

アルマティのカザフテレコムや美術館に非常によく似た建物が1960年代にルーマニアで設計されています。

もしかするとですが、このようにファサードに装飾パターンを張り付ける手法は、

旧社会主義圏において、イスラム圏である中央アジアから生まれたのではなく、

60年代東ドイツやその他のヨーロッパに近い社会主義圏で適用され始め、

それが70年代に入り、中央アジアの建築にイスラムスタイルとして適用され始めたのかもしれません。

 

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House of Political Education. 現在はオフィスビルとして使用されています。

竣工は1981年ですが設計は1975年からはじめられたようです。

設計者はY. Ratushny、 O. Balkybayev、 T. Yeraliev で2011年に紹介したHouse officersと同じ建築家です。

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真ん中の重厚な外観の建物が会議ホール、両サイドがオフィス・管理棟です。

両サイドのオフィス棟は同様の外観で構成されています。

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ドスティック通り側から見たオフィス棟。

年代や時代背景からもポストモダンの建築デザインだと分かります。

事実この場所はドスティック通りをはさんでカザフスタンホテル、アバイ通りをはさんで古典主義の現キメフ大学があります。

これらを考慮に外観デザインがなされたようです。

DSC06199(ドスティック通り側のファサード。通りをはさんで右側にカザフスタンホテル)

 

https://www.google.com/maps/@43.2433711,76.9574221,560m/data=!3m1!1e3?hl

傾斜にそってオフィス棟を雁行配置させる手法は、以前紹介した集合住宅を髣髴させます。

もちろんこちらの方が早いと思いますが。

外観は非常にシンプルでHouse officersよりもかなり単純化・反復されています。

 

中央の会議棟が非常に重厚で、ソビエト建築のホールに良く見られるデザインですが、

上部妻側が斜めにはなっていません。

全体に調和させたのでしょうか。その結果非常にマッシブで剛直です。

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オフィス・管理棟やホール上部にはいつもの貝殻の堆積岩による横貼り構成されていますが、

こちらの柱は大理石で縦貼りにすることにより、垂直性が強調されています。

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手前と座席部分の床を支える柱とでも違うタイプの石を用いています。

白くペイントされた梁に対し、柱上部に三角上のものを載せ、それで梁を支えています。

ピン構造のように見えますが、実際はローラーに近いのでしょうか。

異なった石の貼りかた、種類を適用することにより、構造上の役割の違いを表現しています。

設計者、構造設計者のこだわりがここに見て取れます。

とくに白くペイントされた梁の表現はこの建築において大きな特徴となっています。

ソビエト建築の多くのホールは、メーリニコフノのルサコーフ・クラブ(1927)のように斜めに表現されたものが多いわけですが、

床を支える構造を表現したものはそんなに多くないと思われます。

ここにおいてその梁を白くペイントすることにより、周囲とは切り離された異質のオブジェかのように浮き上がっていきます。

夜間はこの部分にライトアップがなされ幻想的です(写真は無し)。

裏側は円形になっており、長方形とシリンダーを組み合わせた形態となっています。

アバイ通りとこの部分に間に集合住宅があり、通りから全く見えません。

ちょっと残念ですね。この部分のみが独自に存在していたとしても良かったと思います。

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長方形と円形を組み合わせるのは構成主義に良く見られる手法ですが、

そういえばコールハウスの台北芸術センターはそのような構成になっていますね。

あれは立方体に球や突き出したホールを差し込んでいるわけですが、

完全にレオニドフの手法を参照していると思います。

 

現在、裏側のオフィス棟に入居者はなく、全くの廃墟のようになっています。

IMG_2560(左がオフィス棟、右側は会議棟の裏側で円形になっている)

一部の窓ガラスが取り外されています。外壁の石もかなりはがれています。

痛みが激しくかなり荒んでいます。

かなりの施工不良のようで、床と壁の接合が不十分で雨漏りなどひどいようです。

構造的にも地震荷重に対して不十分なようです。

去年の終わりごろ、この建物を解体して、あらたにショッピングセンターを作るのではないかと言う記事が出ました。

その約2週間後、それを否定するかのように新たな改修案を盛り込んだ記事が出ました。

大学が入り、耐震改修などを行うようです。

外観は歴史的なものなのであまり変更しないようですが、

案を見る限り、垂直性のみ保持され若干どころか結構変更されています。

このまま残して欲しいところですが。

 

ちなみに前庭の大部分を噴水が占めています。

IMG_2541(撮影時期が冬なので水を抜いています)

ドスティック通りに面しているので、夏季は多くの人が憩っています。

ただ斜面に寄る高低差があるので、アクセスはいいとはいえません。歩行者通りから分断されています。

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改修案はこの辺をかなり良く対応していると思いますが、

パブリックスペースとしてアクセシビリティーは非常に重要なことだと思っています。

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アルマティにある数多くのモニュメント・メモリアルの一つで、ジェルトクサン・サッパエバ通りの交差点にあります。

1986年、アルマティで起きましたアルマティ事件から丁度20年後を記念しまして2006年の建立されました。

デザインは建築家のティムール・スレイメノフ。

アルマティ事件につきましては、以下参照。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%82%A2%E3%82%BF%E4%BA%8B%E4%BB%B6

個人的にアルマティのモニュメントにおきまして意匠的に最も印象的なものです。

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説明によりますと2つの塔は、人々の自己意識の爆発、イデオロジー的規範の崩壊、自由と独立への勝利を象徴しているようです。

また、赤い花崗岩の塔は犠牲と流された血を表し、白い花崗岩の塔は若さと希望を表しているようです。

これら2つを統合する女性の像は右手に和解のための呼びかけを表すハンカチを持ちながら風に向かって手を振り、左手には自由と新たな生活への欲求としての象徴である鳥を掲げています。

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2つの塔にデザインに関して、個人的にソビエトデザインを想起させるのですが、どうでしょうか。

1943年生まれという建築家の年齢を考えるとおそらくその影響はあるでしょう。

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後ろから見たものです。2つの塔がお互いに向き合っているのがよく分かります。

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縦に溝が入っているのがよく分かります。ピラミッド形の突起物が取り付けられています。

カザフスタンのシンボルである、32本の光を擁する太陽と翼を広げて飛ぶ鷹が刻まれています。

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花崗岩の目地とギザギザの切込みがあっていませんが、意図的でしょう。

建築家のティムール・スレイメノフは近年、アルマティ郊外のアンラカイ地域に、1730年ジュンガル民族の侵攻からの戦いにおいて勝利を記念した「アンラカイスコイの戦いのモニュメント」をデザインしています。

http://silkadv.com/ru/node/1740

こちらも相対する2つの塔が向かい合うデザインとなっています。

個人的な印象としてこれらのモニュメントは非常に建築的であるということです(もちろん建築家がデザインしていますから)。

これをこのまま巨大化するとそのまま建築になりえます。

なんとなく、ロシア構成主義の建築家ラドフスキーやクリンスキーあたりを想起させるのですが、

おそらく誰かある現代の建築家がこれをみていたら、これに近いような高層ビルをデザインするのではないかと思っています。

特にコールハースやその周辺の建築家などあたりがやりそうですね。

もちろん私もやってみたいですが。

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かなり久しぶりにカザフスタンの建築に戻ります。

今まで4回ほどアルマティの集合住宅について書いてきましたが、今回で5回目になります。

ソビエト様式の建築(2009年)

https://axelshockie.wordpress.com/2009/12/03/%E3%82%BD%E3%83%93%E3%82%A8%E3%83%88%E6%A7%98%E5%BC%8F%E3%81%AE%E5%BB%BA%E7%AF%89/

新年明けましておめでとうございます(2010年1月)

https://axelshockie.wordpress.com/2010/01/14/%E6%96%B0%E5%B9%B4%E6%98%8E%E3%81%91%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%8A%E3%82%81%E3%81%A7%E3%81%A8%E3%81%86%E3%81%94%E3%81%96%E3%81%84%E3

その他の面白い集合住宅 Part1(2010年1月)

https://axelshockie.wordpress.com/2010/01/22/%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%BB%96%E3%81%AE%E9%9D%A2%E7%99%BD%E3%81%84%E9%9B%86%E5%90%88%E4%BD%8F%E5%AE%85%E3%80%80part-1/

その他の集合住宅 Part3(2010年7月)

https://axelshockie.wordpress.com/2010/07/03/%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%BB%96%E3%81%AE%E9%9B%86%E5%90%88%E4%BD%8F%E5%AE%85%E3%80%80part3/

新年明けましておめでとうございます&面白い集合住宅 Part4(2012年1月)

https://axelshockie.wordpress.com/2012/01/04/%E6%96%B0%E5%B9%B4%E6%98%8E%E3%81%91%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%8A%E3%82%81%E3%81%A7%E3%81%A8%E3%81%86%E3%81%94%E3%81%96%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%EF%BC%86%E9%9D%A2%E7%99%BD%E3%81%84%E9%9B%86/

この記事を書くに当たってPart2がないことに気づきました。。

さて、今回は今まで紹介してこなかった集合住宅を紹介したいと思います。

写真自体は2,3年以上前に撮ったものばかりです。

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コンクリートパネルではなく現場うちコンクリートで建設された12階建てのアパートで、1976年建設です。

真ん中のルーバーを施している部分は階段室です。

このようにコア部分の外部に縦ルーバーを施した建物が非常に多いです。

外観は水平部分が縦を強調するパネルにより分節されています。

より垂直性を強調しています。

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先ほどと似た構成ですが、こちらは12階建てで1981年です。

こちらもコア部分に縦のルーバーを施しています。

そこは外部廊下で、階段室とEV室を繋ぐ連絡通路です。

建物の真ん中に線が見えますが、構造的に切れていまして、エキスパンションジョイントです。

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アルマティの集合住宅でも一際目を引く建物です。

写真の右手部分が後から取り付けられたような印象を受けます。

私が持っている「Architecture of the Soviet Kazakhstan」にも、

「レイアウトを変更してアパートに部屋を挿入したもの」と記述されていますのでおそらくそうでしょう。

年代は分かりません。

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このエントランス右側のシリンダー部分が気になるのですが、階段室でしょうか。

その右奥にも上部が斜めにカットされたボリュームがあります。

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1階部分にこのようなレリーフがあります。

「この建物にはカザフスタンの名誉ある建築家、ユーリー・ラツシュニー(正確な読みは分かりません)が1978年から1996年まで住んでいた」と書かれています。

ラツシュニーは有名な建築家で、以前紹介したrepublic Palace,House of Officersや

未紹介ですがKazakhstan Hotelにも関わっています。

ただこの建物の設計には関与していないと思います。

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中心からは結構離れたところに位置する集合住宅です。

1階部分がショップとなっています。

年代は分かりませんが1975年前後でしょう。

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地上階前庭を庇のようなものを回して囲っているのですが、どうしてでしょうか。

建設当時は子供用のショップだったようなので、そのことも関係しているのでしょうか。

よく見ると気づくのですが、両端が左右対称になっていません。結構珍しいですね。

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ファサードが細かく分節されているのが分かります。

階段室部分は縦方向に3分割され、真ん中のスリットに水平バーを取り付けています。

居室部分には、3つの縦ルーバーを設け、水平のバーで支えています。

非常にリズミカルですね。

IMG_0936 隅部のデティール。

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こちらは年代も設計者もさっぱり分かりません。

一見すると日本でもあるようなただの集合住宅です。

しかし珍しいのは、バルコニーが全室にあるということです。外部廊下のようにそのまま伸びています。

日本同様、仕切り板のようなパネルで仕切っています。

面白いのは、バルコニーの手すりに交互に縦格子をはめ込んでいることですね。

もしかしたらこの建物は寮のような機能の建物かもしれません。

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こちらも年代、設計者ともに分かりませんが、カザフパターンのオアネルが組み込まれているのを見ると

独立以後かもしれません。個人的にファサードの分節の比率が美しかったので写真を撮りました。

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ちらも年代、設計者ともに分かりませんが、以前紹介した、「ヴォリューム」の解体 Dismantling of `VOLUME`」

https://axelshockie.wordpress.com/2013/04/20/%EF%BD%A2%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%A0%EF%BD%A3%E3%81%AE%E8%A7%A3%E4%BD%93-dismantling-of-volume/

にて紹介したかったのですが、忘れてしまい、今回載せました。

建物の壁の格子状のような物の上に、上下交互に凸状とでも言いましょうか、パネルを貼り付けています。

この操作により、ファサードをより2次元的なものにしています。

さて、今回はここまでにしたいと思います。

まだ他の集合住宅の写真がありますが、次回以降にしたいと思います。

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このブログを書き始めた頃の5年前に紹介したこの建物、未だにわかっているのは、モスクワにあったモスプロジェクトによる設計で、

ウズベキスタンのタシケントにも似たようなものがあるらしい、ということしか分かりません。

先のカザフスタンの建築の本にも掲載されていません。

いつか時間があればもっと調べてみたいですね。

以前告知した劇場を紹介したいと思います。

正式名称を、State Academic Russian Theatre for Children and Young People named after N. Satsと言います。

1982年完成。設計者はAA Petrova, ZM Mustafina, GS Dzhakipova、エンジニアは GI Chairs, GI Nikitinです。

アルマティで設計されたのか、モスクワにて設計が行われたのかは分かりません。

http://www.tuz.kz/

https://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%93%D0%BE%D1%81%D1%83%D0%B4%D0%B0%D1%80%D1%81%D1%82%D0%B2%D0%B5%D0%BD%D0%BD%D1%8B%D0%B9_%D0%B0%D0%BA%D0%B0%D0%B4%D0%B5%D0%BC%D0%B8%D1%87%D0%B5%D1%81%D0%BA%D0%B8%D0%B9_%D1%80%D1%83%D1%81%D1%81%D0%BA%D0%B8%D0%B9_%D1%82%D0%B5%D0%B0%D1%82%D1%80_%D0%B4%D0%BB%D1%8F_%D0%B4%D0%B5%D1%82%D0%B5%D0%B9_%D0%B8_%D1%8E%D0%BD%D0%BE%D1%88%D0%B5%D1%81%D1%82%D0%B2%D0%B0_%D0%B8%D0%BC%D0%B5%D0%BD%D0%B8_%D0%9D._%D0%A1%D0%B0%D1%86

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以前はAHBKと呼ばれた文化宮殿でありまして、コットンのプラントでもありました。

文化省が1985年に解体し、現在のように子供用の劇場になったのは、1996年だと思います。

 

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個人的には典型的なロシアン・モダニズムだと思います。最初写真で見た感じそんなに興味は沸きませんでしたが、

実際に見てみると意外と迫力があります。

 

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正面のバルコニー部分にモザイクタイルで装飾を施しています。

これは最初からあったのか、それとも子供用の劇場として使用された後なのかは分かりません。

バルコニーの1階は駐車場になっています。

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ワッフルスラブにより大スパンを実現しています。明るい部分がありますが、おそらく天窓になっているのだと思います。

グーグルアースで見た限り、上に屋根をかぶせているようです。上に上がれず確認はできませんでした。

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バルコニーの両サイドはキャンチレバーになって突き出しています。

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こちらはサイド部分です。おそらく階段室ですね。

 

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劇場の裏側です。かなり大きな搬入口ですね。4階部分でしょうか、バルコニーへの梯子がありますが、避難用でしょうか、それともアプローチ用でしょうか。

 

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ホール上部の切れ込みは何でしょうか。雨樋ではないと思うのですが。

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建物の横には噴水があり、子供たちの遊び場となっています。

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これは後から改修されたものであり、もとは正面バルコニーに張られているようなモザイクタイルのものでした。

 

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見上げた写真。こうしてみると細かい構成がよく分かりますね。

ただ石の張りかたは非常にオーソドックスですね。一部大理石を使っていますが、基本的に全部同じです。

 

この劇場は中心地から離れた所にあり、竣工時には周辺にはあまり建物がなかったのではないでしょうか。

その当時、かなりの存在感だったと思います。

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