Category: ビシュケク


現在所用でビシュケクにいます。

今まではタイトルに番号をふらず、その他の建築とだけタイトルをつけていたのですが、

よく分からなくなるので番号を振りました。

2010年に初めてビシュケクを訪れて数多くのソビエト建築を見てきたわけですが、

前回のブログにも書いたようにほとんど見たんじゃないかと思っていたのですが、

まだまだありました。

以前の記事にも書きました「Architecture of the Soviet Kyrghizia」にも掲載されています、学校です。

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文法の学校のようで学校の番号は69です。ソビエトの教育システムは欧米や日本と異なっていまして、

私は詳しいことは分かりません。

竣工は1970年代後半から80年代初期だと思うのですが、正確なことは分かりません。

エントランス庇の付け根に取り付けられた大きな樋が目につきます。

先の本にもこのブリーズ・ソレイユとも呼べる日除けのパネルがついた写真が掲載されていますので、

後から取り付けられたのではなく、オリジナルだと思います。

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これをぐるっと回って裏手に行きますと目に飛び込んできたのは、

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おそらく体育館だと思いますが、

ガラス部分、レンガ、レンガ上に窓フレーム、そしてレンガの上にモルタルコンクリートを張り付けています。

これは重ね合わせの手法といっていいのではないのでしょうか。

窓フレームが木製ですので、ソビエト時代からだと思います。

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木で隠れてよく見えませんが、コンクリートの壁が斜めにガラス窓部分まで伸びてきて、また下がりレンガを表出させています。

異なるレイヤーを重ね合わせた表現といっても差し支えないでしょう。

 

そこから歩いていきましてコスモパークというショッピングモールに向かっていきましたら偶然発見しました。

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通行人に聞いたところ、プールで1985年あたりだそうです。

それ以外の情報は今のところ全くありません。

ファサード上の波打つような縦ルーバーが非常に印象的です。

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上下タイプのの2つの異なったルーバーの組み合わせですが、非常にリズミカルに感じます。

当初はコンクリートそのもでしたが、後から水色にペイントしたのではないかと思います。

アルマティ同様、ビシュケクでもこれまで紹介したように縦ルーバーの建築は数多く存在しますが、

この建築が表層としてルーバーのみで表現されています。

樹木がなければもっとよく見えるのですが。

これまで紹介してきた中で最も現代的のような気がします。

 

こちらは中央ヒーティングセンター。1977年で設計はゲルマン・ムリャビン

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木で見えませんが、円形窓がサイド部分にもいくつか取り付けられています。

印象的なのが正面ファサードの斜めに向いた出窓といえばよいのでしょうか、突起物です。

明らかにマルセル・ブロイヤーのホイットニー美術館(1966)を想起させますね。

 

今回は3つの建築の紹介ですが、個人的に上記の2つには驚きました。

先にも述べましたように、おそらくもうないだろうと思っていましたので

発見した時は非常に驚きました。

またの機会に新たに発見出来たらなと思います。

2012年にも紹介しました、Ethno-complex SUPARAの新しい施設です。

http://chunkurchak.supara.kg/

実際に訪れたのは2014年の夏です。

ビシュケク在住の知人がオーナーの奥さんと親戚にあたるので、知人とともに訪れてきました。

スパラから車で約40分くらいでしょうか、ものすごい山奥にあります。

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ようやく集落らしきものがありまして、そこを左に曲がって登っていきますと、新しいスパラがあります。

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車から降りて歩いていきますと、目に飛び込んでくるのはまるで宇宙船かのような新しいユルタの集合体。

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この建物をを非常に見てみたかったのです。

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ユルタの上部に新たに小さなユルタを載せているのですが、木造でよくこんなアクロバティックなものを作ったなと。

 

下のユルタ部分はカフェやコンファランスホール、上部はバンケットになっています。

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隣は木を伐採して広場となっており、そこでバーベキューなども楽しめるようになっております。

その広場にはユルタの断面系を伸ばしたような個室のホテルも併設されています。

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訪れた当時、まだ建設は終わっておらず、壁や天井に泥を塗りつけている(叩きつけている)現場を見せてもらいました。

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泥を塗りつける前の壁です。このままでもデザイン的に面白いですね。

特に右側は抽象絵画的です。オーナーに意図的か聞いたら、たまたまだと言っていました。

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細かいところを見ると、やはりディテールに凝っています。

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オーナーと話をさせていただく機会がありまして、一緒に食事をしながら、いろいろ話をさせて頂きました。

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彼は以前にも書きましたように、大学で建設を学んだようですが、建築に関しては学んでいないようです。

ただ幼い時に存在していた伝統的な工法や建物を、伝統的なレストラン施設にて蘇らせたかったようです。

奥さんも伝統を非常に重んじる方で、伝統楽器を非常に愛しておられました。

親戚の方ともお話をし、ロシア構成主義のラドフスキーの建築についてちょっと話をしました。

 

裏のほうに小高い山が続いておりまして、そこからの眺め。

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建物の構成として、ユルタに居室がまとわりつき、その居室にユルタを載せているのが分かります。

現在はこの斜面部分に小さなユルタに四角い附室を取り付けた個室のホテルが数多く建てられています。

 

上部のバンケットホールにも入らせていただきました。

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オーナーの奥さんから、先の小高い丘の頂上にホテルを建設したいので

何かデザインをしてくれないかとお願いされました。

デザインをして渡した後、残念ながらオーナーは昨年病気のため亡くなってしましました。

非常に残念ですが、追悼を込めてコンセプトの画像を掲載します。

Supara hotel concept-1

 

上部のバンケットのユルタのトップライトからテーブルに差し込む光。非常に印象的でした。

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機会があればもう一度訪れてみたいですね。夏の季節もいいですが、真冬の季節も異なった魅力がありそうです。

 

久しぶりにビシュケクの建築について書きたいと思います。

大方見たいものは見たんじゃないかと思っていましたが、やはりまだまだありました。

ネットで偶然発見した建物です。。

正確な場所が分からず、古い写真からバックの建物を頼りに公園を歩いて見つけました。

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以前はお土産屋だったようですが、カフェバー・スネイルという名で親しまれていたようです(現在は閉鎖)。

竣工は1975年で、設計はムハマディエフ。

まるでザハ・ハディットを想起させるかのようなうねる曲面体。

近年、世界でも注目されはじめてきたソビエト時代のバスストップに共通する曲面のデザインです。

このようなタイプはアルマティでも見かけたことがありません。

 

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シェル構造だと思うのですが、大きな開口部分はおそらく柱で支えているのではないでしょうか。

しかし人間の筋肉隆々な肉体美を想起させる見事な曲線美です。

ビシュケクの建築ではよくみられる細長い大理石を張り巡らしていますが、

継ぎ接ぎかのように、方向を変えています。

それにより、曲面のうねり具合がより強調される形となっています。

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店の正面左手に、石を積み上げたような彫刻といえばよいのでしょうか、オブジェのようなものが設置されています。

近くで見てみたかったのですが、閉鎖されているので、近寄ってみることはできませんでした。

コンクリート造ですが、あの当時どのように設計・施工を行ったのでしょうか。

私も10年以上前、中国のオリンピックのスタジアムなどで、

3次元曲面の設計を3Dソフトにて行ったことがあるのですが、非常に大変でした。

そういえばコルビジェのロンシャンの設計図も見たことがないですね。

現在閉鎖中ですが、このまま解体することなく, 新たにカフェとか何かの用途でオープンしてほしいですね。

内部を見てみたいですし。

 

こちらはキルギズ国立大学の分棟である実験棟です。

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竣工は1974年ですが設計者は今のところ分かっていません。

こちらも先にネットで見つけ、ビシュケクの住所を頼りに探しました。

敷地内にありますので、警備の方にお願いし、快く中を通して見せていただきました。

側壁を見るとわかりますように、コンクリートパネルによる建築です。

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突き出した部分を、何かしら装飾を施すというのはソビエト建築によくみられる手法で、

この建物も見事なモザイクタイルで装飾を施しています。

床部分が上方に折れ曲がり、この側壁と連続して一体感を生み出しています。

この連続性もソビエト建築によく見られます。

以前紹介した、ビシュケクのSport Palaceもうそうですし、

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ロシアのチェリャビンスクにある1967年に建設されたスポーツ施設ユースは、非常になめらかな曲線を描いています。

現ベラルーシのミンスクにあるスポーツパラスを参考にしているようですが、

これらを見ると、コールハースのエデュカトリウムそっくりなわけです。

コールハースはエデュカトリウムの設計の際これらを参照したのではないかと個人的に推測しています。

 

こちらは名もなき全く正体がわからない建築です。

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グラウンドレベルを半地下とし、2階へのアプローチに斜路を用いています。

これを表現したいがために、半地下としたのでしょうか。

以前ビシュケクで、「shtab」というアートセンターのようなものをネットで見つけまして、電話して訪れてみました。

英語を喋れる方がいて、ライブラリーを見せてもらいました。

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ソビエト時代の建築の本がいくつかありまして、ビシュケクの建築の本もありました。

英語を喋れる方に、その半地下の建物のことを聞いたのですが、全く知らなかったようです。

逆に教えてもらったのが、ビシュケクの中心地に構成主義の建築があることでした。

全く見過ごしていたのですが、一見ごく普通の建物でして全く気づきませんでした。

次回、機会がありましたらまたここを訪れてみたいと思います。

 

こちらは現在建設中の高層マンションですが、是非このまま完成しないでほしいですね(笑

なぜ中間層に煉瓦の壁を立ち上げていないのか不明ですが。

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さて、川沿いの道を歩いていましたら建設中の住宅を偶然発見しました。

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多層に連なる傾斜屋根。

もうびっくりしましたね。明らかに日本の妹島和代やSANAAの建築を参照していると思います。

敷地境界の石造の障壁も屋根に合わせて高さを変えています。

しかしこの複雑な屋根の構成や木造の構造にどうやって煉瓦や断熱材を収めていくのか、

是非この目で見てみたいと思っています。

こちらは冬はアルマティより若干暖かいとはいえ、断熱材はかかせません。

知り合いのローカルの建築家に誰が設計したのか聞いてみたいと思います。

こういうのをやってみたいと思っていたのですが、先にやられたかとの思いが強かったですね。

まだいくつか未紹介の建築がありますが、今回はここまでにしたいと思います。

 

沖縄の建築について書こうと思っていたのですが、ひとまずクッションをおいて書きたいと思います。

今までほとんどソビエト時代の建築についてでしたので、

今回はビシュケクの新しいカフェ・レストランについて書きたいと思います。

 

「JIRO」。 寿司屋ですが、名前のとおり日本の次郎寿司から来ています。

2年ほど前にオープンしましたが、すでに閉店しています。

映画を見てインスパイヤーされたんでしょう。

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内部も同じようなデザインです。

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ビシュケクの中心部ではなく、少し離れた所(といっても小さな都市ですので中心部といえば中心部)にありまして、

個人的には黒を背景としたドットによる表現は好きでしたが、中に入っただけで食事はしませんでした。

現在は別のカフェになり、外装はブリックを貼られ白くペイントされています。

 

こちらはチュイ通りにあるカフェ。

壁のレリーフはソビエト時代を髣髴させますね。

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同じくチュイ通り沿いのカフェのレリーフ。

昨年イタリア料理の店に変わり、現在はレンタル中です。

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アフンバエバ通りのファイーザという伝統スタイルのレストランの横にあるカフェのエントランス。

キルギスに良く見られる細長い石を貼り付けた装飾です。

ビシュケクはこのようなタイプが建築も含めて数多く見受けられます。

キルギスデザインの大きな特徴となっています。

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アブサマット通りにあるウクライナ料理の店「コルチマ」

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ビシュケクのジョージア料理の店の天井にも同じように竹を貼っているのですが、どこの竹でしょうか。

おそらく中国からではないかと思いますが、店員に聞いても分からないと言われました。

 

その近くにあるレストランの壁の装飾。

白くペイントしたレンガに木の装飾を重ね合わせています。

このような方法論は個人的に興味を引きますね。

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以前も紹介した体育館の横にあるレストラン「ARZU」。

ここは非常に美味しくよく訪れます。

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インテリアの壁の一部。

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こちらは、とあるカフェの壁。

眼鏡をかけておらず、カップが浮いているのかと一瞬思いました。

もちろん天上から糸で吊っています。

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伝統料理の店「テュべテイカ」

アルマティにも同名のレストランがありますが全く別です。

キルギス紋様を配したインテリアです。伝統スタイルの店でよく見受けられます。

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アフンバエバ通りにある「ブッダバー」。

その名の通りカウンターに仏像が配置されています。

ここは何度も訪れています。

丸太を組んだ構造ですが、所々ディテールを見るとかなり精度が高いです。

逃げがほとんどない納まりもあります。

内部に4本の柱があるので、その空間を結界のようにすればいいのにといつも思っています。

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以前ビシュケクの建築を紹介した際にも出てきたカフェ。

ソビエト時代から存在します。

キャンデラを明らかに想起させるこのようなシェル構造の建物は、

ここビシュケクだけでなくソビエト圏内によく見られます。

中に入ってみたいのですが、現在閉鎖中です。

誰か新たに購入してカフェでもを開いてくれませんかね。

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さて、今回最も紹介したかったカフェ「CAVE coffee」。

一目で何を元にしているか分かると思います。

隈研吾設計の大宰府のスターバックスですね。

2年ほど前はじめて訪れましたが、店員に大宰府のスターバックスの写真を見せた所、知っていました。

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聞くところによると設計はビシュケクの高麗人で現在はウズベキスタンに住んでいるとの事でした。

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コンクリート打ち離しに見えるような壁は、壁紙です。

もちろん壁はレンガですので、ボードの上に貼っています。

こちらではコンクリート打ち離しはまず無理ですね。

外部は断熱をしないといけません。その前に打ち離しの技術自体がないですけど。

1階のソファーは壁に合わせてグレーにしているのがわかります。

2階の手すりも黒のフレームを用いています。

しかし設計者はH鋼のようなものを使用したかったんじゃないでしょうか。

仕方なく既製品を用いているかのような印象を受けました。

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木の材料がよく分からないのですが、地場産のようです。釘で打ち込んでいるのが分かります。

ちょっと荒くて汚いですが。。

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これをよく見ると分かると思うのですが、木材を天井裏から吊っているのが分かります。

天上は既存だと思いますが、小さな穴を開けどうやってワイヤーを通し天井裏に留めたのでしょう。

非常に不思議です。日本でも恐ろしいほど難解な施工です。

デザインを真似たことよりも、よく施工できたなと正直感嘆しました。

 

知人と話していたところ、どうやら職人は知人の知人でした。

かなり腕がよいらしくいい仕事をするそうです。その代わり高いと(笑

彼が作った木工細工を見せてもらいましたが、非常に精度が高いです。

そういう職人がビシュケクに入るんですね。

私ももしビシュケクにて依頼があれば彼に頼んでみたいと思っています。

 

ちなみにこちらはCave Coffeeのプロモーションビデオです。

 

 

日本ではカフェのオープンでこのようなビデオ作成はまずないですね。

都市の規模自体がまず違いますが。

見ての通り、デートでも良く使われます。

 

ここで紹介した以外にも数多くのカフェ・レストランを訪れました。

総じた印象として、アルマティと比較して洗練されている印象を受けました。

カフェで流す音楽自体、志向が若干違います。

アルマティも3年ほど前から数多くのカフェができてきました。

アブライハーン通沿いは現在カフェ通りといってもよいほど、カフェが沢山あります。

インテリアデザインの傾向としてナチュラル志向が強いですね。

あるカフェ・チェーンのオーナーになぜ私にデザインを依頼しないんだと言ったら、

コンセプトが違うと言われました。アルマティにないようなものをデザインしてあげるのに(笑

それはさておき、カフェ的な空間コンセプトは世界的な流行のようです。

 

かなり久しぶりの更新となりました。

5月にトルコのイスタンブールを1週間ほど訪れ、そのことについて書こうと思ったのですが、

あまりにも写真が多く、情報など色々整理しないといけないため、後ほどアップしたいと思います。

 

先日ビシュケクに10日ほど滞在していました。

以前から気になっていた建物がありまして、行ってきました。

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Dasmia

http://www.dasmia.kg/

カフェやレストラン、結婚式場の複合施設です。

この道をまっすぐ行きますと、ユルタの形状の結婚式場があります。

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この日はラマダンのせいかレストランも含め閉まっていましたが、支配人がいまして特別に見せてもらいました。

屋根はトップライトになっており、カーテン幕で覆われ、青い光が天上から降り注いでいました。

まるで深海にいるような幻想的な空間でした。

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奥の壁が電動式になっておりまして、開けゴマのように開きますと、

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そしてその奥には

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ちょっとびっくりしましたね。

この三角上のものが道路から見え、非常に気になっていたのです。

真ん中正面の造木は、愛を表すものだそうです。しかしこの両サイドの三角形の屋根状の物は何のためか分かりませんでした。

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どんな材料を使ってこのパターンを作り出しているのかなと思って近寄ったら、印刷したものでした。。。

非常にキッチュですね。作られた異空間といった印象でした。

こちらでも結婚式のパーティーを行います。非日常を演出する場所なのでしょう。

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後日、ブラナの塔に行ってきました。

ビシュケクから車で約50分ほど東に行ったところにあります。

http://en.wikipedia.org/wiki/Burana_Tower

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バラサグン遺跡の一部で、11世紀のカラハン朝時代のものだそうです。

基壇は8面体で、上部は筒状になっています。

建設当時は高さが45mあったようですが、15-16世紀の地震で崩壊し、現在は23mです。

別の角度から見ると、若干傾いています。

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外部階段が取り付けられており、そこから2階内部に入り細くて非常に狭い階段を上がって屋上まで登ることが出来ます。

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ブラナの塔のすぐ近くに石人(バルバル)が野外に展示されています。

キルギス全土から集めてきたようで、作成時期は6世紀から20世紀前の広範囲に渡るようです。

一つ一つ顔や姿勢、体型が異なります。

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石人の展示場から見たブラナの塔。点在している様子がよく分かります。

右手の丘はバラサグン遺跡です。

 

今回この塔を訪れて気づいたことがありました。

塔の上部に5層のイスラムの文様が施されているのですが、層ごとに違います。

そして基壇の部分に施されている文様も各面違います。

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非常に興味を覚えたのですが、これらを見てぴんと来ました。

以前紹介したキルギスのナショナルライブラリーです。

「National library in Bishkek」

https://axelshockie.wordpress.com/2012/07/01/national-library-in-bishkek/

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このファサードに取り付けられた物は、最初ロシア芸術に近いものかなと思っていたのですが、

ブラナの塔を見て、このイスラムの文様から来たのだなと、ピンときました。

市内のあるレストランですが、その参照が見て取れます。

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おそらくウズベキスタンにもこのようなものが沢山あるのかもしれません。

ウズベキスタンの首都タシケントにあるウズベキスタンホテルのファサードはその典型的な例かもしれません。

http://www.hoteluzbekistan.uz/en

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後、幾つかの集合住宅や建物など。

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バルコニー部分に意匠を施したものです。ビシュケクはアルマティと比較して、凝っていますね。

 

ビシュケクでも観光客などに有名なオッシュバザールにあった建物。中に店が入っています。

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以前紹介したピンク色のルーバーの建物の横の建物

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自動車の洗車場。完全に構成主義のデザインですね。

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カフェの内部壁。ビシュケクではこのように細長い石を貼り付けているものが非常に多いです。

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最後に、市内からマナス空港に向かう途中にあるモニュメント。ペレストロイカ以降に建立されたようです。

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さて、この2年間かなりの数のビシュケクの建築を紹介してきました。海外で知られたものや未知のものなど、数多く紹介できたと思います。

次回からカザフかイスタンブールの建築を紹介したいと思います。

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遅くなりましたが、新年明けましておめでとうございます。

昨年10月以来の更新となりました。

こちらアルマティは暖冬で非常に暖かく、新年といった雰囲気はまったく感じられませんでした。

1月中旬に所用でビシュケクを訪れました。

ビシュケクを訪れるのはもう何回目でしょう(笑

今回はそれほど街中を歩き回らず、ほんの少しだけ建物の写真を撮ってきました。

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ソブェツカヤ通りとモスコフスカヤ通りの交差点にある集合住宅です。

以前書いた記事、「ビシュケクの集合住宅 Part2」

https://axelshockie.wordpress.com/2012/04/28/%E3%83%93%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%B1%E3%82%AF%E3%81%AE%E9%9B%86%E5%90%88%E4%BD%8F%E5%AE%85-part-2/

に掲載していませんでした。

おそらくビシュケクにおける集合住宅において、表層にもっとも多くのパネルを貼り付けたものだと思います。

建物竣工時からそうであったのか、もしくは後から貼り付けたのかどうかは分かりません。

 

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こちらは、建物自体はそれほど変わったものではないですが、低層1階部分に、シリンダー状のコンクリートを斜めに切って貼り付けています。

一部の2階部分のバルコニーはそれらと共に同じシリンダーの形状となっています。

このようにシリンダーのコンクリートをカットして貼り付けた物は、初めて見ました。

 

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こちら今回初めて見たのですが、バルコニーの片側の隅部に、シリンダー状のスラブを貼り付けています。

なぜこのように取り付けたのかさっぱり理由が分かりませんが、道路に面したファサード部分ではまったく活用されていません。

裏側部分ではその部分を壁を作ってバルコニーとして、一部使用されています。

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バルコニー用というよりは、カプセルを取り付けたという印象が非常に強いですね。

恐ろしく狭いスペースです。目的がまったく推測できませんが、もし設計者と会うことが出来ればその理由を聞いてみたいですね。

 

こちらは昨年の夏に撮影したもので、「Architecture of the Soviet Kirghizia」にも掲載されています。

https://axelshockie.wordpress.com/2013/07/21/architecture-of-the-soviet-kirghizia/

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バルコニーにかなり大きなデザインされたプレキャストコンクリートを使用しています。下手するとそれだけですが。。。

 

こちらは集合住宅ではなく、以前紹介した結婚式場の内部です。

実際は式場でなく、結婚のサインをする場所ですね。

奥のほうはステンドグラスになってまして、結婚のサインをする部屋です

警備の方に聞くと、式がまだ始まっていないので、5分程度ならいいとの事で、撮影許可をいただきました。

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ビシュケクに来ると建物ばかり見ているように思われますが、そんなことはなく、

よくセンターの屋外ギャラリーを訪れます。ここに展示されている絵画は非常に好きですね。

可能であれば幾つか購入したいです。

3年ほど前のブログにも載せたと思うのですが、その幾つかを。

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パブにて、一風変わったサラダがあったので。

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ビシュケクって、捻ったデザインが多いですね。とても面白いです。

次回からカザフスタンの建築に戻りたいと思います。

現在所用でビシュケクにいます。

街中を歩きながら、ふとアートギャラリーの看板が目に付いたので、建物の中に入っていくと、そこに建築のプロジェクトとビシュケクの建築の写真が張っていました。

もしかしてここは建築関係の所ではないかと思い、ある一人の人に話しかけました。

彼にある本を知っていないかと尋ねたところ、なんと彼は持っていました。

Architecture of the Soviet Kirghizia

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ついに見つけました。ビシュケクの若い設計者から、この本があるとは聞いていたのですが、

まさか自ら偶然発見するとは思いませんでした。

彼はアゼルバイジャンの本も持っていました。

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彼はどうやら先生のようで、設計も行っているようです。彼曰く、昨年ヨーロッパ人がここを訪れたようです。

おそらくウィーンで行われた展覧会の関係者ではないかと思います。私より一足先に早かったか(笑

残念ながらこの本はもう手に入れることはできず、コピーするしかありませんでした。

彼に色々とこちらの建築について聞きたかったのですが、言葉も通じず、時間もなく、いつか機会があれば詳しく聞いてみたいですね。

ちなみに彼は丹下健三の本を持っていました(イタリア語)。ついでに黒川紀章も知っていました。

 

ざっと眺めた所、私の知っている建築は大体網羅されています。

ただ1986年出版のためか、1980年代中期以降の建物はあまり掲載されていません。

この美術館も1974年完成なのに、なぜか掲載されていません。

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そういえば以前紹介したアルマティの美術館(https://axelshockie.wordpress.com/2012/02/11/the-state-art-museum-of-the-republic-of-kazakstan-after-abylhan-kasteyev/

もカザフスタンの本には掲載されていませんでした。なにかしら理由があるのでしょうか。

ちなみにグルジアの本もどこかにあるそうです。おそらく図書館ではないでしょうか。こちらもぜひ手に入れてみたいものです。

この本を読んで驚いたことは、1980年代から国際コンペに参加していることです。日本で行われたExpo-85や他の国際コンペにも参加していたようです。

この当時まだソビエトだったわけですが、国家機関として参加していたのでしょうか。

1966年には旧チェコスロバキアにてとある都市のマスタープランも手がけているようです。

 

街を歩きながらいくつか写真を撮ったので掲載します。

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中央の公園にあるパビリオンですが、てっきり独立以後に建設されたものとばかり思っていたのですが、本によると1952年です。

 

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こちらは昔から使われている瓦屋根です。おそらく土から作られたものではないでしょうか。

とても汚れやすく、北側の部分は太陽が当たらず残雪のせいか、南側よりも汚れたものが多いです。

この建物は屋根部分のボリュームが大きく、壁との対比が良かったので写真を撮りました。

この瓦、使える機会があるなら使ってみたいですね。

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こちらは以前にも写真を載せたキルギズ・アカデミック・ドラマ・シアターですが、個人的にはこの外部階段が非常に特徴的だと思っています。

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この外部階段の裏の搬入口でしょうか、その上に鉄骨が出ているのですが、

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個人的にはとても構造体には思えないのですが、何かしらレリーフ的なものを表現したのでしょうか。

今回初めて気がつきました。

 

ツム(デパート)からみた以前紹介したキルギステレコムと集合住宅

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個人的にはビシュケクを代表する建築に、先の美術館とこの集合住宅が上げられると思います。

今回、キルギスの本を見つけることができて本当に良かったです。

機会があればこちらの建築家とも色々話してみたいですね。

 

今回はビシュケクのモニュメント、メモリアル、記念碑を紹介したいと思います。

これでビシュケクの建築の紹介は最後になると思います。

Pobeda (Victry) Square

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ビクトリー広場にありまして、第2次世界大戦の勝利を祝って建立されたようです。

以前にも書いたようにユルタを模したようです。結婚式の際多くの新郎新婦が訪れます。

こちらのポストカードに載るほど非常に有名な場所でもあります。

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ホワイトハウスの前に建立された石碑

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2010年キルギス騒乱 http://ja.wikipedia.org/wiki/2010%E5%B9%B4%E3%82%AD%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%82%B9%E9%A8%92%E4%B9%B1

の際に亡くなった犠牲者を奉った石碑です。ホワイトハウスのすぐ横にあります。

キルギス語で書かれていると思いますが、2010年と刻まれているのが分かります。

私はこの騒乱が終わった直後にビシュケクを訪れました。その当時はまだ暴動の後が残されていました。

弾丸が通過した跡が残った門扉や焼け跡など、残されたままでした。

昨年この石碑に変わり新しいモニュメントが建立されました。

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白が正義、黒が邪悪という意味でしょう。

すぐこの裏にモニュメントがあります。

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Пам’ятник Дружби народівと言われているようです。

何か友好的なものを表しているようですが、よく分かりません。

 

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こちらはアフガニスタン戦争後に建立された記念碑で、公園内にあります。

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Ata-Beyit  memorial

Chong-Tashというセンターから山に向かってかなり離れた場所にあるメモリアルです。

1937年の11月、138人の人々がスターリンによって処刑された場所です。

かなりの年月の間ずっと秘密にされていたようですが、ソ連崩壊後、明るみになったようです。

ある老女が明るみにしたようですが、彼女の祖父がその惨劇の目撃者で亡くなる前に彼女に伝えたようです。

それを彼女が崩壊後伝えられたことを話し始めたのがきっかけのようです(Guide bookより)

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円形状に見えるのが被害者を奉った物で、キルギスを代表する人物もここに奉られているようです。

先の暴動で亡くなった方もここに奉られているようです」。

向こうに見える建物は記念館で、キルギスを代表する人物に関して色々展示されています。

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円形状の下のレリーフには、処刑された人々の様子が描かれています。

そこをくぐり階段であがって、さらに200mほど行きますと、その場所があります。

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http://www.panoramio.com/photo/31800728?source=wapi&referrer

リンク先にその処刑された場所の建物(後から作られた囲う物)の写真があります。

山の中腹ですので、非常に穏やかな場所です。

この穏やかさこそが、惨劇をさらに浮かび上がらせるのでしょう。

沖縄にいるときと同じような印象を個人的に受けました。

 

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こちらは私が最も驚いたモニュメントです。

以前にも書いたように、キルギスを代表する詩人や作家、芸術家、作曲家などの名前が記されているようです。

知人曰くおそらく独立後か、その前後だろうとのことでした。

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こちらの設計者たち(20代半ば)と話をしていて、キルギスを代表する設計機関があることを教えてもらいました。

今回の滞在は時間がないですが、今度来たときにそこに連れて行って紹介してくれるそうです。

おそらくカザフスタンでいうカズゴルみたいなものでしょう。

そこでこのモニュメントのことも分かるでしょうとのことでした。

そしてそこに「Architecture of the Soviet Kyrgyzstan」(正式名称はちょっと違う)も置いてあるそうです。

それはなんとしても見てみたいです。

 

さてこの1年以上、ほとんどがビシュケクの建築についての記事でした。

おそらくここまでビシュケクの建築を紹介したブログは世界的に見てないでしょう。

代表的なものばかりでなく、ほとんど知られていない建物についても紹介できたと思います。

次回からはようやくカザフスタンの建築に戻りたいと思います。

新年明けましておめでとうございます。

年が明ける瞬間は、New Squareという所を訪れました。

年を越した瞬間、数多くの花火が上がり、壮大な光景でした。

2013-01-01 00.04.08

 

久しぶりの更新ですが、今回はビシュケクにある国立歴史博物館を紹介します。

最初に紹介しないのがおかしいくらい、ビシュケクを代表する建物と言ってもいいでしょう。

ビシュケクの観光ガイドにもまず最初に紹介されています。

竣工は正確によく分からないのですが、あるサイトによると1984年のようです。設計者は今の所分かりません。

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オフィシャルサイト

http://www.museum.kg/

Ala-Too Squareの北側に位置しています。

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http://students.sras.org/national-history-museum-in-bishkek/

このサイトによると、1階は特別展、2階はロシア内戦や第2次世界大戦についての展示、3階は有史以前の展示となっています。

値段は忘れましたが、お金を払うと内部の写真を撮る事が出来ます。

 

エントランスを入ってすぐのホワイエ。天井の照明が典型的なソビエトスタイルです。

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そこから大階段を登ると3階まで突き抜けた大きな吹き抜けがあり、天井に物凄い巨大なレリーフというか彫刻と言ってもいいのか分かりませんが、

それが天井から吊り下げられています。

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しかしこれは銅版でしょうか?

一瞬タトーリンの第3インターナショナルを想起しました。

 

2階は先ほど述べたように、第2次世界大戦などの展示ですが、真っ先に目に入るのがレーニンの展示です。

展示部分の天井には、各国の言葉で「レーニン」と書かれていると思うのですが、最後に日本語で「レーニン」と書いてあります。

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大戦時などの黄金のレリーフ。

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3階は、有史以前や古代の物を展示しています。

アーチを使っているのはおそらくイスラム的なものを表現していると思うのですが、ショーケースのデザインはやはりロシア的ですね。

動線もそれに合わせて真っ直ぐではなく斜めになっています。

天井部分にも絵画を展示しています。

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3階から見た吹抜け部分。構成がよく分かると思います。

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1階のミュージアムショップは小さい物でして、その1つに、有史以前の岩などに描かれた物を模した焼き物が飾っていますが、

こちらビシュケクの伝統的なスタイルを模した新しいレストランなどにもこのような焼き物がよく飾られています。

個人的に非常に好きなんですが、こんな重いものを勝って持っていけないのでいつも購入できません。

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ビシュケクを何回か訪れましたが、あまり興味を持てず、今回初めてこの博物館に立ち寄りました。

あまりにもマッシブで、外壁、内壁に白い大理石を張ったシンプルなスタイルです。プランも正方形です。

この正方形を繰り返し随所に用いています。

吹抜け天井に取り付けた黄金の装飾、博物館前方の広場のタイルの目地割、植栽、噴水の土台、1階天井のパネルの割り付け、

外壁内壁の大理石の目地割、カーテンウォールのサッシュ割りなど。

しかしこの吹抜けの平面だけ正方形になっていません(計画上出来なかったのでしょう)。

 

建物前方には独立を讃えたモニュメントがありますが、独立以前はレーニン像だったようです。

それは現在博物館の裏側に移動されています。

 

youtubeに多数の写真を載せた物がありましたのでリンクを貼っておきます。

 

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今回はその他の建物を紹介します。

The Kyrgyz Academic Drama Theater

1970年竣工で設計はF. Evseev, M. Evseeva. 姓が一緒ですので(ロシアでは女性の場合最後にaがつきます)夫婦かもしれませんね。

横のものすごい巨大なレリーフが特徴です。

所々にコルビジェ的な要素が入っていますね。

ボリュームの要素ごとに色を塗り替えています。日除けのルーバーや外部階段は白く表現しています。

ホール上部のボリュームには白い線が入っていますが均等ではなくシンメトリーでもありません。

こちらはある集合住宅を探している際に偶然見つけた物です。

センターではなく、かなり郊外です。新興住宅地みたいな地区でしょう。

用途が分かりませんが、おそらく集会場か小学校などの教育施設ではないかと思います。

最初見つけた際は、思わずルイス・カーンかと思いました(笑

The Kyrgyz State Theater of opera and Ballet(1955年)

設計はA. Laburenko

このブログで古典様式の建物を紹介するのは稀ですが、こちらは中に入ってみたかったですね。

こちらはセンターと離れた公園内にあるカフェ・レストランです。

知人によるとおそらく70年代後半か80年代初期だそうです。

旧キルギステレコムビルディング

交通局か何かのようです。

完全に構成主義のスタイルですね。

以前のブログでも紹介した結婚式場

National Libraryやサーカスなどと同じ並びにありますので、1970年代中期だと思います。

サーカス(1976年)

以前紹介した「Cosmic Communist Constructions Photographed」にも掲載されています。

https://axelshockie.wordpress.com/2011/09/18/東京、沖縄、メタボリズムの未来都市展とcosmic-communist-construction/

こちらも以前紹介した国立病院。近くのビルから撮ったものです。

左側のシリンダーはおそらく階段室でしょう。

旧カジノ

先ほど紹介したサーカスのすぐ横にあり、カジノの横にはドスティックホテルがあります。

おそらくホテルの滞在客用につくられた物でしょう。現在は廃棄状態です。

1階部分の大理石の壁。

対1ヶ月ほど前再びビシュケクを訪れまして、写真をいくつか撮ってきました。

センターにある集合住宅の階段室部分です。

ナショナルライブラリーを想起させますね。

Clod Cityと呼ばれる公衆サウナです。

アルマティにもAlasanという同じ物がありまして、70年代中旬ですので、こちらもそうでしょう。

ソビエト時代の政策によって出来たものだと思います。

半球部分の下に大浴場があると思います。

以前紹介した集合住宅。

違うアングルから撮ってきました。

以前紹介した集合住宅の別バージョンです。

こちらの方が長手の伸びていまして、迫力があります。

こちらはおそらく個人住宅だと思いますが、ある種の驚きを覚えました。

レンガをこのように使うやり方があったのかとビックリしました。

実際はレンガ像ではなく、コンクリートの壁に貼り付けているわけですが、

1層、2層、3層と異なるデザインを施しています。

1層目はおそらく石か何かを貼るでしょう。

このようにレンガを斜めにして積み重ねる方法は見た事がありましたが、

殆ど2列か3列のみです。全面にこれほど貼り付けたものは見た事がありませんでした。

ビシュケクの人の話によると、キルギスの南の方にはかなりあり、普通のようです。

もしかするとウズベキスタンのイスラム建築から来たのかもしれないですね。

しかし構造材であるレンガをこのように装飾的に表現するというのは非常に興味深いです。

私もこういうのを機会があればやってみたいですね。

さて今年に入ってから殆どビシュケクの建築に関する記事でしたが、次回ビシュケクのモニュメントに関するもので最後にしたいと思います。

今回は教育施設を紹介したいと思います。

これらは地図にてもあまり紹介されておらず、以前歩き回った際見つけた建物を知人に聞いて分かったものです。

 

メディカル ユニバーシティー

見ての通り、建物がジグザグになっておりまして、突き出した部分に階段室を配しています。

階段室の壁はレンガをそのまま使っており、教室棟の壁の色もそれに合わせています。

柱の半スパンごとに縦のフィンを入れています。

この部分は1階がピロティになっていますが、敷地が緩やかな斜面のため(ビシュケクはアルマティ同様山の麓にある)、

そうなっています。向こう側はピロティになっていません。

 

ミュージック スクール

両サイドに細長い建物があり、真ん中正面にドンとある典型的な建物ですね。

 

大学のようですが、何の大学かは分かりません。

ナショナルライブラリーのように、ファサードにコンクリートの硬くて直線的な装飾を施しています。

 

この日天気が非常に悪く、しかも逆光のため、綺麗な写真が撮れませんでしたが、外装材を見る限り、

比較的新しい大学と思います。

名前はSlavic Universityのようですが、調べてみるとウェブサイトがありました。

Kyrgyz-Russian Slavic University named after B.N. Yeltsin

http://www.krsu.edu.kg/

設立は1993年のようです。

正面部分を列柱形式にして、その奥にエントランスがあります。

柱を十字形にしており、梁もハンチがかかっているので、傘のように見えますね。

円形にくり貫かれた壁を見るとデザイン的にポストモダン的ですね。ただサイドの壁を見るとやはりロシア的であります。(写真無し)

グーグルマップで見るとこの裏に中庭があります。

 

 

何の大学かは知らなかったのですが、調べてみると人文学科の大学のようです。

見て一番興味を持ったのがこの大学です。

ウェブサイトがありまして、

http://www.bhu.kg/

英語のサイトもありますし、建物の写真も少しありますので、そちらの方が分かりやすいでしょう。

こちらも比較的新しいでしょう。

こちらの列柱のアップの写真があります。

http://www.fergana.info/details.php?image_id=1179

 

道路前面に列柱を配し、中にはにエントランスを設けるという手法は、以前にも紹介した、

Museum of Fine Arts(1974, architect D. Yryskulov,  Sh. Djeksshenbaev, V. Nazarov)

の影響が見て取れます。

 

中庭自体はおそらくイスラム建築から影響を受けたものでしょうが、

アルマティには中庭にエントランスを設けた建築はありません。

非常に独特です。

先の美術館は道路側に展示室を設けて完全に囲った形となっていますが(勿論ピロティはあるにせよ)

この2つの大学はそれと比較して何かしら装飾を施した列柱を配し、

一種の透明で虚像的な壁のようにも見えます。

おそらくビシュケクの建物の装飾的なコンテクストを考慮した物ではないかと思います。

 

ビシュケクにあるコンサートホールで、正式名称はPhilharmonic Societyといい、完成はおそらく1970年代中旬だと思います。

Administration Building (市庁舎)があるCity Squareに位置しています。

http://wikimapia.org/10359477/ru/%D0%A4%D0%B8%D0%BB%D0%B0%D1%80%D0%BC%D0%BE%D0%BD%D0%B8%D1%8F

 

典型的なソビエト建築といえばそうですが、非常にデザインが細かいですね。

縦方向に細かく分節しており、とてもリズミカルです。

正面入り口を入ってすぐのところです。ちょうど訪れた際、コンサートをやっていたようで、

私は日本から来た建築家でこれはとても素晴らしいから、

中を見たいので入れてくれないかと 片言のロシア語 で言って中に入る事が出来ました。

しかしながらやはり中はこちらアルマティの建築と同様そっけないというか、すぐ壁があるんですよね。

壁の前に何かしら彫刻やレリーフなどが置いていますので、空間を作るというよりも、面として表現したいのかもしれません。

この壁の両サイドに階段がありまして、そこから2階に上がっていきます。

 

キルギスを代表する詩人マナス(中央)とその妻、彼の相談者であったKanykei Buckeyeのモニュメントです。

 

こちら見て分かるようにシンメトリーになっておらず(銅像もそうですが、配置も同様)、何かしら小さなヒエラルキーを作っています。

 

これを横に倒すと、渡辺誠の共同溝展示館(K-MUSEUM) (1997年)を想起させますね。

彼のデザイン(特にK-MUSEUM)は構成主義に非常に近いと思いますが、(こちらの建築家に見せたら、コンストラクティビズムみたいだと言われた)、時折メタボリズム的でもあると個人的に思っています。

彼は最初メタボリズムのメンバーであった大高正人の事務所で働いています。

コンピューターアルゴリズムを使うのもそのような背景から来ているのではないかと推測しています。

ちょっと話がそれましたが。

 

すぐ近くに市庁舎などがあるため、多くの人がこの広場を訪れて憩っていました。

Ala-Too Squareの国立博物館もそうですが、それ以上にビシュケクの中でも極めて象徴的な場所だと思います。

非常に際立った存在感を放っています。

そういえばアルマティにはThe Palace of the Republic(共和国宮殿、1970)が存在しますが、ビシュケクにはありません。

https://axelshockie.wordpress.com/2011/10/12/

コンサートなどを行う機能、広場やそこに設けられたモニュメントを考えると、このPhilharmonyがそれに当たるのかもしれません。


ビシュケクにある国立図書館です。1976年完成です。

http://nlkr.gov.kg/

基本的にロシア語(またはキルギス語)ですが、 英語サイトも少しあります。

そちらで小さい画像ですが内部が写った写真もあります 。

実は数回ビシュケクを訪れた際、何度も前を通過しただけで、3月の訪問でようやくじっくりと写真を撮ってきました。

重たいボリュームが上部にあるいわば典型的といえば典型的な建物だったので、最初はあまり興味がなかったのですが、

実際に間近で見てビックリしました。

2階部分の細長い窓は、上部が尖っており、イスラム的なものだと思うのですが、

最も印象的なのは、やはりこの1階部分の壁を覆う極めて力強い直線的な装飾ですね。

上下に分割して構成されており、下の部分は垂直的な構成で、その上部は凹を反対にした形の物をを水平に反復させています。

その1階部分の正面から見て右側の端の部分に異なった装飾を施しています(左側はエントランスのすぐ横)。

意図的だとはおもいますが何故でしょう。対称性を崩そうとしたのでしょうか。

こちらは正面から見て左側の横側になります。

ガラス部分(廊下かもしれませんが)に 斜めグリッドの装飾を施して正面との違いを出しています。

ここで、上部のボリューム、1階部分の直線的な装飾が切られています。

こちらは裏側ですが、右側の部分にだけ異なった装飾を施しています。

こちらの方が正面よりも太く力強く表現されています。

こちらは裏側の公園にあった小さな建物ですが、変電室か何かでしょうか。

裏からぐるっと回って正面右側です。

しかしこの力強い直線的な装飾がものすごい印象を与えます。

先日紹介したSports Palaceもそうでしたが、直線的な構成、むしろcomposition的な抽象絵画を上下に伸ばしたような印象です。

建物全体的に構成的というよりは表層的といったほうがいいのかもしれませんが、その表層自体が構成的といえるでしょう。

アルマティにもこのように直角的なモチーフを表層に貼った物がありますが、例えば以前紹介したKazNu大学(KazGu大学)や他の大学の建物、(こちらは未紹介)、

 

これらはどちらかといえばブリーズ・ソレイユ的な要素が強いですが

このビシュケクのナショナル・ライブラリーにおいては、どちらかというとより表現主義だと言えるのかもしれません。

いずれにせよ、 マッチョ的、彫刻的といえるような非常に力強く、直線的な表現となっています。

Google Mapでみると中庭にもあるようですが、残念ながらこの時はエントランスを改修中で中に入れませんでした。

次回機会があれば中に入ってみたいと思います。

The Sports Palace

現在正式名称を、The Sports Palace named after Kojumkolといいます。

1974年、建築家N. Kostin, V. Marukovの設計によって完成したようです。

ここではバスケットボール、バレーボール などのスポーツが行われています。

最初この体育館を見た際、丹下さんの香川県立体育館( 1964年)を想起したのですが、

あれは床がワッフルスラブで、側面のコンクリートから支えられているのに対し、

こちらは異形ラーメンで すね。

これがKojumkolの銅像です。この銅像は2004年に建立されました。

彼は1889年生まれで67歳で亡くなり、レスリングの大会で数多く優勝するなど、勇者として名を馳せたようです。

身長も2.3メートルと身体的にも優れていたようです。

 

こちら側のサイド部分にスリット窓を多く設けています。

このシリンダーは階段室で、その横は確かインターネットカフェだったと思います。

非常に唐突な印象を受けます。最初からあったのか、それとも後から付け足したのかは分かりません。

 

こちらは裏側でおそらく搬入口ではないかと思います。にしてはドアが小さいので別の入り口かもしれません。

門を丸めたボリュームを2階レベルにて貼り付けています。 その間にスリットのような開口部が挟まれています。

この突如壁から突き出してきた螺旋階段が異様な感じで印象的ですね。

全体を通してこの螺旋階段だけ石が貼られていません。おそらく意図的にだと思います。

 

これは体育館の側面になります。 壁にスリットのような凹みが入れられています。

 

この体育館のデザインでもっとも特徴的なのが、この壁のデザインです。レリーフとも呼べるのでしょうか。

現在でいえばコンピューターの集積回路を模したようなデザインです。

ここ5年間で世界的にこのようなデザインを施すものが多く見受けられますが、これの建物は1974年です

建物の前の花壇部分も上から見ると、何かしらデザインを施しています。

ただGoogle Mapでも正確には確認できませんでした。

 

集積回路的デザイン同様、石もものすごく細長く、上下に互い違いに張っています。

乾式でなく湿式で貼っているのでしょうか 。しかしここまで細長いのは世界的に見てもそうないと思います。

アルマティにも細かく石を貼っている建物がありましたが(未紹介)、ここまで細かくありません。

 

ここから体育館の内部です。ホワイエですね。

体育館の1階床は、グランドレベルよりも下がったところにあります。

体育館の入り口の壁ですが、外壁と同様、垂直方向に細かく分割しています。

キルギスパターンも見られますが、それはおそらく独立以後に取り付けたのではないかと思います(推測)。

柱には垂直方向ではなく、斜めにして石を貼っており、壁とは独立させた表現になっています。

バルコニーの手すり壁にも石を細かく貼っています。本当に細かいです。


撮った写真をほぼ全部載せましたが、見て分かるようにディテールから全体まで、1つのコンセプトが貫いています。

縦方向の石貼り、スリット窓、体育館の床を支える構造の柱、集積回路のような溝など、

全体的に垂直のラインを強調するデザインとなっています。

ビシュケクにある建築の中でも、全体的に完成度の高い建築だと思います。

久しぶりの更新です。気付いたら5月は1回も更新出来ませんでした。

今回はビシュケクのセンターの都市計画について書こうと思います。

本屋でガイドブックを購入しましたので、そちらを元に書いていきます。

 

もともとキルギス人はチュイ渓谷(Chui Valley)に古代より住んでいたようですが、それ以降の歴史を書き出すと長くなりますのでここでは省略します。

Wiki

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%B1%E3%82%AF

1862年にロシアに占領され、ピシュぺク(Pishpek)と呼ばれました

1864年にロシアの軍隊の郵便局が建てられ、その周辺にロシアやウクライナからの移住者が住み始めます。

1878年よりピシュケク(Pishpek)は、キルギスにおいて最初のヨーロッパと同じようなタイプの都市となり始めます。

都市計画は、ロシア軍隊の地形学者によって草案が作られ、1871年に承認されました。

それにより直行グリッドの道路が整備され、四方に拡張されていきます。

1898年に市の管理者イリヤ・テレンティエフによって、製油工場、皮の工場、公共建築、752の家が建設されました。1913年までにPishpekは2万人を超える人口になったようです。その間学校、Madrasahs(イスラム地区の学校)、モスク、教会、病院が建設されたようです。

人口構成は主にロシア人で、ドゥンガン人、タタール人、ウズベク人でした。

A.M. Fetisov、サンクトペテルブルグの植物学者、は1879年にPishpekを訪れ、寂れて沼地と化した場所であったPishpekを、巨大な緑あふれた場所にしようと考えました。Oak Parkに彼は滞在し、作庭家の学校を設立しました。

1894年に生徒とともにオークの木を植栽し始め、1902年に公共の公園をレイアウトしました。現在それはErkindik Avenueとなっています。

化学者たちも農場を作り、Pishpekの公園やその他の場所のために8万もの様々な種類の苗木を栽培し、現在その場所はPanfilov Parkとなっています。

Frunze Museumの中にその当時の家が保存されているようです。

Frunze MuseumはM. V. Frunzeのための博物館ですが、彼の死後、ピシュペクはFrunzeという名前になり、1991年の独立までその名目が使われていました。独立の際に現在のビシュケクという名前になったようです。

ここから各広場について書いていきます。

①Ala-Too Square

Squareと言うのは広場で(代表的なのがモスクワのRed Square、赤の広場)で、旧ソ連圏内では基本的にこの言葉が用いられます。

ここはBishkekの中心地であり、政府機関の建物が数多くあります。

The Government House、The State flagpole、歴史博物館、The house of Friendshipなどがあります。ソビエト時代はこの広場はデモストレーションと軍隊のパレードのためのものでしたが、独立以後現在では様々なイベントや催し物が行われます。

  The Government House

The friendship Houseには本屋がありまして、おそらくBishkekでは一番大きく、そこにはちょっとした伝統的なもの(衣装や食器、工作物、楽器)の展示室があります。

The Friendship houseは、1926年にロシア人の建築家A. P. Zenkovによってつくられ、Bishkekにてはじめての公共建築となります。彼はアジア建築の特性をここに取り入れようと模索したようです。

 

②The old Square

Ala-Too Squareの北側(歴史博物館の裏側)に位置し、以前はここが中心でRed Squareと呼ばれていました。

以前 Ala-Too Square 建立されていたレーニン像は、ここ博物館の裏側に移されています。

 

こことParliament Building(1968年まで政府の建物)があり、中央アジアのアメリカン大学が入っています。この近くにFedorvich TerentievというPishpekの初めてのチーフで1895年から1914年までその職を勤めていた人のコテージがあります。

彼によって多くの発展と都市の緑化、中学校の設立が進められました。

Jogorku Kenech(Parliament Building)の後ろ側にFrunze Museumがあり、その反対側にThe kirgyz State Drama Theater(1970年)が位置し、その西側にPanfilof Parkがあります。

 

(左)Frunze Museum (右)The kirgyz State Drama Theater

入り口のゲートの近くにソビエトの偉大なパンフィロフ将校の銅像(Olga Manuilova作)が建っています。

先にも述べたようにPanfilov Parkは、19世紀にFetisovによってつくられた市の公園のところに作られています。

この公園は1939年にオープンし、公園内の主要な歩道は上から見ると五芒星の形になるよう計画され、現在もその形を保持しています。

ここには数多くの遊具があり、一種の遊園地のようです。

 

③The Oak Park

先にも述べたようにOak ParkはA. M. Fetisovとその生徒たちと支援者たちによって作られ、現在はErkindik Avenueと繋がっています。

暑い季節になると数多くの市民が涼みにここを訪れます。多くの噴水、モニュメント、The Russian Academic Drama theater(1972年)、「Under Open Sky」と名付けられた屋外に数多くの彫刻が配置されています。近くでは屋外で絵画の展示販売が行われています。

 

 

④The Square of Art

Oak ParkをThe Russian Academic Drama theaterを通って東側に抜けると、The Kyrgyz State Theater of opera and Ballet(1955年)、Library for Children and Young Stars(1962年)、 The museum of Fine Arts(1974年)、によって囲まれたThe Square of Artがあります。

そこにはキルギスの代表的な歌い手、Toktogul Statylganov(1864-193バレリーナのB. Bei. Shenalieva(1926-1973)、詩人のA. Tokombaev(1904-1988) の銅像が建てられています。

 

(左) The museum of Fine Arts  (右)  Library for Children and Young Stars

Opera Theaterの裏側には、Pobeda(Victory) Squareがあり、結婚式の祭、数多くの人が訪れます。

このモニュメントの形はユルタをイメージしたものです。

この周辺に、National State Library(おそらく1976年)、Circus((おそらく1976年)、現在は使われていないカジノ、Wedding Palace、Zum(Central department store 1974年)、Central post Office、Kyrgyz Telecomがあります。

 

⑤The City Square

こちらはAla-Too Squareから少し離れたところにありますが(とはいっても歩いて20分程度)、the City Administration Building、Kyrgyzstan Internatonal University、Philharmonic Societyがあります。

Philharmonyの広場にはキリギスの代表的な詩人Manasのモニュメントがあります。ここを北に真っ直ぐに噴水のある並木道を抜けると、kyrgyz National Universityがあります。

ちなみにこの並木道のすぐ近くにあのモニュメントもあります。

⑥Rabochiy Gorodok(workers’ town)

1920年代につくられたこの地区は、イギリスの建築家E. Howardの「Garden town」のコンセプトを元に作られました。

円形の中心に緑地公園が設けられています。

1925年にソビエトによって招待されたCzechoslovak Communistたちによって作られ、ここに服飾工場、革工場、機械、多くの会社を作ったようですが、残念ながら私はここを訪れてはいません。

 

ガイドブックを元にざっと書いてきましたが、ビシュケクのセンター自体さほど大きくないので一日もあれば全部みて回れます。

Ala-too Squareを中心に文化ゾーンや緑豊かな公園が整備され、お互いに連結し、非常に魅力的なセンターとなっています。夏場はOak ParkやPanfilov Park、Ala-Too Squareには数多くの市民が集い、木陰にて休息を取っています。海外からの観光客も見かけます。

昨年の夏、Ala-Too Squareを訪れた際、子供たちが噴水の中で戯れている姿を見たとき、一種の幸福感のようなものを感じました。日本ではまず有り得なかった光景です。私と一緒にいた老人も何かしら文化的に高いものを感じると言っていました。

勿論ソビエト時代に社会主義国家であったからこそ成立しえたのでしょうが、アルマティとは全く異なります。

都市とは市民のためのものといったような概念が強く感じられました(そういった概念の元に作られたかは知りませんが)。

道路と歩道の関係においても、その間に緑地帯を設け歩車分離を明確に行っています。

アルマティでは、車道、歩道、緑地、建物といった順になっていて(スニップでred lineといって車道と建物間に法律で定められた距離をとらないといけない)、それに対しビシュケクでは、道路、緑地、歩道、建物といった順になっています。

昔ながらの2層の建物が多いですが、その順によって歩行者と建物の距離が近づき、アルマティと比較して賑わいがより生まれています。

ビシュケクは小さな都市ですが、それでもセンターは夏場は緑あふれた賑わいを生み出しています。

 

 

次回は National State Library 、Sport Palace(体育館)、大学、モニュメント、その他の公共施設について書こうと思います。

それぞれ1回ずつになります。アルマティの建築についても早く書きたいのですが、ビシュケクの建築について書いた後にまた始めようと思います。

ビシュケクで撮った写真の建物は全部紹介する予定です。

今回は表層的なデザインの集合住宅を紹介したいと思います。

以前からビシュケクの建築を紹介していますが、アルマティと比較して表層のデザインがかなり多彩といえるでしょう。

市の中心地には幾つかの大きな集合住宅がありますが、とりわけこれは非常に目立ちます。

というよりも圧倒的な存在感です。

おそらく70年代中旬当たりではないかと思うのですが、 ものすごい迫力があります。

特に特徴的なのが両サイドのパネルのような面的表現です。

2枚目の写真でよく分かると思うのですが、両サイドをそのまま折り返しているのではなく、少し突き出しています。

それによってより面的表現が強調されています。

しかしこの部分は何なのでしょうか?何かの部屋なんでしょうけど、プランを見てみたいですね。

比較的この建物に似たものがこの建物です。

こちらは一本隣のメイン通りにあるのですが、比較的おとなしく感じます。

コンクリートパネルを色々貼り付けていますね。

 

郊外にある典型的なプレキャストの集合住宅ですが、窓にアクセントをつけていますね。

 

バルコニーの真ん中部分の壁の開口部を工夫していますね。

おそらくキッチンではないかと思います。一度ビシュケクでこのような集合住宅の中に入った事があるのですが、

アルマティと同様とても狭いです。おそらくプランはアルマティの集合住宅と一緒でしょう。

大量生産のコンクリートパネル住宅ですから。

 

バルコニーの腰壁にパネルを貼り付けて波打たせています。

こちらブロックの裏側ですが、通りに面したファサードも同様です。

プロフィリットガラスのようなものを階段室に使っています。

1970年代 中旬以降でしょうが、最初からこのような腰壁であったかは分かりません。

もしかしたら後からつけたのかもしれません。

 

こちらも大通りに面したものですが、ファサードの一部に何かしら剥がれたようなデザインを施しています。

 

アルマティ同様、こちらにも縦ルーバーの建築がありますが、アルマティと比較して圧倒的に少ないです。

都市の規模が全く違うというのもあるでしょうが。

階段室に縦ルーバーを貼り付けたものです。このタイプはアルマティでもよく見られますね。 (ブログにて未紹介)

 

こちらは大通りと鉄道が交差する場所に建っていて非常に目立ちます。

集合住宅ではないですが、ルーバーを使っているのでここで紹介します。

おそらく何かのアドミニストレーションビルではないかと思いますが、

撮る際、タクシーの運転手に写真撮っても問題ないかと確認してから撮りました。

旧共産圏は、何かと問題があるのです。

何故アルマティなどにこのような縦ルーバーの建築が多いのか分かりませんが、

以前のブログでも書いたように、共産主義を表現するものとして何かしら様式化したのではないかと思っています。

しかしこの建物の場合、ルーバーの先を細めており、非常に柔らかい印象を受けます。

ピンクの外壁と相まって、洗練されたデザインですね。

この辺りに似たようなデザインの高層ビルが幾つか建っていますが、こちらが一番洗練されています。

(残念ながら写真無し)

 

こちらは前回紹介したカプセルが張り付いたような高層集合住宅があるとおりの近くにあるのですが、

非常に面白いというか、可愛らしいというかポップな印象を受けました。

住宅部分は、勿論上下階異なっているわけではなく、外装を交互にしているだけですね。

しかしそれだけでも印象が大分異なります。

この手法なら日本の古い公団マンションなどの改装に適応できるのではないでしょうか。

左側のレリーフは典型的なロシア時代のものですが、ポップなデザインと対照的ですね。

何を意味しているのかは分かりませんが。

 

 

ビシュケクにおける表層デザインを施したものの中で最も印象的なものがこちらです。

後から貼り付けたのか、それとも最初からこのようなデザインであったのか分かりません。

ただ写真で見るとおり、剥き出しの外壁のレンガに合わせて曲線をデザインしているものもあるので、

最初からこの通りであったかもしれません。

これとほぼ同じデザインの集合住宅がありまして、こちらは細長い建物になっています。

こちらの方がより迫力があるかもしれません。

(タクシーの運転手にこれは撮らないのかと言われたが、あそこにもある(写真のもの)と言って、止まらず撮りませんでした)

この写真を前回帰福した際、福田晴虔先生にもお見せしたのですが、

どういう背景からこのようなものが出てくるのかね、と聞かれたのですが、

私には正直分かりません。

おそらくイスラム的なものから来ているのではないかと思いますが、

年代的にも70年代後半からポストモダンの時代が強くなってくるわけでして、

ここキルギスでもそのような問題提起があったのではないかと思います。

ただこれが地域的なデザインかと言われると 、それとは全く様相が異なります。

 

しかしそれにしてもこれらの表層デザインは、画一的になりがちなプレキャストの集合住宅において、

非常に多彩な表情を都市にもたらしています。

これもまたビシュケクの魅力の1つでしょう。 

今回はビシュケクの集合住宅を紹介したいと思います。

2回に分けて紹介します。最初は構成的なもの、2回目は表層的なものに分けたいと思います。

撮った建物は出来るだけ全部写真を掲載します。

ぱっと見るとコアシステムを持ったメガストラクチャーのように見えますが、そんなことはなく、

2本のコアのようなものは階段室で張り出させており、

上部2層はバルコニーによって、いかにも重いボリュームが支えられているような表現ですね。

普通のコンクリートのラーメン構造(壁はレンガ)だと思いますが、日本のメタボリストの1960年代のデザインを想起させます。

非常に即物的でソリッドな建物ですが、階違いにバルコニーの位置を変え、一見複雑に見えます。

それとバルコニーの窓などが階ごと部屋ごとに異なりますので、表情が違って見えますね。

同じデザインの建物が3棟連続して建っています。

おそらくその当時の高級官僚(いわゆるエリート)のための集合住宅ではなかったかと思います。

以前にも紹介したようにビシュケクにも数多くのプレキャストコンクリートの集合住宅がたくさんあるわけですが、

その中で若干違っているというか、中央に階段室があって、壁に囲まれていません。

アルマティにも似たようなものがあります(未紹介)。

ガラスで覆われていますが(ぼろぼろに壊れていますけど)、プロフィリットガラスのように見えます。

アルマティではこのようなガラスは見た事がありません。

どこからか輸入したものでしょうか?

そういえば未だにプレキャストコンクリートで建設中の集合住宅を見かけました。

アルマティでは既になく、モスクワでもその工場は既に稼動していない(おそらく10年以上も前の話)と聞いたのですが、

キルギスのどこかでプレキャストを作っている工場があるということでしょうか。

先ほど紹介した建物にも似ていますが、こちらの方が色々混在しています。

なんと説明したらいいのか分からないですけど、非常に魅力的に感じます。

これの反対側(写真で言うと左側)の写真がこちらにあります。

 http://www.panoramio.com/photo/24887277

以前にも紹介した建物ですが、最も色んな要素が混在したものでしょう。

シリンダー型の バルコニー、重いボリューム、窓の上部の半円形、円形窓、など。

アルマティにも似たようなものがあるのですが(未紹介)、こちらの方が多様ですね。

 

こちら今回初めて発見しました。最初本屋のポストカードで見つけまして、

店員にこれはどこにあるんだと聞いて、地図を見せて場所を聞き出して見てきました。

最初、全く違う場所に行っていて、タクシーの運転手に「違うなぁ」と言いながら、センターに帰る途中に偶然見つけました。

(2日ほど同じタクシーの運転手に依頼して、「私は建築家で色々建物を見て回っていると説明して、色々回ってもらった)

見て回る時間もなく、写真も1枚しか撮れなかったのが残念ですが、機会があればもう一度見てみたいです。

同じ構成で4棟連続していますが、凄い迫力と言うか、圧倒的でした。

プレキャストですのでおそらく1980年代前半当たりではないかと思いますが、よく分かりません。

昔のSF映画の撮影に使われてもおかしくないような印象です。

 

一番最初に訪れて驚いた建物です。

この同じ通り沿いに3棟建っています。2つは少しはなれたところに立地しています。

 

こちらが近くの2棟

そしてもう1棟、センターの方に建っていますが、殆ど分からないくらいほんの若干異なっています。

最初見た瞬間、菊竹清則の海上都市プロジェクトを思い出しました。

おそらく1970年代後半から80年代初期に建設されたと思うのですが(ビシュケクの知人もおそらくそうだと言っていた)、

同時期、アルマティにもこのブログの最初の時期で紹介したサイランの集合住宅がありますが、

リカルド・ボフィールのアブラクサス(1983)を想起させたのですが、

彼のデザインは歴史家の三宅理一氏によると、「スターリンデコ」と表現されていたと思います。

ボフィールのウォールデン7(1970)は非常に似ているわけですが、

ソビエト時代のロシアの建築とどう相互関係があるのでしょうか?

アルマティのサイランの建物は誰が設計したのかは分かりませんが、

ビシュケクと同時期だとすると、もしかしたらソビエト時代の政策によって計画されたのかもしれません(あくまで推測)。

どちらとも高級官僚や将校などのエリートのためのものだと思います。

いつの日か機会を改めて分析したいと思います。

 

しかしビシュケクの集合住宅はアルマティと比較して、複雑と言うか色んな様式が混在したかのような印象を受けます。

それは次回書こうと思っている表層デザインの集合住宅において顕著です。

それが何故なのかは分かりませんが、それゆえアルマテイの建築よりも魅力的に映りますし、

街に対しても様々な表情を醸し出し、街自体を豊かなものにしています。

ethno-complex SUPARA

1ヶ月ぶりの更新です。何とか先月中に書きたかったのですが忙しくて無理でした。。。

ethno-complex SUPARA 

http://supara.kg

キルギスの伝統的スタイルを踏襲したレストランコンプレックスです 。

昨年新しくオープンしたようで、こちらビシュケクの知人に勧められて行ってきました。

オーナーがキルギス人で、自らのキルギス人としての伝統とアイデンティティを表現しようとしたようです。

石積みの家、ユルタ、木造と多種多様です。

友人によると、キルギス人はもともと遊牧民でユルタに住んでいましたが、石積みの家にも住んでいたようです。

ちなみにキルギス人はカザフ人よりも日本人に似ていまして、肉が好きな民族が中央アジアに移動してキルギス人になり、

魚が好きな民族が東アジアに移り住んで日本人になったと言われるくらいです。カザフ人よりも似ています。

全てが手作りだそうで、とにかく細かいところまで物凄く丁寧に作られています。

中心に広場があり、その周囲をユルタが囲み、さらにその周辺に、石積みの家や、木造の建物が配置されています。

石積みの建物

石と言うよりも土で出来たものですが、壁圧が約400くらいあり、断熱効果は抜群です。

やはり壁構造なので、開口部が小さく、夜はいいのですが、さすがに昼間は日本人としてはきついですね。

ただ土の壁はとても心地よく感じられ、なにかしら呼吸しているのではないかという気にさせられます。

この石積みの建物は4つほどあるのですが、一つ一つ内装が違い、中の調度品も異なります。勿論全てハンドメイド。

 

 

 

 

 

 

 

 

中心の広場

 

広場を中心にしてユルタが配置されていますが、各々意味がありまして、

年配用、若者用、勇者(戦闘者用)等と分かれています。

何か祝祭的なものに使われ、その際色々と分かれるようです。

この茅葺のユルタと呼べるようなものは事務室ですが、このようなデザインをしたものは初めて見ました。

一つのユルタの内部

 

 

これらの周辺に巨大なユルタや木造の建物が配置されています。

説明によると中央アジアで最も巨大とされるユルタ

結婚式やイベントに使われると思います。

しかしこの大きなシャンデリアを支えるのに、構造的に非常に上部でないと無理だと思うのですが(しかも積雪荷重がかかる)

おそらく2重膜になっていて、写真で見えているのは装飾的なものでその中に構造が隠されていると思います。

 

前室の照明

 

ユルタの円形の外形に、さらに張り付いているわけですが(おそらくキッチン)、

カザフでは非常に珍しく殆どありません。

 

その後ろにあるのが、競技場のユルタです。

非常に軽やかで、日本の現代建築の軽さに通じるものを感じました。

こちらも構造的に大丈夫なのかと疑問を持ったのと同時に驚きでした。

競技場であるため、住居としての機能はいらない訳ですから、外部を透過性のシートで覆っているわけですが、

これがさらにこのユルタを軽やかに見せています。

こちらもユルタの外部に屋根が張り付いていますが、競技中の待合でしょう。

 

こちらは東屋のようなもので、夏場休む場所だと思いますが、

これにもビックリしました。形態的には花瓶を表現しているわけですが(店員の説明でもそうでした)

見た瞬間、 ウラジーミル・シューホフの設計したラジオ塔を想起させました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ウラジーミル・シューホフ

 

この背後にあるのがホテルです。まだ完成しておらず建設中でした。

ユルタに斜め屋根の建物を合体させているわけですが、正直驚いたというか目から鱗が落ちる様な思いでした。

こういうやり方があったのかとある種の衝撃を受けました。敷地の高低差をうまく利用しています。

最初に見た瞬間、藤森照信の建築を思い出したのですが、

縄文的、弥生的といわれる彼の建築は、確実にモダニズムを通過した建築であり、

作品によっては非常にモダニズム的だと思います。

しかしそれ以上に、堀口捨己の旧岡田邸を髣髴させました。

コンクリート造のモダニズムと数奇屋建築の統合、というよりも合体の建築ですが、それに近いような気がします。

伝統的というにはあまりにモダンだと思います(材料の話ではない)。

今後このようなユルタを設計する際(ユルタだけでなく)非常に参考にしたいと思います(笑。

 

全体的に細かいところまで非常に丁寧にデザインされており、隅々にまでオーナーの意思を感じる事が出来ました。

施工もいい加減ではなく(レベルの話ではない)本当に素晴らしいと思いましたし、物凄い感銘を受けました。

アルマティではまず実現できません。オーナーやクライアントの強い意志がないと無理でしょう。

店員と話したところ、オーナーは昔大学で建設を学んだようですが、

個人的には建設だけでなく、建築も勉強したのではないかと思います。

建設だけではこのようなデザインは出てこないと思います。

個人的には先のホテルや東屋のようなもの、ユルタに張り付いた部分から、構成主義の匂いを感じます。

機会があればこのブログを読んだ方も是非訪れて欲しいものです(ほぼ無理だと思いますが。。。)

 

ちなみに私が食べたものはキルギス伝統料理、馬肉のビシュパルマックでカザフにもありますが、

キルギス人はこちらが先だと言っています(実際はどちらが先か知りません) 。

カザフで食べたものと若干違いますが、こちらは一応高級レストランなので勿論美味しかったです。

多くの写真がオフィシャルサイトにありますので、そちらを御覧になるといいと思います。

伝統的な服を着た人が数多く現れます。

先日所用にて、ビシュケクに1週間滞在していました。

その間、数多くの建築を見て回ってきました。おそらくこれほどのビシュケクの建築の写真を撮った人は世界でいないんじゃないだろうかというくらい撮ってきました。その数400枚。

デジカメ2つ持っていきましたが、どれも途中でバッテリーが切れました。

さて1週間ほど滞在し、本屋にも立ち寄ってガイドブックを購入し、こちらの建築に関する事が少しわかりました。

年代や建築家などがガイドマップに記されており、それらも今回記載したいと思います。

これから4回くらいに分けてビシュケクの建築を紹介したいと思います。

1.伝統的なスタイルのレストラン

2.ビシュケクの集合住宅

3。センターの都市計画

4. 公共建築(図書館や体育館、コンサートホール、大学など)

以前ブログでビシュケクのことを紹介した記事配下の通りです。

キルギスの首都ビシュケク (2010年6月6日)

https://axelshockie.wordpress.com/2010/06/06/

再びビシュケクへ(2011年2月20日)

https://axelshockie.wordpress.com/2011/02/20/

ビシュケクの建築 再び(2011年8月7日)

https://axelshockie.wordpress.com/2011/08/07/

どうもここ最近カザフスタンやアルマティの建築よりもビシュケクの方が更新頻度が多いですが、それほど面白く興味深い建築が数多くあります。

ブログの更新を もうちょっと ペースアップしたい所ですが、なかなか時間が無いだけでなく、写真などのアップロードにものすごく時間を要します。

この記事をアップロードするのに数時間要しました。

とはいえ以前のブログの記事の写真も、wordpressの前に使っていたブログサイトのデータをこちらに移したために小さくなっており、記事中の誤字脱字も多いため、時間を見つけて更新したいと思っています 。

先週の木曜日、またしても隣国キルギスの首都ビシュケクに行ってきました。

これでビシュケクは5回目ですが、いつ行ってもいいですね。おそらく今回が今年で最後だと思います。

今回も街をまわって少しばかり建築を見てきました。

カザフテレコム(電話会社)

典型的なソビエト時代の建築ですね。時計台はその典型です。

 

いつも来るまで回りながら、この建物を見て写真を撮りたかったのですが、今回たまたま出会って通訳をしてくれた方の事務所の隣でした。

国立病院ですが、なんともいえない迫力ですね。構成主義、とりわけメーリニコフ的なものを感じさせます。

おそらく講堂ではないかと思いますが、天井部分はワッフルスラブの構造ですが、円形部分の梁はどうしてでしょうか?

この横の建物にも例のハーフシリンダーの階段室が設けられています。

今回建築の写真を撮ったのはこれだけです。

 

今年になって4回もビシュケクを訪れましたが、アルマティと比較して、文化度は高いのではないかと感じました。

街並みの構成方法(歩車分離と緑地帯の設け方)、スクウェアの構成、そして集合住宅など、カザフスタンと比べてはるかに経済は落ちますが、細かい工夫があるような印象を受けました。

 

 

前回訪れた際、絵画を売っているバザールにも寄ったのですが、実に興味深いです。

 

今回地図を見ながら移動したのですが、ついに発見してしまったという感じでした。

 

以前ネットで、Russian Constructivismと画像検索した際見つけたような気がします。

 

一部に名前が記載されていますが、何のためか分かりません。おそらく何かのモニュメントでしょう。

しかしいつ、建築家が作ったのか、それとも彫刻家なのかもさえも分かりませんが、

完全にロシア構成主義のボリューム操作の流れを汲むものです。

ビシュケクでの最大の発見というと変ですが、見つけた際かなり興奮しました。

 

おそらく今年のビシュケク訪問は最後でしょうが、また訪れてみたいですね。

非常に興味深い建築が多く、ある意味アルマティよりも素晴らしい建築が多いのではないかと思いました。

本当に中央アジアは、知られざる素晴らしい建築がゾクゾク眠っていると思います。

今のところ訪れたのはアルマティ、アスタナ、キルギスのビシュケクだけですが、ウズベキスタンのタシケントなど、多くのところにも訪れてみたいものです。

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