Category: 沖縄


今年も北部総合芸術展であります「やんばる展」に出展してきました。今年で第43回目になります。

昨年に続き2回目の出品となります。

 

やんばる展とは、

沖縄県の北部地域を対象とした芸術文化展として、「木工芸」、「染織」、「民芸」、「絵画・デザイン・彫刻」、

「写真」、「書道」、「陶芸」の7部門について作品の公募を行い、多くの人々に作品発表の機会と鑑賞の場を提供し、

芸術文化を通じた地域の交流と文化の創造発展に寄与することが目的の芸術展です。

 

私は「絵画・デザイン・彫刻」部門で出品しましたが、

今年の出品作品は「花ブロックとニライカナイ」。

hana-block-random-2

 

こちらは昨年出品の「ソテツ建築」。

yanbaru-1

 

やんばるの文化とは他と何か違うのか、常に考えさせられます。

非常に難しいですが、出品することにより常に考えることになります。

創作することによってそのことを常に意識することに意義があると思っています。

来年もぜひ出品したいと思っています。

 

写真はバスが高速道路に入る辺りから見た那覇の街並み。

コンクリート建築群は赤瓦の建築以上に、私にとっての沖縄の原風景です。

img_5429

 

 

広告

現在、沖縄に滞在してます。

恒例のように沖縄の建築に関しての投稿です。

名護市中心の建築はほぼ見終えたと思うのですが、いくつか撮ってきたので掲載します。

 

例年のように訪れる名護市庁舎。

img_5245

 

そして近くの名護市民会館のエキスパンション部分。

金物をかぶせていないところにこだわりと、それによる緊張感を感じさせますね。

img_5369

 

img_5160

教会ですが、もともと教会の建物であったのか、それとも元は別の用途で後から教会が入ったのか分かりません。

手摺や垂れ壁のコーナー部分が丸みを帯びており、柔らかい表現となっています。

 

img_5453

名護十字路の交差点に建つ建物で1950年代です。正確な年代は忘れたのですが、

流線型の曲面がなんとなく山田守を想起させますね。

名護市におけるかなり初期のモダニズム建築になると思います。

この向かい側にも同じような建物が建っていたのですが近年解体されてしまい、

残念ながら駐車場に変更されてしまいました。

 

さて、今回那覇を訪れまして、国際通り付近を見て回りました。

当たり前ですが、やはりモダニズム建築は圧倒的に多いですね。

 

県庁裏を歩いていますと、偶然琉球政府立法院跡に遭遇しました。

沖縄県庁舎(黒川紀章設計)の建設に伴い解体されたと聞いていたのですが、

記念碑が建立されていたのですね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E6%B3%95%E9%99%A2_(%E7%90%89%E7%90%83)

img_5483

 

そしてここから県庁横の42号線の坂を下っていきますと、目の当たりにしたのがこの建物。

img_5467

2,3階部分の道路側正面をコンクリートの縦ルーバーで覆っています。

1階に店舗が入っていますが、2,3階は空き家のようです。

おそらく1950年代に建てられたのではないかと思いますが、

立法院のすぐ真向かいでしたので、おそらくファサードデザインをそれに合わせたのでしょう。

沖縄を代表する建築家、仲座久雄氏の事務所ビル(1956)もこの辺りに建っていたと思います。

以前沖縄県公文書館を訪れた際、ある写真を見て職員の方に伺ったのですが、

そのオフィスビルがちょうどこの付近だったのです。公文書館のデジタルアーカイブを見てもよくわかります。

ここから国際通り沿いに下って行ったすぐだと思います。

 

img_5468

こちらは国際通りから少し入っていたところにあるのですが、こちらで働いているという方に聞いたところ、

1950年代だそうです。

写真右側側面部は角度を付け、正面2階部分は一部湾曲させています。

1,2,3階と階ごとに分節を行い、2階部分においては同じ縦ルーバーを用いながら

異なる表現を挿入しています。非常に面白い試みですね。

設計者は全く分かりません。

しかしこの当時50年代、縦ルーバーを用いるのは一種の流行だったのでしょうか。

ちょっと分かりませんが、アメリカの影響があるのかもしれませんね。

 

img_5473

松尾消防署。既に閉鎖されたようです。随所に花ブロックが用いられています。

 

img_5478

img_5470

img_5486

 

ぐるぐる辺りを回っていましたら、突如目の前に現れました

那覇の入り組んだコンクリートジャングルの街中に突然舞い降りたかのような非常にさわやかで軽やかな建築。

後ほど調べてみましたら、沖縄県教職員共済会館八汐荘で、昨年新たにオープンしたようですね。

元は1960年に開館したようです。2013年に老朽化に伴い閉館したようで、

残念ながら解体された沖縄会館の設計者宮里栄一氏によって設計されたようです。

http://ryukyushimpo.jp/news/prentry-204533.html

建て替えの設計は、アトリエ門口で、琉球の城を想起させる緩やかな複層の曲線で構成されており、

鉄骨とRCのハイブリッド構造ですね。

img_5477img_5487img_5490

 

国際通り沿いや付近の建物群。

img_5485

img_54712層目に花ブロックをあしらったものもいくつか残っています。

img_5501

img_5503

img_5491こちらは国際通りに面した建物の裏側部分ですね。

 

img_5492

思わずこれは何だと思い近寄ってみると、コンクリートの水平ルーバーを鉄筋で吊っていました。

img_5493

ちなみにこの水平ルーバーと反対側のファサードは縦ルーバーで構成されています。

 

 

ちなみに偶然見つけた建物。

img_5500

これから解体される建物ですが、沖縄建築専門学校と書かれています。

ネットで調べても何の情報も出てきません。

実際この建物が学校であったのか、それともただ看板として書かれていただけなのか全く分かりません。

 

今回、国際通り付近を探索できたのは非常によかったですね。

花ブロックを用いた建築はあまり紹介できませんでしたが、

やはり50年代以降の沖縄のコンクリートのモダニズム建築が非常にありますし。

散策しながら思ったことは、先にも出た50年代の医院にもありますように、

1950年代、60年代に建てられた医院建築について調べてみるのもいいかもしれません。

良質な沖縄のモダニズム建築がまだまだ残されているかもしれません。

 

最後にふらりと立ち寄った三線の店にて。ローカリティが息づいています。

img_5498

 

 

 

何とも80年代的な表題ですが、今回は建物の外壁に用いられた花ブロックに関してそのような考察を行いたいと思います。

那覇空港から高速バスに乗って高速に行く途中にこの建物をいつも見かけます。

写真はバスの中からですので全体像は撮れなかったのですが。

IMG_1824

この建物は大通りに面しており、花ブロックを前面に施しています。

複数の花ブロックが用いられており、非常にユニークなファサードを形成しています。

これほどまでに多様な花ブロックを用いた建物はなかなか見かけません。

右側部分の建物はおそらく増築ではないかと思うのですがもちろん定かではありません。

ここで注目したいのは看板の左側部分の花ブロックです。

こちらはスクリーンブロックとしての花ブロックではなく、むしろ装飾として花ブロックが取り付けられているかのようです。

おそらく看板は後から花ブロックの上から取り付けられたのでしょう。

そして増築部分においても花ブロックを用い、1階の階高の違いから異なる高さに花ブロックを設けています。

それが結果として非対称性を生み出し、表層において花ブロックの多様性をうみだしていると言えるでしょう。

今年の記事「沖縄のコンクリートと花ブロックの建築 Part 4」でも紹介しましたように、

前面にスクリーンブロックとしての花ブロックを施しているこの建物は1960年に作られています。

IMG_1871

先の那覇の建物もおそらく1960年代ではないかと思っています。もちろん推測にしか過ぎないですが。

IMG_9485

こちらも昨年の記事「沖縄のコンクリートと花ブロックの建築-part-3」で紹介した名護の住宅建築ですが、

こちらは3種類の花ブロックを適応しています。

建物右側ファサード部分の花ブロックに注目しますと、スクリーンブロックとしての機能は全く果たしていません。

コンクリート壁に貼り付けているだけです。左側奥のコンクリとブロックも同様です。

これらは表層における装飾としての機能を果たしています。

この2つの建物にいえることは街の中心部に位置しどちらも道路に面しているということです。

花ブロックをファサードに用いる理由はもちろんスクリーンブロックとしての機能が主ですが、

これらはその機能を果たしていません。

むしろ外部空間に対して、ファサードにおいて花ブロックを何かしら複数の断片として散在させ浮遊させたかのようです。

これら2つはコンクリート造のモダニズム建築です。モダニズム言語を用いながら、花ブロックを表層に散らばせています。

これはいわゆるポストモダンと呼べるのでしょうが、これらの設計者はそのような意識があったのでしょうか。

この2つの建物が1960年代と仮定するならば、

ベンチューリの母の家が1963年ですから、その影響はあったのか。

しかしその当時、沖縄はまだアメリカの占領下にあったわけで、日本からの建築の情報は非常に乏しかったようです。

ならばアメリカから直接入ってきていたのでしょうか。

もしくはやはり沖縄コンクリート建築の匿名的な無作為性からきたものでしょうか。

その辺に関しては今の所全く分かりません。

以前からたびたび取り上げてきた仲座久雄氏の事務所ビル(1956年)が花ブロックを全面に纏わせたものでしたが、

こちらも大きな公園に面したものでありました。

建築のファサードにおいて花ブロックを外部の都市空間に対しこのような表現方法を用いたことは、

沖縄の都市空間と建築の関係性について非常に重要な考察を与えるかもしれません。

このシリーズもPart 4まで来ました。

今回も色々と、名護、石川、金武、那覇など色々廻ってきました。

 

那覇の安里を歩いていると、偶然目に飛び込んできたこの建築。びっくりしましたね。

この通り、国際通りから名護に帰る際いつもバスで通っていたのですが、反対側に位置していたので、

座席から全く気づきませんでした。久しぶりの衝撃でしょうか。

IMG_1365

 

まるでイスラム建築を想起させるファサードです。サイドに花ブロックを廻り込ませていますね。

IMG_1367

 

2年前の記事、「那覇バスターミナル、那覇市民会館そして沖縄県公文書館」にも触れましたが、

沖縄の建築家、故仲座久雄氏の事務所ビルが1956年ですので、

この建物が建設されたのはその前後あたりでしょうか。それとも後から建物に花ブロックを取り付けたのでしょうか。

詳しく調べてみたいですね。

このように道路に面した建物には、スクリーンブロックとしての機能を果たすために花ブロック用いられています。

IMG_1428

IMG_1542

IMG_2131

IMG_2133

IMG_2163

IMG_2164

個人的な推測ですが、こららのようなタイプの住宅は1960年代ではなかろうかと思います。

これらのタイプの花ブロックを調べれば分かることかもしれないですが。

 

こちらは名護の住宅ですが、店の中にいた人に聞いたところ1960年に建てられたそうです。

その当時は周辺にあまり建物が建っておらず、かなり大きな建物だったとの事です。

壁と花ブロックの間に僅かな隙間がありますが、おそらく人が通れるほどのスペースはないのではないでしょうか。

個人的な推測ですが、60年代までの沖縄の住宅には2階のバルコニーが殆どなかったのではないかと思います。

60年代後半か70年代に入ってから2階のバルコニーが作られるようになったのではないかと思っています。

バルコニーに上がるために外部階段が設置されるようになってきます。

あくまで推測ですが。これは沖縄の住宅建築史を語る上で非常に重要ではないかと思います。

IMG_1871

 

花ブロックを前面に用いた那覇市の現代的な建物。IMG_1530

 

1、2階やバルコニーの手摺などに用いた例。2階から屋上へ向かう階段が垂壁の内側にあるので

織り込まれた印象ですね。屋上スラブのキャンチレバー部分を支える梁が2重になっていますね。

IMG_1532

 

那覇市のある教会。沖縄の教会には花ブロックを施したものが多いです。

牧港諸魂教会(1957)や聖アンドレア教会(1970)、以前紹介した聖クララ教会(1958)も同様です。

IMG_1539

 

袖壁や間仕切壁にも花ブロックを用いた那覇の集合住宅。

IMG_1537

 

遠くからで分かりづらいですが、アパートの外部廊下に施したもの。

IMG_1902

 

こちらは現代的な例ですね。IMG_1869

 

那覇市壷屋の建物。以前も反対側を紹介しましたが、屋上手摺が花ブロックで、

かつ入り組んだコンクリートの造詣が面白いですね。

IMG_1520

 

いつものように花ブロックだけでなくコンクリート建築も紹介したいと思います。

 

石川あたりをバスで通ったときに見かけたものです。

バルコニーのデザインがカプセルのようですね。屋上の手摺も同様にデザインしています。

まるでメタボリズムの建築のようですが、菊竹さんあたりを参照しているのでしょうか。

IMG_1891

 

名護の店舗兼住宅ですが、水平線とボリュームによって規定されたモダニズムデザインは、やはり好きですね。

アクセントに花ブロックを用いています。
IMG_1881

 

こちらは名護の東江あたりを自転車で廻っていたのですが偶然発見しました。

年代も全く分かりません。現在は使用されておらず、不動産が売りに出しています。

レンガを貼っているのを見ると70年代以降ではないかと思うのですが、おそらく市の何かの機関ではなかったでしょうか。

バルコニーのデザインを見ると、思わずバウハウスかと呟いてしまいました。

IMG_1884IMG_1883

 

 

通りに面した2階建て住宅兼店舗の建物の場合、2階部分のファサードにおいて特徴的なデザインを施しています。

60年代は花ブロックを用いたものが多かったと思いますが、

推測ですが、おそらく70年代以降からファサードデザインの表現が非常に多彩になったのではないかと思います。

IMG_1941 IMG_1940

IMG_1894 IMG_1893

IMG_1889 IMG_1888

IMG_1778 IMG_1491

IMG_1886 IMG_1943

 

こちらは2階部分のファサードにおいて垂壁を下に伸ばし、

ファサードから剥がされたような表現になっており、

非常に特徴的です。建物の横から2階に上がる階段が設置されているのが分かります。

IMG_1944

 

上記の小さな10枚の小さな写真のうち、いくつかに2階のバルコニーがあるのが分かります。

こちらは昨年紹介した建物。

IMG_9593

 

昨年のブログ「沖縄のコンクリートと花ブロックの建築 Part 3」でも書きましたように、

2階部分にバルコニーが取りられるようになってからこのようなファサード表現が出てきたように思います。

次回のブログは、この2階バルコニーと外部階段、そしてこのフレーミングされたようなファサードについて書きたいと思います。

現在沖縄に滞在しています。

この時期沖縄にいるのは何年ぶりでしょうか。

この時期の沖縄は非常に日差しが強く蒸し暑いですね。

毎度のことのように名護市役所と名護市民会館を訪れました。

IMG_1529

80年代、ドゥルーズ・ガタリのリゾームという言葉が流行りましたが、まさしく錯綜体ですね。

IMG_1532

IMG_1801 IMG_1799

縦に連なるピンク色の壁が柱の奥に見えますが、新に設置されたエレベーターですね。

今回初めて気がつきました。

しかしいつ訪れてもぐいぐいと引きずり込まれる迫力がありますね。

先日BS日テレ放送にて放映された「巨大建築EXHIBITION」にて名護市庁舎が取り上げられたようです。

私は見ていませんが、アメリカの旅行ガイドブックにも紹介されたようですね。

素晴らしい建築として一般的にも知名度がどんどん上がって欲しいと思います。

そしてお約束のようにその後は名護市民会館。

IMG_1417

以前にも紹介しましたように、

https://axelshockie.wordpress.com/2013/09/06/%E5%90%8D%E8%AD%B7%E5%B8%82%E6%B0%91%E4%BC%9A%E9%A4%A8%E3%81%A8%E5%90%8D%E8%AD%B7%E5%B8%82%E5%BA%81%E8%88%8E/

エキスパンション・ジョイントの部分ですが、なんとも言えない緊張感がありますね。

IMG_1783

名護湾側から見た市民会館。なかなかこのアングルでの写真はないのではないでしょうか。

IMG_1358

さて、タイトルにもありますように以前にも紹介しました21世紀の森公園、

こちらも象設計集団によるものです。

名護市庁舎よりもこちらが先ですね。

https://axelshockie.wordpress.com/2010/06/22/%E8%B1%A1%E8%A8%AD%E8%A8%88%E9%9B%86%E5%9B%A3%E3%81%A8%E5%90%8D%E8%AD%B7%E5%B8%82%E5%BA%81%E8%88%8E/

日本ハムの秋季キャンプ地としても有名な名護市営球場、運動場や広場、野外ステージ、ビーチなどが設けられた総合運動公園です。

58号線沿いの埋立地に造られました。

https://www.google.co.jp/maps/@26.5924235,127.9716139,816m/data=!3m1!1e3

IMG_1361

IMG_1746

まるで沖縄の城跡(特に中城城跡)の入り口かのようです。

このアーチを抜けるとそこは名護湾を望む野外円形劇場になっています。

IMG_1750

IMG_1752

IMG_1362

IMG_1381

公園は緩やかな起伏にとんだ丘陵で構成され、

緩やかな曲線で連結された沖縄伝統の石造文化を創出しています。

IMG_1359

IMG_1374IMG_1376

IMG_1379

IMG_1378

歩道は滑らかな曲線を描き、ジョギングをする方も非常に多くサイクリングも快適です。

植栽も非常に豊かですが、海際なため台風対策としての防風林、防潮林としての機能を果たしています。

各所に管理事務所や便所、あずまや的なものを配置しています。

IMG_1372

時の広場と呼ばれる日時計。日時計を中心に放射状に配置されています。

IMG_1369

IMG_1370IMG_1368

東京の用賀プロムナードに通じていくものがありますね。

IMG_1382IMG_1367

世界遺産である識名園の庭園にある石橋を髣髴させますね。

IMG_1392

名護市営球場です。壁に蔦が生え味わい深い建物ですが、老朽化が激しく建て替えが検討されています。

IMG_1755

ラグビー場とグラウンドにはさまれた松の並木道の先には出島のようになっており、

両サイドにビーチが広がっています。

IMG_1859

海を挟んで向こう側に恩納岳や石岳を望みます。

IMG_1857

海側からビーチを見たものです。向こうに嘉津宇岳を望みます。

象設計集団は、これらの修景を元に八本の「環境構造線」を導き出し、それらを手がかりに平面計画を行ったようです。

名護湾が他のビーチと違うのは、海の向こうに山が見えるということです。

これが景観として非常に多様性を生み出していると思います。

21世紀の森はこの多様性をうまく敷地内に引き込み、

そして敷地内から我々の意識をその「環境構造線」の軸性によって

雄大な周辺環境へ拡張させる効果をうまく引き出しています。

さて、先日石川近辺を知人とドライブしていましたら、石垣のようなものに出くわしまして、

これ石川白浜原公園ではないかと思い、車を止めて立ち寄りました。

IMG_2139

IMG_2140

こちらも象設計集団によるものです。1980年竣工。

https://www.google.co.jp/maps/@26.4241673,127.8272492,344m/data=!3m1!1e3

この石垣の方がより沖縄のグスクを意識したのではないかと思います。

アーチの部分は現在閉鎖され、諸機能もそこに集約して設けていたと思うのですが現在廃止のようです。

IMG_2141

公園の入り口です。SDの特集「沖縄チャンプルー」に掲載されている写真と比較すると、異なっていますので

後ほど現在のように変更したのかもしれません。

IMG_2153IMG_2143

IMG_2147

向こうの真ん中に立ち上がった列柱のような部分が外部から繋がる通路だと思うのですが、現在閉鎖されています。

円形劇場の端部(写真左部分)には以前立方体の神殿が2基配置されていたようですが、すでに撤去されています。

IMG_2152 IMG_2150

IMG_2151 IMG_2149

コンクリートブロックを用いた灯篭でしょうか。古代遺跡の廃墟のように見えます。

IMG_2148

IMG_2146

大地から徐々に隆起しうねり曲がっていく有機的な石積みの壁はまさしく琉球のグスクを想起させます。

公園入り口右側は円形劇場となっていますが、左側部分もこのようにうねった壇上の石積みの壁が連なっています。

写真は今帰仁城跡。

DSC04848

象設計集団は沖縄の石文化であるグスクを表現しながら、海に向かう屋外劇場を配し

その海の向こう彼方にあるであろうニライカナイを両公園にて表現しようとしたのではないでしょうか。

IMG_1751

現在沖縄にいます。このシリーズもPart 3を迎えました。

今回も少しばかり建物を見て回りました。

琉球放送の「沖縄BON!!」という番組で花ブロックの特集がありました。

http://www.rbc.co.jp/tv_blog/10%E6%9C%8818%E6%97%A5%E3%81%AE%E6%B2%96%E7%B8%84bon%E7%89%B9%E9%9B%86%EF%BD%A2%E9%AD%85%E5%8A%9B%E3%81%84%E3%81%A3%E3%81%B1%E3%81%84%E3%80%80%E8%8A%B1%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%EF%BD%A3/

花ブロックを考案した故仲座久雄氏についても言及しています。

この番組を見て、番組内で紹介された建物を見てきました。

IMG_9447

沖縄県警察運転免許センター(2010)、設計は根路銘設計・梓設計共同企業体です。

ファサードに花ブロックが全面にわたって使用されています。

IMG_9450

IMG_9451

IMG_9453

150角のタイルでしょうか?おそらく沖縄製の花ブロックではないような気がします。

内側から外側がどのように見えるのか見てみたいですね。

 

IMG_9478

あいレディースクリニック(2012)、設計は矢作昌生建築設計事務所です。

http://www.myahagi.com/j/archi/clinic/2013alc/2013alc.html

一昨年、かふうにも掲載されて知っていたのですが、ようやく見ることが出来ました。

この時はあいにく天気が悪く夕暮れで写真が綺麗に撮れませんでした。

IMG_9476

IMG_9474

手前の薬局の壁にも同じような花ブロックを用いています。

リンク先の写真を見てもらうと分かるのですが、花ブロックの開口部の内側と外側の大きさが異なっています。

少しばかりコルビジェのロンシャンを想起させます。

日差しが差し込むと、どのような表情になるのでしょうか?実際に見てみたいですね。

 

あいレディースを訪れる前に、沖縄コンベンションセンターに立ち寄ってきました。

設計は大谷幸夫・国建JVで1987年に竣工、公共建築100選にも入っているようです。

IMG_9457

この建築に関して大谷氏は住宅建築別冊「南島・沖縄の建築文化 -その1・地域的個性と現代の課題」にて文章を寄せています。

歴史的、地理的、環境的な要素からこのデザインは導き出されているようです。

IMG_9458

IMG_9459

IMG_9460

IMG_9461

IMG_9462

IMG_9464

IMG_9466

IMG_9467

IMG_9468

 

話を元に戻しますと、ここ数年、沖縄にて花ブロックを用いた住宅が非常に増えてきました。

デザイン的には白のミニマルなデザインに用いられているのが多いですね。

IMG_9436

 

昔の建物だと色を付けたものも数多くあります。

IMG_9445

IMG_9578

 

道路に面する住宅にはこのようなタイプのものが比較的良く見られますね。

IMG_9591

 

いろんな要素が混在しています。

IMG_9651

 

 

IMG_9485

実家の名護を散策して見つけたのですが、非常に面白いですね。

花ブロックをスクリーンや通風を目的としたものでなく、むしろ装飾として用いています。

その配置の仕方が非常に曖昧で、花ブロックのパターンによって表層で虚像が揺らいでいるように見えます。

70年代のポストモダンの影響でしょうか?

那覇バスターミナルから高速バスで移動中これと似たような建物を見かけます。

非常に面白いです(写真はありません)。

 

しかし沖縄のコンクリートの建築は実に多種多様です。アジア的雑多感とでも言いましょうか。

なぜそのような形態になるのか説実がつかないようなものが非常に多いです。

IMG_9484

IMG_9489

IMG_9487

IMG_9488

IMG_9551

IMG_9553

 

沖縄のコンクリート郡による風景は、やはり私にとって原風景ですね。

これこそ沖縄という気がします。

IMG_9572

 

さて、今まで書いてきた沖縄のコンクリート建築について、ある特徴に気がつきました。

IMG_9593

バスの中から撮ったものですが、このように2階バルコニー部分をフレーミングのように皮膜をかぶせています。

実は私の実家も1階バルコニー部分がこのようになっているのですが、

コンクリートの量塊性をあえて表現せず、皮膜をかぶせることによって、重ね合わせたような表現になっています。

70年代からこのような手法は出てきたのでしょうか。ちょっとよく分かりません。

日本の住宅建築だとどうなんでしょうか?

この辺り来年調べてみたいと思います。

以前にも申し上げたように予定は未定。私も沖縄人です(笑

2010年にも似たような記事を書きましたが、今回はより数多くの写真を掲載したいと思います。

名護の街ですら歩いていますと、オッとするようなコンクリート建築を見かけたりします。

IMG_6466 IMG_6365

IMG_6292

IMG_6464 IMG_6470

これらはいつ頃建てられたのか分からないのですが、個人的に少しばかりロシア構成主義の建築っぽく見えたりしますね。

そういった方法論はないですが、ヴォリュームの構成が1950年以降のロシア建築っぽくあったりします。

 

IMG_6618

こちらは窓の開口部の上部を庇が連続して回っているのですが、2000年代辺りの流行った建築みたいですね。

 

IMG_6666

おそらく右側部分が新しく増築だと思いますが、階段を半ば強引に合わせた感じですね。

しかし階段の踊り場を支えるこの梁、内部も同じ高さで貫いているのでしょうか。

 

街の中を自転車で周りながら見つけたものです。

IMG_6554 IMG_6617

IMG_6560 IMG_6368

IMG_6884  IMG_6888

 

こちらは那覇の国際通りから見えた建物

どうしたらこのような造詣になるのだろうと不思議に思います。

IMG_6459

 

本当に沖縄のコンクリート建築は多様で無作為です。

那覇から名護に向かう途中バスの中から眺めていると、どうやったらこんな風になるんだろうと絶えず発見があります。

取り巻くような直通の外部階段のデザインも面白いです。

こういった無作為のでこぼこが沖縄の強い日差しによって作り出され深い影を生み、独特の光景を作り上げています。

以前にも述べたように、那覇などの密集地にオランダのMVRDVなどがデザインしても、何の違和感もなく収まるでしょう。

 

さて、町中を探索してみると数多くの花ブロックにも遭遇します。

IMG_6916 IMG_6720

IMG_6665 IMG_6473

IMG_6343 IMG_6347

IMG_4448 IMG_6662

 

こちらは塀に使われているものですが、このようなタイプは初めて見ました。

花ブロックというよりは、ちょっと違うタイプかもしれないですが面白いですね。

IMG_6649

 

こちらは屋上に設置されている水タンクの隠し壁に使われているものですが、新しいタイプのものですね。

IMG_6619

 

組み合わせが一風変わったもので、

IMG_6472

 

これらは外部からの視線を遮るためのスクリーンブロックとして使用されています。

IMG_6690 IMG_6281

 

IMG_6692 DSC07829

 

以前にも書きましたように、近年沖縄では花ブロックを使用する建築が増えてきています。

沖縄の新聞の琉球新聞にて毎週金曜日発行される「かふう」(http://www.kahu.jp/index.jsp)を見ていますと、

集合住宅だけでなく、病院など様々なタイプに使われています。

新しいタイプのの花ブロックも色々考案されているようです

 

以前にも紹介した名護の集合住宅。なんとなくジャン・ヌーベルのアラブ研究所を思い起こさせますね。

IMG_6469

 

こちらも以前紹介した、義空間設計工房による那覇の集合住宅

IMG_6873 IMG_6874

IMG_6880

 

花ブロックによる多孔質は、内部への吸引力を生み出します。

これがまた深い影と相まって、沖縄独特の風景となります。

先の記事でも述べた、花ブロックを全面に多用した故仲座久雄氏の自社ビルは、

残念ながら残されていないですが、是非とも見てみたかったですね。

 

最後に首里の金武町石畳を歩いていてふらりと寄ったそば屋の天井です。

IMG_6597

 

沖縄の建築に関する記事は今年はこれで最後です。

また来年、沖縄に帰ってきて書きたいと思います。

 

 

所用にて那覇を訪れていました。 いくつか那覇の建築を見学に行ってきました。

つい先日、沖縄の新聞にて、旭橋の再開発にて11階ビルを建設予定という記事が出ていました。

http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-10-01_54749

2015年着工を予定とありまして、もしかすると現在のターミナルは解体されるのかと思い見てきました。 設計は国建で1978年竣工です。

IMG_6724

設計を担当したのは国建の現名誉会長の國場幸房氏だと思うのですが、どうなんでしょうか?

IMG_6739 IMG_6738

ひょっこりと突き出しているのがとてもいいですね。

 

IMG_6728 IMG_6731

國場幸房氏の代表作ホテルムーンビーチの竣工が1975年ですので、その後になります。

こちらの方が大高正人氏の影響がより強く出ているのではないかと思います。

「仲島の大石」というのがありまして、県指定天然記念物でありまして、

1650 年の『唐栄地理記』にも記載され、「龍珠」(龍がつかんだ玉)として久米村の風水上の要地とみなされていたようです。

明治時代まではこの辺りは海だったようです。

当時の設計の際、この「仲島の大石」の処理に非常に苦労したようですで、ブリッジを架けることによって解決し、参拝者からも好評だったようです。

再開発の際も同じように、かなり大変な気がします。

IMG_6725  IMG_6737

IMG_6734

那覇空港からこちらまで来て名護行きのバスに乗ったり、名護から高速バスでこちらまで来たりと、

かなりこのターミナルを使用していましたので、なくなると寂しいですね。

現在の那覇は高層ビルが増え、都市的に開いた空間が少なくなってきてます。

国際通り前もパレット久茂地などの再開発によって空間が開け、玄関口としての認識が強くなったように、

新しい那覇ターミナルも、ターミナルの玄関口としての空間を保って欲しいですね。

 

その後、那覇市民会館を訪れてきました。

設計は金城俊光・金城信吉、1970年完成で、沖縄を代表する現代建築です。

IMG_6743

実は、久茂地小跡地に新たに市民会館を作る計画がありまして、老朽化の問題もあり、この市民会館を保存するのか解体か色々議論となっているのです。

2013年の2月、 Docomomo Japanから保存の要望書が那覇市に提出されました。

http://kentikuweblog.ti-da.net/e4396632.html

「那覇市民会館を考える会」というのも発足しています。

http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-07-30_52273

実はこういった経緯もあって、急いで見学に行ったのですが、写真で見るよりも実際大きな印象を受けました。

IMG_6741

民家を思わせる大屋根、それによって構成させる雨端、琉球石灰岩の石垣、玄関や1階ホールホワイエのヒンプンなど、

沖縄の建築の伝統を現代に再構築しようとしたものでして、沖縄の風土を表現した現代建築の原点とも言われています。

IMG_6756

IMG_6750 IMG_6751

この2階部分の開口部が特徴的ですね。隅部分が丸みを帯びているので、屋根において柔らかい印象を与えています。

IMG_6754 IMG_6755

コンクリートにレンガタイルを打ち込んでいます。

 

入り口が閉まっていたため、横に事務室があるのですが、そこに行きまして許可を頂いて見学させていただきました。

事務員の方も同行して見学させて頂きました。

IMG_6766

内部においてもヒンプンが表現されています。

 

IMG_6761

2階部分のホワイエです。天井から吊り下がった照明がその当時を偲ばせますね。

 

IMG_6762 IMG_6763

2階のバルコニー部分。コンクリートのルーバーによって形成される光と影のコントラストが美しいですね。

現在、保存か解体かで議論がなされていますが、日本の素晴らしい近代建築がどんどん解体されている中、

市民からも残してほしいという声も上がっているようですし、沖縄の伝統を表現した建築として是非とも残してほしいものです。

 

この後識名園に立ち寄りました。

訪れるのは3回目です、いづれも雨が降っていましたが今回は晴天でよかったです。

やはり沖縄の石文化はいいですね。

IMG_6799

IMG_6806

IMG_6782 IMG_6785

IMG_6787 IMG_6828

今回初めて建物の中に上がったのですが、坪庭のようなものが2つあるのに気づきました。

これは坪庭を目的として作られたものなのか、それとも廊下をまわすことによって出来た副産物のようなものなのか分からないですが、

おそらく沖縄の民家に坪庭は存在しません。

もちろん識名園は琉球王家の別荘であり、中国からの使者をもてなすものでありましたから民家とは全く違いますが、

首里城にもこのようなものは見られませんでした。

IMG_6819

 

最後に沖縄公文書館を訪れました。

設計は国建で1995年完成です。BCS賞を受賞しています。

IMG_6832

以前ブログでも紹介しました読谷文化センターなどへ連なる屋根を表現したものです。

 

IMG_6837

IMG_6840

IMG_6835

この菱型の琉球紋様を模した花ブロックのようなスクリーンの裏側は保管庫で壁になっています。

プレキャストで作っているの思うのですが、かなり細かいですね。

 

IMG_6842

IMG_6849

随所に菱型の紋様を模したディテールが出てきます。

この手法を引き継いで設計されたのが美ら海水族館だと思います。

 

中の展示を見てきたのですが、ある写真に目が止まりました。

公園の後ろにあるとある3階建ての建物に目が止まったのですが、公文書の職員の方に聞きまして公園の場所が分かりました。

職員の方が調べてくれたのですが、残念ながらその建物は現在残っていません。

これはもしやと思っていたのでしたが自宅に帰って調べた所、

その建物はやはり沖縄を代表する建築家、故仲座久雄氏の事務所ビル(1956)でした。

以前にもブログで紹介したように、花ブロックを考案した方であり、その事務所ビルは花ブロックを全面に使用したものでした。

その写真はオフィシャルなものなので公文書から許可を取らなくては掲載できないのですが、

今回時間が無く断念しました。

お忙しい中私の質問のために時間を割いてくれた職員の方に熱く御礼を申し上げます。

この仲座氏の事務所ビル、いわゆるモダニズム様式と言えるものだと思うのですが、

この当時日本で風土を考慮した地場産の材料(この場合だと花ブロック)を使用したモダニズム建築はあったのでしょうか。

この当時地域性を表現したモダニズム建築は、私見ですが、日本においておそらく殆ど例が無かったのではないかと思います。

そういった意味でも(もちろんそうでないとしても)、歴史的に非常に意義のある建築だったと思います。

 

公文書館から名護に帰る途中、沖縄小児保健センターを偶然見つけました。この近くにあるとは思いませんでした。

設計は、フナキサチコケンチクセッケイジムショ・細矢仁建築設計事務所で2008年完成です。

IMG_6868 IMG_6863

 

そしてその近くに、沖縄南部医療センターがあります。設計は日建設計・国建JVで、2003年竣工です。

新しい那覇市庁舎を少し彷彿させますね。

IMG_6870

 

今回、那覇にていくつかの建築を見て回ることが出来ました。

那覇以外にも宜野湾市や南城市など色々訪れてみたいですね。

名護からだと非常に遠く、車でないと行けないのが辛いですが。

 

先日那覇の牧志公設市場を歩いておりまして、ふと小さな古本屋を見つけました。

「市場の古本屋 ウララ」

2011年に新規開店してどうやら日本一狭い古本屋だそうで、かなり話題になっているようです。

http://urarabooks.ti-da.net/

『那覇の市場で古本屋 ひょっこり始めた〈ウララ〉の日々』

沖縄県産の古本を扱っている店ですが、以前こんなところに古本屋なんてあったかなと思いながら、

ふらりと立ち寄りました。なんと言いましょうか、目に見えない不思議な吸引力がありました。

 

こちらで2冊の建築の本を見つけました。

一つは、前回のブログでも触れた、「沖縄の建築」沖縄建設新聞編1996年

もう一つは、別冊建築ジャーナル 「建築から見る沖縄 国建の仕事」1998年

IMG_6659  IMG_6660

「沖縄の建築」は、沖縄の建築家による1980年代中旬から90年代中旬までの作品が掲載されています。

国建の國場幸房氏も取り上げられています。

これまで私が持っていた沖縄の建築関連の本は、

南島・沖縄の建築文化. その1: 地域的個性と現代の課題(住宅建築別冊40)

南島・沖縄の建築文化. その2: 今日の住まい 30 題と伝統民家論(住宅建築別冊41)

SD 特集:沖縄チャンプル

あとは沖縄の民家に関する本だったのですか、

34557625 34557620

建築文化その2の方に掲載されている作品も、いくつかありました。

先日那覇や名護の宇茂佐にて、とても興味深い住宅を見つけたりしたのですが、

この本を見て、あの住宅がこられの設計者による物だったのかと分かったりしました。

 

作品全般に概ね共通して言えることは、同時代の影響が見られることです。

花ブロックやコンクリートブロックを使用したものもありますが、

形態デザインにおいては曲線やボールト屋根、切妻屋根、打放しコンクリートが多いことです。

具体的に挙げると、安藤忠雄や磯崎新などの建築家の影響が見て取れます。

自宅の近くに名護クリニックという建物があったのですが、正方形の窓、庇の吊り方や外壁のタイルなど

なんとなく磯崎さんを彷彿させるなと思っていたら、

この本の中で取り上げられていまして、設計者はやはり磯崎さんの影響を受けていたそうです。

慌てて建物の写真を撮ろうと思って行ってみたら、残念なことにすでに解体されてパチンコ屋になっていました。。。

2000年以降の沖縄の建築はツルッとした表情の物が多く、やはり同時代性のミニマリズムの影響が大きいですね。

 

個人的に見つけてみたいのが、あるのかどうか分からないですが、50・60・70年代の沖縄のコンクリート住宅建築に関する本です。

機会があれば古本屋で探してみたいと思います。

 

ちなみに冒頭でふれました古本屋の「ウララ」。

本を見渡してみると、うちにある本がいくつかありました。

私の家にも40年ほど前のかなり古い琉球の歴史遺産の本があるのですが(補修される以前の玉陵の写真などが掲載されている)、

それは売らずに父の形見として取っておきます(笑

機会があれば、一度訪れてみるといいと思います。公設市場付近は沖縄独特の奥深さがありますが、

ここは少し異なっており日本的な路地裏を何かしら感じさせます。

これも一つのチャンプルーなのでしょうか。

そこで沖縄の本を探し公設市場付近の雰囲気を味わった後で、

『那覇の市場で古本屋 ひょっこり始めた〈ウララ〉の日々』を買って読むことをお薦めします(笑)

 

現在沖縄にいます。この時期の沖縄にいるのは約8年ぶりくらいでしょうか。沖縄の夏はやっぱり暑いです。

那覇空港から車で那覇市内に向かう途中いつもこの建物、那覇東町会館(県立郷土劇場)があったのですが、

老朽化に伴い2009年に解体されました。現在駐車場になっています。

設計は確か竹中工務店だったと思うのですが現在確認できず。1977年竣工です。

小さい頃から、那覇から名護に帰る途中いつも見ていましたので、無くなるとなんとなく寂しいですね。

ランドマーク的なものでしたから。

DSC01878

さて、パレットくもじの前にあった那覇市役所が、新しく出来ていました。設計は国建。

IMG_6458

左側には議会棟と沖縄県庁舎(設計は黒川紀章)があります。

ここ10年ほど、国建のデザインには縦のルーバーを使用する例が多いような気がします。

IMG_6461

旧那覇市役所(1967年)の設計は、故・金城信吉氏。沖縄を代表する建築家です。

金城信吉の展覧会が2011年にあったようですね。全く知りませんでした。。

「沖縄の原風景との対話・建築家金城信吉の世界」

個人的には彼が設計した旧那覇市役所の道路側の壁に赤瓦でしょうか、陶器を交互に配したものがあったのですが、

この壁は出来れば保存してもらいたかったというのが個人的な感想です。

http://img04.ti-da.net/usr/kumojicentral/%E5%B8%82%E5%BD%B9%E6%89%801.jpg

去年の11月、「NHKが映した沖縄」の放送にて、24年前に日曜美術館にて放送された「沖縄・未完の設計図~建築家・金城信吉~」が 放送されたのですが、残念ながら録画できませんでした。

是非とも見たかったです。

さて、名護市庁舎と名護市民会館を訪れてきました。

以前書きました3年ほど前の名護市庁舎のブログ

象設計集団と名護市庁舎

今回は写真が中心です。

IMG_6479 IMG_6482

IMG_6483 IMG_6484 IMG_6486 IMG_6487 IMG_6489

このアサギテラスの小梁に取り付けられたパイプ、この時初めて気がついたのですが、何のためでしょうか。

間に棒や紐をつけて、植栽を這わすためのものだったのでしょうか。

IMG_6490

1階雨端の下のレンガタイルの割付です。

IMG_6498

写真じゃちょっと分かりづらいですが、柱周りも異なっています。

下の写真のように、最初陶器のものを貼る予定だったのでしょうか。

IMG_6499

IMG_6500 IMG_6501 IMG_6502

今回初めて中の写真を撮りました。窓口案内にて聞いたところ、撮っても問題ないとの事。

IMG_6506 IMG_6504

天井高も十分にあり、広々として心地良いです・。スパンもかなり飛ばしていますね。

照明が取り付けられている片持ちのコンクリートは、以前は同じピンク色でした。

何年か前から黄色に塗り替えられたのですが理由は分かりません。

風の道と名づけられたボックス梁の所にエアコンが取り付けられているのが分かります。

柱で吊っているのでしょうか。

IMG_6510 IMG_6511

何度訪れてもいいですね。時が経つにつれてどんどん風格が増してきます。

4本柱が織り成す空間は、ガジュマルを想起させます。

個人的に出来れば世界遺産に組み込んでもらいたいですね。

シドニーのオペラハウスもすでに世界遺産になっていますから。

名護市庁舎のすぐ近くに名護市民会館がありますので立ち寄ってきました。

以前書いたブログ

首里城、玉陵、名護市民会館とドーモ・チャンプルー

IMG_6477

名護市庁舎から見た名護市民会館

IMG_6514

IMG_6543

水平のルーバーが白く塗られているのが分かります。以前は同じコンクリート色でしたが、ここ2年前ほどに塗り替えられました。

DSC05080

(写真は2010年のもの。以前はモニターもありませんでした)

設計は以前も書きましたように二基建築設計室(現在二基建築)。1985年竣工です。

先週那覇を訪れた際、公設市場の近くで古本屋さんを見つけました。どうやら日本で一番小さいようです。

そこで沖縄建設新聞から出版された「沖縄の建築」(1996年)を見つけました。そこに越智史郎氏が出てきます。彼が担当者だったのでしょうか。

この本については後ほど書きたいと思います。

この本によると、沖縄で初めてプレキャストが導入されたようです。

建物を見ていくと、プレキャストが使われているのが分かります。

IMG_6541

コンクリートのトラス梁がプレキャストです。左側にエキスパンション・ジョイントが見えますね。

IMG_6547

反対の海側から見た中庭

IMG_6318

スロープ

IMG_6319 IMG_6320 IMG_6321 IMG_6328 IMG_6336 IMG_6342

2階のテラス部分から見た写真ですが、この突き出た柱梁が大きな特徴です。

ルーバーの上にかけてあるコンクリートはプレキャストです。

IMG_6325

2階から入った内部。一部吹き抜けになっています。

IMG_6520

こちらは1階の外から見たホワイエ。プレキャストの梁を使っているのが分かりますね。

IMG_6531 IMG_6528

1階から2階へ続く螺旋階段。コーナーの梁が複雑に絡んでいます。

IMG_6326 IMG_6329

IMG_6330

IMG_6529

コーナー部分の梁。片方はつなげず、もう片方は連結しています。もの凄くアクロバティックですね。

IMG_6527 IMG_6523 IMG_6521 IMG_6542

1階部分から見た様子

IMG_6546

正面左側部分。ホールの壁に白い帯状のものが見えますが、おそらく補修だと思います。

IMG_6533 IMG_6515 IMG_6518

四方三面はこの巨大なコンクリートの列柱で囲まれています。その内側に入れ子のようにコンクリートブロックを使用した壁が入れ込まれています。

IMG_6539 IMG_6540

この規則正しく配置された列柱群によって形成された外観は、古典主義に近いものがあります。

個人的にイタリアの建築家、アルド・ロッシを想起させます。

先の本によると、越智氏は東大出身で、沖縄の女性と結婚してこちらにやって来たそうです。

学生時代沖縄にはよく訪れていたようで、沖縄の建築に強烈なインパクトを受け、地域・風土と建築の関わりを考えており、

この市民会館において、伝統的な切妻の形式と半屋外の中庭を主題に設計したようです。

彼によると、本土の庭は眺めるためのものであり庭自体で存在が完結しているのに比べ、

沖縄の場合は庭全体が生活の活動領域で、それをいかした空間にしたかったと述べています。

最初この中庭を訪れた際、この突き出た梁に注目がいったのですが、彼の説明を読んで理解しました。

これは屋根を抽象的に表現したものだと。

象が設計した名護市庁舎の後ですので、もちろんそれを意識していると思います。

名護市庁舎もアサギテラスを意識し、それを表現した構成になっていますが、

市民会館の場合、外側の外観は列柱を中心とした整然とした構成、中庭部分の内側は沖縄の歴史的要素を表現したものになっています。

しかし列柱にはルーバーを設け、その内側にスクリーンブロックを配し、強い影を落とした奥行きの深い構成です。

中庭も単に歴史的な表現ではなく、梁などにより強い影が生み出されます。

スロープ、ピロティ、ルーバーなどのモダニズム言語を駆使しながら、伝統的なものや古典を表現しています。

もしこれがコンクリートでなければ、下手するとキッチュな感じになっていたのかもしれません。

ポストモダンとモダニズムを組み合わせたコンクリート建築、沖縄におけるブルータリズムといえるでしょう。

以前にも書きましたように、コンクリートが沖縄の風土に良くなじんでいます。

沖縄を代表する建築の一つだと思います。

 

名護市民会館の前庭から見た名護市庁舎

IMG_6338

 

この近くに象設計集団がデザインした「21世紀の森」があります。こちらも琉球石灰岩を用いた構成になっています。

IMG_6312

先日、約10年ぶりに首里城を訪れました。

あいにく天気が悪く、綺麗な写真を撮れなかったのが残念です。

訪れる際、一番最初に目に入るのが有名な守礼の門ですね。

 

この門をくぐって、坂道を登っていきますと、首里城が見えてきます。

 

 

本殿を正面にして、右側の建物は、日本からの使節のために板張りにし、左側は中国からの使者のために朱色に染めているそうです。

 

さて広場の真ん中を突き通る道が本殿に対して真っ直ぐではなく少し角度がついています。

これが何故なのか分からないのですが、先日放送された「NHKが映した沖縄」と言う番組で

http://www.nhk.or.jp/okinawa/fk40/nhk_okinawa.html

「琉球王国 栄華の夢」もしくは「炎を見ろ 赤き城の伝説」のどちらかで説明されていたようです。

こちら録画していますので後で見てみます。

本殿の裏側に、使者のための応接間に面したところは、庭園となっていますが、琉球石灰岩で構成された物になっています。

これがなんとも見事なのですが、写真の左側もそのようになっています。

 

周辺のうねる曲線の城壁がなんともいいですね。

 

実際は首里城は第2次世界大戦で焼け落ち、現在の姿は1992年に再建された物です。

よって本殿などは世界遺産ではなく、その周辺にある御嶽などが世界遺産です。

 

首里城から歩いて30分以内に玉陵があります。

 

こちらを訪れるのは2回目なんですが、いずれも天気が悪いです。。。

第2尚氏王統の陵墓で1501年に作られており、沖縄最大の墓で世界遺産の1つです。

 

 

 

この真ん中に位置するシリンダーの形をした物に興味があったのですが、何故このような形態が出てきたのでしょう。

これはシルヒラシと呼ばれ、洗骨前の遺骸を安置する部屋だそうです。

ここだけ何故ぜんぜん違う形態なのでしょうか。とても興味深いです。

 

ここを見学した後、タクシーに乗って高速バス乗り場まで行く途中偶然ドーモ・チャンプルー(1985 象設計集団)を発見しました。

あわてて運転手に止まって下さいと言って、写真を撮りました。

 

個人住宅なので、勿論近くから写真は撮れないのですが、何枚か。

 

 

 

 

内部はどうなっているんでしょうね。非常に見てみたいです。

 

高速バスに乗り、高速道路に入る少し前にいつも見かける集合住宅です(写真はバスから)。

 

花ブロックを使用した集合住宅で、設計は沖縄の義空間設計工房によるもので、ここ5年以内くらいだったと思います。

事務所のホームページに掲載されています。

その隣に2期工事の建物が出来ていまして(おそらく去年完成、建物名が違うのでオーナーも違うかもしれません)、

 

 

最初の建物と比べると、花ブロックの壁を上下交互に配してます。

非常にシンプルでありながら、花ブロックにより深みがあり、多様性が生まれています。

ディテールもシンプルで、花ブロックとコンクリートのソリッド性をうまく表現しています。

 

この後、高速バスで1時間半かけて名護に戻ってきました。

名護市庁舎にちょっと立ち寄り、

 

国道58号線をはさんで向かいにある名護市民会館(1985 二基建築設計)を見てきました。

沖縄のコンクリート打ちっ放しの代表的な建築です。

(写真は3年前のもの。今回正面を撮り忘れました)

現在全面のコンクリートの水平ルーバーは白く塗装されており、以前よりシャープな印象を受けました。

 

 

 

この隣が名護市民公園でして、マスタープランは象設計集団です。

琉球石灰岩を用いた緩やかなカーブを描いた壁が段々状に構成されており、

非常に伸びやかな雰囲気の公園です。その向こう側は名護湾です。

 

今回、街を歩きながら、もっと70年代以前に出来たであろう建物の花ブロックやコンクリート住宅の写真を撮りたかったのですが、

天気が悪かったり都合がつかなかったりで撮れませんでした。

しかし、いつも歩きながらコンクリート住宅郡を見ていると、思わずオッとするようなものがあります。

10年程前に流行った上下水平に連続する庇のような物が付いた住宅を発見したり(おそらく70年代)、非常に面白いです。

本当に沖縄のコンクリート住宅郡は多様で深いです。

今回はあまり建物を見にいけませんでしたが、次回は時間を見つけて住宅郡の写真を撮りたいと思います。

 

琉球村(Ryukyu Mura)

現在帰国しておりまして、沖縄に滞在しています。

カザフスタンにいる時はログインできず、ずっと更新できませんでした。

東京に滞在中は知人のジャーナリストに誘われて、

建築夜学校2012 21世紀の首都 と題したシンポジウムに行ってきました。

http://www.kenchiku.co.jp/bunka2012/night/index.html

 

1週間ほど滞在して、沖縄に戻ってきましたが、やはり暑いですね。完全に夏です。。

先日、琉球村に行ってきました。

http://www.ryukyumura.co.jp/official/highlight/kominka/

いつものように沖縄の昔の民家を見ようと行ってきたのですが、テーマパークですので

意外と楽しめました。

高倉をイメージしたデザインですが(1982年)、設計者が誰なのか分かりませんでした。

 

 

以前にも沖縄の民家をブログにて少し紹介しましたが、

「琉球の石文化」

https://axelshockie.wordpress.com/2010/05/31/%E7%90%89%E7%90%83%E3%81%AE%E7%9F%B3%E6%96%87%E5%8C%96/

 

 

「赤瓦の建築」

https://axelshockie.wordpress.com/2010/04/28/%E8%B5%A4%E7%93%A6%E3%81%AE%E5%BB%BA%E7%AF%89/

 

 

今回も新しい発見がありました。

 

赤瓦を積み上げた塀というのはあまり見た事がないのですが(ヒンプンなら見た事がある)、これがなかなか面白いなと。

 

 

旧仲宗根家

約200年前の民家のようです。

横長で2重の瓦屋根が特徴ですね。

 

 

そこを曲がって上がっていくと、

琉球石灰岩の石積みですが、全部大きさがまちまちですね。

 

旧島袋家

築約120年のようです。

 

この屋根に少し突き出た物は煙抜き(イーチミー)といって、台所側の上にあります。

 

 

この民家では琉球民謡と舞踊をお姉さんたちが教えていたのですが、

 

右側の三味線を弾いている方から色々教えていただきました。

その中で一番興味深かったのが、隣にある旧西石垣家のことでした。

それは一般住宅ではなく、集会所で、大きさに合わせて間仕切りを変えていたそうです。

 

一般民家にしては平面形式が正方形に近く、なにか変だなとは思っていたのですが、

説明を受けて納得しました。屋根裏も全部板張りになっています。

棟木に名前が書かれた物が使われていますが、理由は教えて頂いたのですが忘れました。。。

 

構造もちょっと変わっておりまして、入れ子のようになっています。

 

個人的に言うと、物凄いモダンな感じというか非常に抽象的な印象を受けました。

時間があればもっと調べてみたいと思います。

もしかしたら、沖縄の建築史上重要な建築なのかもしれません。

 

すぐ近くに旧比嘉家がありまして、

 

外から見ると一見なんてことはないのですが、

中が少し違っておりまして、

 

床の間のつくりが一般的な物と異なっています。

旧地主の家のようで、話を聞くところによると、その当時の王様も訪れていたようで、

床の間のある部分に(実際にその場で説明を受けていないので分かりません。。。)石が置かれていたようです。

 

旧大城家

築約200年のようです。

 

いつもこの2重屋根と屋根が重なる部分の収まりが気になるのですが。

 

沖縄といえば赤瓦と想起する方も多いと思いますが、沖縄の北部は赤瓦よりもセメント瓦の方が圧倒的に多いです。

 

八重山にはセメント瓦はなかったでしょうし、その当時80年ほど前に存在していたのかはちょっと分かりませんが、

先ほどの旧西石垣家の屋根が赤瓦でなくセメント瓦であったならば、もっと抽象度が高かったでしょう。

 

さて今回は特に旧西石垣家が印象深かったのですが、

先の三味線を教えているお姉さんと話をしていて、

沖縄音階とウイグルの音階が全く一緒だと教えました。

かなりビックリされていましたが、今後研究が更になされていくと思います。

ちなみにカザフスタンの話には2人ともかなり興味津々のようでした(笑

先週の金曜日、無事アルマティに到着しました。

4日ほど滞在し、水曜日に沖縄から東京に戻ってきたのですが、

台風の影響で危うく飛行機が欠航になるところでした。

沖縄では建物において、台風では殆ど被害が出ません。

やはりコンクリートによるところが大きいです。

写真で分かるように、看板もそのまま壁にペンキ塗りです。

 

 

 

 

 

沖縄といえば、やはりこの無作為なデザインのコンクリート郡ですね。

沖縄の原風景は赤瓦だと思っている人も多いかもしれませんが、私にとってもはこのコンクリート郡ですね。

外部階段のまとわりつきなど、今見ると面白かったりしますし、

もうちょっと昔の昭和30、40年代建物など、昔ながらの花ブロックを使っていて、妙にバナキュラーだったりします。

例えばMVRDVがコンクリートでこちらで建築を作ったとしても、何の違和感も無く溶け込むんじゃないですかね。

 

今回東京に3週間滞在しましたが、メタボリズム展の内覧会にて六本木ヒルズから東京の夜景を見ながら、

もし今の日本から技術というものが無くなってしまえば、何も残らないのではないかという印象に駆られました。

何かしら非常な危機感みたいなものを感じましたね。もちろん津波や原子力発電所の問題もありますが。

アルマティに戻るとものすごくホッとしました。

もちろんここに現在長く住んでいるからでしょうけど。

 

さてブログにて、殆ど建築ばかり紹介してきましたけど、少しは風俗的なものも紹介したいと思います。

写真はラグマン。ウイグル料理から来たものですが、非常に美味しく私の大好物です。

茹でた麺に、羊の肉や野菜を加えたものです。このスタイルはウイグルスタイルで、カザフでは、肉とトマトのスープのようなものに麺が入っていますが、私はウイグルスタイルが好きですね。

 

こちらもPop Musicが当然盛んなわけですが、伝統楽器も数多くありまして、有名な楽器にドンブラというものがあります。

2本の弦に細長いネックの弦楽器ですが、これとバイオリンをアンサンブルのメインにしたグループがあります。

その名も「Ulytau」(ウリタウ)

http://www.ULYTAU.com

基本的にはハードロックに近いですが、いわゆるプログレと呼ぶことも出来ます。

ドライブ感が激しく、バイオリンとドンブラ、そしてギターが織り成すアンサンブルは非常に素晴らしく、

バイオリンを使ったロック(例えばイギリスのCurved Air やイタリアのNew TrollsやPFM)等と比較しても遜色ないと思いますし、Dream Theaterなんかよりも遥かにオリジナリティーにあふれていると思います。

カザフスタン以外では、ロシアとドイツにだけアルバムが販売されているようです。

何とか日本でも売り出せないかなと考えているんですが、日本の音楽業界の方いかがでしょうか?

メタルやプログレ界ではかなり人気が出ると思うのですが。

 

さて次回からまたカザフの建築に戻りたいと思います。

 

1ヶ月以上ぶりの投稿です。

9月初旬より帰国していまして、下旬に帰国予定です。

東京は湿気が凄いですね。正直耐えられません。。。歩いているとアルマティに早く戻りたいと言う気分です。

合間を縫って、少しだけ建物を見てきました。

スカイツリーが羽田空港からも見えたのはビックリしましたが、浅草からのこの風景は、東京の珍(?)風景として、さらに親しまれるでしょうね。

 

 

有楽町の駅を出ても、新しくビルが沢山出来ており、綺麗に整備されて、どこか分からず迷いました。。。

新しいビルの2階で一休みし、そこからの風景ですが、

東京国際フォーラムが、完全に埋もれていますね。

その高層ビル群の隙間を走っていく新幹線が、なんともダイナミックです。

 

今回見ようと思った建物は、白井晟一の松涛美術館(1980)です。東京に10年住んでいたのですが、一回も見た事がなく、今回初めて見てきました。

ぱっと見た瞬間、黒川紀章設計のヴァン・ゴッホ美術館新館(1990)を思い出したのは私だけでしょうか。

正面外観がロマネスクで、中がバロックになるという、反転したダイナミックな空間構成がなんとも魅力的ですね。

 

後は日本設計が設計した再開発ビルと代々木体育館

 

「メタボリズムの未来都市展」が森美術館で9月17日から開催されたのですが、その前日の16日、知人のジャーナリストに誘われまして、内覧会に行ってきました。

http://www.mori.art.museum/contents/metabolism/index.html

http://www.roppongihills.com/feature/metabolism/metabolism.html

非常に興味深かったのですが、とりわけ丹下健三の大東亜建設記念営造物コンペ案のCGや、アラン・レネの「24時間の情事」(この映画の存在は知りませんでした)、大谷幸夫の麹町計画の模型を生で見れて、面白かったです。

黒川紀章の「農村計画」や、槇文彦のゴルジ体の新しい模型もありました。

真後ろに実はレム・コールハースがいまして、初めて生で見たのですが、その後レセプションに来ると思い、挨拶しませんでした。「今カザフスタンのアルマティに住んでいて、あなたのアルマティ市の大学プロジェクト拝見しました」と言えば、興味持ってくれたかな?(笑

JARA大賞のコンペにて、審査員賞を頂いた案に票を入れてくれました日建設計の小倉善明氏も見かけたのですが、同様の理由で挨拶できず、後悔しました。

レセプションでは、八束はじめ氏にお会いして挨拶したかったのですが、これも出来ず残念でした。

森ビルの最上階51階にてレセプションは行われたのですが、そこからの夜景は凄いですね。

知人のジャーナリストが、これぞグローバリズムと仰っていましたが、まさしくその通りだなと思いました。

 

現在沖縄に滞在しているのですが、やはり蒸し暑いですね。東京より蒸し暑くないのかと思いきや、かなり蒸し暑いです。

知人の構造設計者と彼の友人の沖縄在住の設計者たちと飲んだのですが、いろんな話が聞けて面白かったです。

当然名護市庁舎の話も出てきましたね。

 

いつも帰国の際、カザフスタンで本注文して沖縄の実家に送ってくれるようにしていますが、

とても欲しかった本が手に入りました。

「Cosmic Communist Constructions Photographed」

http://www.taschen.com/pages/en/catalogue/photography/all/05744/facts.frederic_chaubin_cosmic_communist_constructions_photographed.htm

基本的に写真家が撮った本のため、全体像が見えない建物もありますが、非常に興味深いです。

これってもしかして70年代の磯崎さん?と言えそうな物もあります。

カザフスタンやキルギスの建築もありますが、私が知っているものばかりですね。

おそらくこの本に掲載されている以上に面白い建築が旧ソ連圏内の国にまだまだ眠っているのではないかと思います。

私が撮った写真を本で出版したら面白いんじゃないかな。

沖縄に帰省しまして、少しの時間を見つけて、浦添ようどれとやちむんの里に行ってきました。

浦添ようどれ

http://yodore.jp/

浦添ようどれは、浦添グスクの北側崖下にある琉球王国初期の王陵で、咸淳年間(1265-1274年)に英祖王が築いたといわれています。その後、1620年に、浦添出身の尚寧(しょうねい)王が改修し、王自身もここに葬られました。岸壁に横穴を掘り墓室とし、中には中国産の石で作られた石厨子があります。向かって右側が英祖王、左側が尚寧王の墓といわれています。「ようどれ」とは琉球語の夕凪です。

浦添城の中にある墓ですが、5年ほど前に修復され以前とは違いまったく新しくなりました。

国指定重要文化財です。

この入り口は、暗しん御門と言って、この上に岩があってトンネルのようになっていましたが、第2次大戦によって崩落し、修復の際安全上の問題で、復元は見送られたようです。

こちらは一番庭と呼ばれ、西室と東室(尚寧王陵)があります。

ここはとても見晴らしがよく、浦添の町が一望できるのですが、なぜこのように壁で周りを囲っているのか、

理由は分かりません。一種の聖域のようなものなのでしょうか。

この後、読谷村のやちむんの里に行ってきました。

http://plaza.harmonix.ne.jp/~udagawa/yachimun.htm

実はこれはどうしても見たかったのです。

去年のブログで那覇市の壺屋の登り窯を紹介しましたが、

那覇への煙害のため、そこが使えなくなり、読谷村に陶芸家が移ってきて出来たようです。

設計は洲鎌朝夫(匠設計代表)

中に入り、柱を見てびっくりしました。話を聞いたところ、木材の電柱の廃材を使用しているとのことでした。

現代建築には見られない、ものすごくプリミティブな力強さです。

そして一番の見所はこの登り窯

本当に圧巻でした。登り窯によって、斜面を這い上がるように造られていますが、

このダイナミックな躍動感は素晴らしかったです。

話を聞くところによると、陶芸家や職人さんたち自らの手で作り上げたようです。

琉球石灰岩の壁に石灰岩を乗せ、その上に電柱柱を乗せています。

洲鎌氏の文章を読む限り、コルビジェや特にフランク・ロイド・ライトの影響を受けているようですが、

大げさに言えば、この建物はその影響をはるかに凌駕したものを感じました。

完成は1980年で当時ポストモダンの時代ですが、その中において大きな批評性を今でも尚、放っているのではないかと思います。

個人的に沖縄における建築として、名護市庁舎と双璧をなすものだと思います。

ものづくりとは何かという原点を、頭のてっぺんから食らったような衝撃ともいえるような体験でした。

このような建築を、父の生まれた古宇利島という所に、自らの手で作り上げたいというのが私の本望です。

もちろん、陶器も素晴らしいものが多く、見入っていくつか買っていきました。

沖縄病とは、俗に、沖縄に旅行に訪れた人々が、その魅力に取り憑かれ、何度も足を運んでしまう事を指します。
(昨今は、日本社会の閉塞感からの逃避行に近いような気がします)、
移住者も年々増えていますが、実際は、9割近くが、3年以内に戻ることを余儀なくされています。
(経済的理由など、イメージのギャップが大きい)
多くの方が、青い海や空などの自然、沖縄料理、三味線に代表される音楽など、癒しへの希求に関するものばかりですが、
個人的にこればかりではないような気がします。
沖縄での休暇の最後の日、壺屋のやちむん通りに行ってきました。
那覇の公設市場の裏手すぐのところです。
焼窯とやちむん通りを見てみたかったのです。
300年ほど前から、この辺りで琉球王朝により陶器産業を確立させようと壺屋焼が始まりました。
しかしここはコンクリートジャングルの那覇、山原の名護と違い、とても暑かったです。
実は、この小さな森に囲まれた丘に佇む登り窯が見たかったのです。
斜面に沿って、まるで生き物のように今にも動きそうなこの躍動感あふれた登り窯。
周囲に身を晒すことなく、緑に囲まれひっそりと佇んでいます。
明治以降、有田焼などの安い陶器が手に入るようになり、壺屋焼きは危機を迎えますが、
民芸運動の第一人者であった柳宗悦、浜田庄司らが訪れ、郷土の陶工、後に県下初の人間国宝にもなった金城次郎氏や新垣栄三郎氏らを指導して技術を高めていき、
東京などで再び、脚光を浴びたようです。
被災を何とか逃れたようですが、市内への煙害が問題となり、読谷村が新たに窯元の誘致を行い、
現在、「読谷やちむんの里」として、陶器の町として栄えています。
この読谷にある登り窯、実に迫力があり、この目で実際に見て見たいです。
実は設計は、1980年、戦後の沖縄を代表する建築家、故・洲鎌朝夫氏によるものです。
赤瓦による、永遠に伸びていきそうなこの躍動感は、類を見ないほど素晴らしいです。
少し話がそれましたが、やちむん通りを歩いていると、ある建物の前で立ち止まりました。
壺屋の陶器会館だったわけですが、写真の左側の木に元に近寄り、小道に入って強い日差しから逃れようと涼みを取りました。
そのなんと心地よいこと。
その少しばかり異様なコンクリートに寄り添う木が織り成す日陰の空間に佇まいながら、
ふと、これが沖縄病の一番の要素ではないかと思いました。
実際近くの公設市場の裏手は、ある種の異様なコンクリート郡で、それらが織り成す日陰の空間は、
爽やかと言うよりも、何かしら異様な空気が漂っています。
なぜだか分かりませんが、そこに向ってぐいぐいと引き込まれていきます。
青い海でも青い空でもなく、ひなびたコンクリート郡によって作られる、ある種の洞窟とも闇とも言えるようなこの強い日陰こそが、
実は沖縄病の最大の要因ではないかと思います。
沖縄の住宅雑誌「沖縄スタイル」(現在は休刊)にて、ある本土の作家が、このコンクリート郡によって作られる影について書いていました。
沖縄を代表する有名な言葉の1つに「チャンプルー」があります。
沖縄料理に良くでてくる、ゴーヤーチャンプルーは、今では本土でもほとんど通じると思います。
意味はご存知、ごちゃ混ぜという意味ですが、沖縄の文化そのものが、中国、日本、東南アジア、そしてアメリカなどの文化を吸収してきた
チャンプルー文化そのものであり、その風土の元にまた沖縄の建築も発展してきました。
色んな要素が、無作為に存在しながらも、なぜこれほどまでに沖縄らしいのか、
それはやはり、その無作為性の造詣が織り成すことによって出来る影ではないかと思います。
それが、観光客を含む、沖縄を訪れるものを魅了してやまない、沖縄病なのではないかと感じました。
最近の沖縄の建築では、やはり現在の日本的スタイルが増えてきています。
沖縄県庁舎は、故・黒川紀章の設計ですが、やはりツルンとしたファサードであり、そこには深みも何もなく、
沖縄の建築家からは不評のようです。
しかし、ミニマリズム的なスタイルが、この沖縄において、更にふえていくでしょうが、
チャンプルー文化の一つとして受け入れられていくのか、それとも拒否されていくのか、興味があります。
しかしやはり、先ほど述べた陰なるものを、違う形で表現して欲しいと思います。
さて、この2ヶ月ほど沖縄の建築について書いてきました。
もっと書きたいことはあるのですが、それは来年の帰郷した際にまた書きたいと思います(予定は未定)。
(私もなんだかんだ言って、沖縄人)
(写真は備瀬集落のフクギ郡)
次回から、カザフスタンの建築に戻ります。

1979年、名護市の新しい市庁舎のための設計競技が行われました。

300を超える応募総数だったようで、沖縄の現代建築のみならず、当時の日本建築界において画期的な出来事であったようです。

当時、モダニズムからポストモダンへと移行していくなか、アメリカの建築批評家ケネス・フランプトンによるクリティカル・リージョナリズム(批判的地域主義)

が1981年に提唱されますが、まさしく地域と風土性とは何かと言うものが問われてきた時代でした。

主催者の名護市は、設計競技において、「沖縄における建築とはどのようなものであるか」、「その市庁舎とはどのようなものか」を問い、

非常に重要な設計競技の趣旨を述べています。以下長文ですが

名護市庁舎設計競技の趣旨

1.目的と意義

本協議の目的は、次のとおりである。すなわち、沖縄の地域特性を体現し、かつ要求される諸機能を果たすことが出来るとともに、市のシンボルとして良く市民に愛される市庁舎を建設するための基礎となる案、および敷地全体計画のすぐれた構想案を求めることにある。

また、本協議を公開にすることの意義は、「沖縄における建築とは何か」、「市庁舎はどうあるべきか」という問いかけに対して、それを形として表現し、実体化しうる建築家とその案を広く求めることにある。従って、すでに十分な実績を残している建築家はもとより、これから頭角を現すであろう気鋭の建築家で、地域の建築について志を同じくする方々の積極的な提案を期待するものである。

2.沖縄の地域特性と市庁舎建築

沖縄は亜熱帯に属し、多くの島々と周辺海域によって成り立ち、日本でも特異な自然環境に置かれている地域である。

古来、人々はこの自然に生き、人と自然、人と人との長い関わりの中から独特の風土が形成され、地域の個性的な感性と建築様式が生まれてきた。

しかし、現在の沖縄の建築は、このような歴史過程の結果として存在しているだろうか。建築の型、合理性、美しさは受け継がれているだろうか。

ことは建築のみに尽きるのではない。

機械技術の革新を背景とした近年の産業主義は、速やかな伝達手段を媒介として、著しい社会変容をもたらし、風土はすでに収奪の対象となるかあるいは歴史遺産として保護されるべきものとなった。地域文化が破壊していくのも、理由のないことではない。

このような状況にあって、主催者が市庁舎を建設するにあたってまず求めることは、沖縄の特異な自然条件とその風土を再考し、その上に立って沖縄を表現しうる建築家の構想力である。

市庁舎の建築にあたって、風土が問題にされる背景には、地域が自らの文化を見すえ、それを中央文化との関係のなかで明確に位置づけてこなかったという問題があろう。

地域が中央に対決する視点を欠き、行政が国の末端機構としてのみ機能するような状況にあっては、地域はその自立と自治を喪失し、文化もまた中央との格差のみで価値判断がなされることになるだろう。

しかし、地域に生きる市民は、すでにこのようなあり方に訣別を告げるべきだと考えている。従って、主催者の期待している新しい市庁舎は、地域の人々が自ら確認し、かつ自らを主張していくための活動の拠点となり、地域の自立と自治を支える拠点としての庁舎である。

主催者は、今回の競技において、沖縄の風土を確実に把え返し、地域の自治を建築のなかに表現し、外にむかって「沖縄」を表明しうる建築をなしうる建築家とその案を求めるものである。」

ご存知の通り、1等は故大竹康市氏率いた象設計集団でした。

彼らは、それ以前にも、1975年に今帰仁公民館を設計しています。

 

267本の朱色に塗られた柱によって支えられた屋根の下に出来る、日陰の空間がとても印象深いですが、

うちの母親曰く、暗くて不気味だそうです。

大地からそのまま生えてきたような柱郡は、やしの木にも負けないほど力強く、

その柱を通じて、屋根の上にパーゴラを設けて、ブーゲンビリアが伸びていってます。

(以前は屋根の上まで生い茂っていましたが、何かしらの理由で、刈ったのだと思います)

写真はないですが、天井や犬走りに、住民の手によって貝殻がはめ込まれています。

地域性とは何か、そして公共建築とは誰のためのものか、と言う理念を体現した建築です。

彼らの理念を更に大きく飛躍して体現したのが、1981年に完成した名護市庁舎でした。

(撮影した日が違うのはご了承ください)

沖縄の昔の集落を思わせる屋根の下で繰り広げられるアサギテラスは、住民に開かれどこからでも入れます。

 

屋上緑化もされ、写真はないですが、2階のテラスには水が溜まり、そこには小さな生物も棲んでいました。

昼休みには職員が、この日陰のテラスで将棋を楽しんでいました。

象設計集団のコンセプトに「外皮」と言うものがあります。

彼らはここにおいて、戦後の代表的な材料である「花ブロック」を大胆に表現し、まさしく「呼吸する建築」を体現しました。

花ブロックを通して、中に風を通し、その開口部から、内側の空間が滲み出し、更に開放性を高めています。

このコンペの重要なテーマの1つに、冷房に頼らない空調システムの採用でした。

彼らはここで「風の道」と言う大きなダクトを提案し、通風を確保しようとしましたが、

これは実際失敗に終わり、大きな批判を食らいます。

(実際名護市庁舎の話を沖縄の人とすると、冷房がなくて扇風機を使ってダメだという話ばかりです。数年前、市民からの強い要望で冷房が導入されました)

しかし1階窓口は、階高も高く、とても開放的な空間で居心地がとてもよいです。しかも1箇所でなくどこからも出入りが出来ます。

1階入口には、英語で「CITY HALL」と書かれています。「CITY OFFICE」ではなく。

まさしく市民のための庁舎がさりげなく表現されています。

 

しかし冷静になってよく見ると、外観はある種の狂気を秘めていると言っても良いのではないでしょうか。

コルビジェ-吉阪隆正-象設計集団、と継がれてきたモダニズムが、沖縄において、象の持つデザイン上の狂気性と、沖縄の風土が奇跡的に一致したような気がします。

 

しかしこれ以上に重要なのが、象設計集団が、沖縄とは何かをほぼ完璧に表現した点だと思います。

沖縄には「ガジュマル建築論」というものがあります。

ガジュマルとは沖縄に植生する南方の大木ですが、外見はとても異様で近寄りがたいが、その大きな枝は、太陽の強い日差しを遮り、濃い影を作り出す。

そこは風が通り、とても涼しくて心地よく快適で、これ以上の空間はない、と言ったものです。

名護市庁舎はこのガジュマル建築論をものの見事に体現したのではないでしょうか。

個人的に、沖縄の建築とは「アマハジ」に代表されるように、あの強烈な日差しから作られる濃い影、そのものではないかと思います。

市庁舎が出来た当時、私は小学校4年生でした。その時は、本土の設計者が、シーサーなどを用い、分かったような口で作ってんじゃねーよと、生意気にも思っていましたが、

大学にて建築を学び、実際に肌で感じながら、感動が増していくばかりです。

竣工から約30年が経ちますが、世界遺産に組み込まれてもいいのではないかと思います。

この建築を、誇りに思い、沖縄の文化とは何か、そこから生まれる建築とは何か、常にこの建築を通して、考えていかなくてはならないと思います。

正直に言うと、これ以上の建築は、沖縄において生まれてこないだろうとさえ思ってしまいます。

 

ちなみに名護市庁舎と国道58号線をはさんで、名護市民会館(二基建築設計室)がありますが、

 名護市庁舎を見学に来た建築関係者が、思わずオッとうなる建築です。

沖縄の風土にはなぜか、このようなコンクリートの建築が良く似合います。

やはり石造文化からくるものなのでしょうか。

その向こう側は、名護湾なのですが、運動公園やビーチを備えた「21世紀の森公園」があります。

そのランドスケープも象設計集団によるものです。

沖縄の石垣をモチーフに、緩やかな起伏を持った緑豊かな公園です。

今では、プロ野球チームの日ハムのキャンプ場としても有名です。

 

余談ですが、設計者の故大竹康市氏は、中高時代の私の同級生の叔父でした。

1975年に、本当の北部に位置する本部町にて、「沖縄国際海洋博覧会」が行われました。
この博覧会の最大の目玉はなんといっても、菊竹清則デザインによる海上都市「アクロポリス」でしょう。
(写真はネットから拝借)
もちろん私も小さい時に行きましたが、内部がどのようなものだったか覚えていません。
半潜水型浮遊式という構造から、当時世界中から注目を浴びていたようです。
しかし、1993年に閉鎖。2000年に中国に売却され、残念ながら鉄のスクラップとなってしまいました。
そしてもう1つ、槇文彦設計の「沖縄国際海洋博・海洋生物館」、通称海洋博水族館がありました。
(こちらもネットより写真を拝借)
半円形をくりぬいたプレキャストコンクリートによる、ユニットの集合体の建築ですが、槇文彦の中で、もっともメタボリズムのイメージに近いものでしょう。
伊東豊雄設計の「多摩美術大学図書館」を見たとき、この水族館を思い出しました。
最近の伊東豊雄氏の建築は、メタボリズム的アプローチを取っているような印象を受けます。
残念ながら、この水族館も老朽化などの理由により、2002年ごろに解体され、その近くに国建の設計による、新しいあの有名な「美ら海水族館」が作られます。
上記の2人の建築家、菊竹清則と槇文彦は、メタボリズムグループのメンバーです。
さてここから本題です。
以前から、沖縄に帰省した際、街中の昔のコンクリート建築を見ていると、柱張りを強調したものが多く、
なぜだろうと不思議に思っていました。
那覇空港についてからは、タクシーで那覇バスターミナルに向かい、そこから名護まで海沿いを走るバスで帰っていました。
その際、よくバスターミナルを見ていたのですが、意匠デザイン上、 1960年代の日本の建築デザインを髣髴させました。
かなり後からですが、沖縄を代表する建築家、國場幸房率いる国建設計(現 株式会社国建)によるものと知りました。
(ただし、会社のホームページには記載されていない)
彼(もしくはこの事務所)が手がけた作品において、実にこの柱梁を強調したデザインが良く見られるのです。
代表作、ムーンビーチ(1975)や、那覇市民体育館や、最近では那覇第2地方合同庁舎など
特に庇部分においてデザイン上大きな特徴があります。
那覇合同庁舎
美ら海水族館
この理由が、去年やっと分かりました。
国建のホームページを見ると、國場幸房氏が寄稿した文章が掲載されており、経歴の中で大高建築事務所に入社していたことが分かりました。
大高正人といえば、故前川國男の弟子で、あのメタボリズムグループの主要メンバーの一人です。
これを知って、どうりでこのようなデザインが出てくるわけだとやっと理解できました。
しかし近年、国建は、沖縄の瓦屋根を大胆かつ重厚に表現してきます。
以前紹介した、
しかしこのデザインアプローチ、大高氏に非常に似ていることに気がつきました。
彼もまた、陸屋根による、モダニズムデザインから脱却し、大屋根を用いた地域性を重視したデザインに変わっていきました。
國場幸房の場合、このアプローチを取りながら、沖縄におけるローカリズムを追求しているように思えます。
槇文彦の後をついで、新しい水族館を設計したのが、國場幸房の国建であったのは、歴史がなせる偶然ではなかったように私は感じます。
それともう1つ、以前にも書いた沖縄のコンクリート住宅において、増築を考慮した、角出し住宅があります。
こちら平屋ですが、2階建てだと、バルコニーがあり、その屋根の下を増築する場合があります。
近年、核家族化に伴い、そのような住宅は少なくなっていますが、同じように、柱梁を強調したデザインがほとんどです。
この増築を考慮した住宅も、一つのメタボリズムと言っても差し支え得ないでしょう。
ただ、いつからこのような増築手法がとられてきたのか、個人的にまだ分かっていません。
戦後の沖縄の建築を分析するに当たり、このような視点から研究してみるのも、面白いのではないかと思います。

琉球の石文化

沖縄の建築文化といえば、石を切り離して語ることは出来ません。

テレビでよくみられるように、城や民家の塀、亀甲墓など随所に見られます。

もともと珊瑚礁の隆起で出来た島々ですから、琉球石灰岩が多く使われます。

テレビで出てくる、離島の舗装されていない道路が白いのは、琉球石灰岩によるものです。

石文化に関しては、福島駿介氏の「沖縄の石造文化」に詳しく述べられています。

以前のブログでも紹介しましたが、今帰仁城です。
一番有名な首里城の写真は5年ほど前たくさん撮ったのですが、データ紛失しました。。。
民家の塀にもよく使われています。
こちら以前紹介した「中村家」
同じく重要文化財に指定されている「銘苅家」です。
今年伊是名島に一泊旅行に行ったのですが、これを見るのが目的でした。
写真からでも分かるように、屋根、塀、ひんぷんで構成された、幾何学的な美しさをかもし出しています。
左側の壁は、女性用の入口を示す壁で(男性は右側の門から)、柔らかな曲線となっています。
(沖縄の民家では、左側に台所がある)
非常に美しかったですね。これほど美しい民家もそうないでしょう。
 内地と比較して最も違うのはお墓でしょう。
初めて見る人は驚くのではないでしょうか?
これは中国から伝わったものといわれています。
こちら伊是名島の亀甲墓
代表的なものとして(wikipediaより)
亀の甲羅状の屋根が覆う部分は、母の胎内、そこから人が生まれてきた出生以前の胎内を意味している。
中国の易経の世界観では、人の一生が、誕生以前の漆黒の闇を黒冬し、青春(青年期)、朱夏(壮年期前期)、白秋(壮年期後期)を経て、
老い衰えて目も見えず、耳も聞こえなくなると、再び死の闇に戻る。これで一生の円環が閉じるのだが、
この四つの季節に方位の東西南北が当てられ、それぞれを四聖獣が守護するといわれ、北の玄冬(老年期)に充てられているのが、
伝説上の亀の一種、玄武であることから、母体の中の闇の世界を亀の甲羅で覆ったのではないか、と考えられる。
こちら墓の前で、お彼岸の日(シーミー)に、親族親戚一同集まって、食事やお酒を飲んで歓談します。
これも独特の風景ですね。先祖崇拝も中国からきています。
本当は民家の平面も説明しないといけないのですけどね。
与那国島などの離島には、これらが変形したようなものがあり、更に異様と化しています。
写真がないのでネットより拝借
世界的に有名な建築家ザハ・ハディを思い起こさせるような、伸びやかで大胆なつくりです。
個人的にこの目で見てみたいですね。
さて色々石造建築物を紹介しましたが、これらを表現した現代建築も出てきています。
最も代表的な例が、「沖縄県立博物館・美術館
こちら、米軍基地住宅が返還されて出来た那覇新都心にあります。
設計は石本建築事務所で2007年開館です。
この地区は、新しく大きなグリッドで都市計画がなされ、アメリカ的な雄大さを感じさせます。
見た通り、沖縄の石垣をイメージしたものとなっています。
当初、琉球石灰岩を使おうとしたようですが、予算の都合により、PCaコンクリートに変更したようです。
花ブロックを意識した外観ですが、この外壁の裏の空間(いわゆる雨端、アマハジ)が使用されることはなく、
2階も管理上出れませんでした。
この空間を生かす生かさないで、大きく特性が変わってきますね。
公共建築の性格上、更に博物館・美術館なので難しいのでしょうけど。
中の抽象的なホワイエが、逆に沖縄的な特性を消して、人工的なものに変わっています。
本当は色んなところからこのアマハジを通じて中には入れると面白いのですけど、
実際そんなにまわりに人いないですからね。
それよりも、こういう建築が、グリッド上にポンとおかれている状況が面白かったです。
今までの沖縄にはなかったコンテクストですね。
ちなみに中の展示、特に美術館はとても興味深いです。
戦後の沖縄を代表するものが多く、ピカソのゲルニカを思い起こさせる(スタイルの話ではない)
戦争に対する強烈なメッセージと沖縄としてのアイデンティティを感じました。
ものすごく感銘を受けました。
建築以上に必見です。
沖縄の建築物で唯一DOCOMOMO125に選ばれた教会です。
設計は片岡献ですが、SOM(アメリカの組織設計事務所)の協力を仰いでいるようです。
竣工は1958年。
ご覧の通り、小高い丘の上にあり、周囲から一際目立っていました。
車からこの通りの向こうに見つけたとき、感動しましたね。
この当時、アメリカ軍による教会の建設が多かったようで、小高い丘が比較的良く選ばれたようです。
入口はこの反対側にありまして、こじんまりとしたとてもいい感じの大きさです。
こじんまりとしたスケール間が、個人的に東京にあるライトの自由学園を想起させました。
軒先を赤く塗装し、水平性をかなり強調しています。
回廊式の中庭がありまして、ガラス窓を開けたり、コンクリートブロックを使用して通風を確保しようとしています。
沖縄は風が吹かないとものすごい暑いですからね。
礼拝堂に向ってゆるいスロープになっているのが分かると思います。
礼拝堂内部は畳方式になっていますが、これは、ある人から聞いた話では島原のキリスト教から来ているようです。
外観からも分かるように、祭壇に向って高くなっており、逆パースペクティブを描いております。
細い梁が非常にリズミカルですね。
祭壇の左側にスリットが設けられ、光が差し込むようになっています。
やはりこの建築の一番の特徴はこのステンドグラスでしょう。
こちら北側になっていますので、強い日差しは差し込んできません。
とても開放的で、大迫力のガラスから与那原の町が一望できます。(実際はもっと明るいです)
モンドリアン風の窓のデザインや、細い柱の間を更に2重に細い柱で分割し、
横長と縦のガラスの表現で、とてもリズミカルですね。
他の沖縄のモダニズム建築とは違う、アメリカ的なカラッとした印象でした。
築50年ほど経ち、コンクリートの劣化が心配されます。
ただでさえ、潮風が吹いてくるでしょうから。
戦後、この当時おそらく周りには建物は焼け果てた後で、現在のようではなかったと思います。
どれほどの人が礼拝に来たか分かりませんが、精神的なシンボルとなってたのでしょうか。
%d人のブロガーが「いいね」をつけました。