Category: 花ブロック


現在、沖縄に滞在してます。

恒例のように沖縄の建築に関しての投稿です。

名護市中心の建築はほぼ見終えたと思うのですが、いくつか撮ってきたので掲載します。

 

例年のように訪れる名護市庁舎。

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そして近くの名護市民会館のエキスパンション部分。

金物をかぶせていないところにこだわりと、それによる緊張感を感じさせますね。

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教会ですが、もともと教会の建物であったのか、それとも元は別の用途で後から教会が入ったのか分かりません。

手摺や垂れ壁のコーナー部分が丸みを帯びており、柔らかい表現となっています。

 

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名護十字路の交差点に建つ建物で1950年代です。正確な年代は忘れたのですが、

流線型の曲面がなんとなく山田守を想起させますね。

名護市におけるかなり初期のモダニズム建築になると思います。

この向かい側にも同じような建物が建っていたのですが近年解体されてしまい、

残念ながら駐車場に変更されてしまいました。

 

さて、今回那覇を訪れまして、国際通り付近を見て回りました。

当たり前ですが、やはりモダニズム建築は圧倒的に多いですね。

 

県庁裏を歩いていますと、偶然琉球政府立法院跡に遭遇しました。

沖縄県庁舎(黒川紀章設計)の建設に伴い解体されたと聞いていたのですが、

記念碑が建立されていたのですね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E6%B3%95%E9%99%A2_(%E7%90%89%E7%90%83)

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そしてここから県庁横の42号線の坂を下っていきますと、目の当たりにしたのがこの建物。

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2,3階部分の道路側正面をコンクリートの縦ルーバーで覆っています。

1階に店舗が入っていますが、2,3階は空き家のようです。

おそらく1950年代に建てられたのではないかと思いますが、

立法院のすぐ真向かいでしたので、おそらくファサードデザインをそれに合わせたのでしょう。

沖縄を代表する建築家、仲座久雄氏の事務所ビル(1956)もこの辺りに建っていたと思います。

以前沖縄県公文書館を訪れた際、ある写真を見て職員の方に伺ったのですが、

そのオフィスビルがちょうどこの付近だったのです。公文書館のデジタルアーカイブを見てもよくわかります。

ここから国際通り沿いに下って行ったすぐだと思います。

 

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こちらは国際通りから少し入っていたところにあるのですが、こちらで働いているという方に聞いたところ、

1950年代だそうです。

写真右側側面部は角度を付け、正面2階部分は一部湾曲させています。

1,2,3階と階ごとに分節を行い、2階部分においては同じ縦ルーバーを用いながら

異なる表現を挿入しています。非常に面白い試みですね。

設計者は全く分かりません。

しかしこの当時50年代、縦ルーバーを用いるのは一種の流行だったのでしょうか。

ちょっと分かりませんが、アメリカの影響があるのかもしれませんね。

 

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松尾消防署。既に閉鎖されたようです。随所に花ブロックが用いられています。

 

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ぐるぐる辺りを回っていましたら、突如目の前に現れました

那覇の入り組んだコンクリートジャングルの街中に突然舞い降りたかのような非常にさわやかで軽やかな建築。

後ほど調べてみましたら、沖縄県教職員共済会館八汐荘で、昨年新たにオープンしたようですね。

元は1960年に開館したようです。2013年に老朽化に伴い閉館したようで、

残念ながら解体された沖縄会館の設計者宮里栄一氏によって設計されたようです。

http://ryukyushimpo.jp/news/prentry-204533.html

建て替えの設計は、アトリエ門口で、琉球の城を想起させる緩やかな複層の曲線で構成されており、

鉄骨とRCのハイブリッド構造ですね。

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国際通り沿いや付近の建物群。

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img_54712層目に花ブロックをあしらったものもいくつか残っています。

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img_5491こちらは国際通りに面した建物の裏側部分ですね。

 

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思わずこれは何だと思い近寄ってみると、コンクリートの水平ルーバーを鉄筋で吊っていました。

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ちなみにこの水平ルーバーと反対側のファサードは縦ルーバーで構成されています。

 

 

ちなみに偶然見つけた建物。

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これから解体される建物ですが、沖縄建築専門学校と書かれています。

ネットで調べても何の情報も出てきません。

実際この建物が学校であったのか、それともただ看板として書かれていただけなのか全く分かりません。

 

今回、国際通り付近を探索できたのは非常によかったですね。

花ブロックを用いた建築はあまり紹介できませんでしたが、

やはり50年代以降の沖縄のコンクリートのモダニズム建築が非常にありますし。

散策しながら思ったことは、先にも出た50年代の医院にもありますように、

1950年代、60年代に建てられた医院建築について調べてみるのもいいかもしれません。

良質な沖縄のモダニズム建築がまだまだ残されているかもしれません。

 

最後にふらりと立ち寄った三線の店にて。ローカリティが息づいています。

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何とも80年代的な表題ですが、今回は建物の外壁に用いられた花ブロックに関してそのような考察を行いたいと思います。

那覇空港から高速バスに乗って高速に行く途中にこの建物をいつも見かけます。

写真はバスの中からですので全体像は撮れなかったのですが。

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この建物は大通りに面しており、花ブロックを前面に施しています。

複数の花ブロックが用いられており、非常にユニークなファサードを形成しています。

これほどまでに多様な花ブロックを用いた建物はなかなか見かけません。

右側部分の建物はおそらく増築ではないかと思うのですがもちろん定かではありません。

ここで注目したいのは看板の左側部分の花ブロックです。

こちらはスクリーンブロックとしての花ブロックではなく、むしろ装飾として花ブロックが取り付けられているかのようです。

おそらく看板は後から花ブロックの上から取り付けられたのでしょう。

そして増築部分においても花ブロックを用い、1階の階高の違いから異なる高さに花ブロックを設けています。

それが結果として非対称性を生み出し、表層において花ブロックの多様性をうみだしていると言えるでしょう。

今年の記事「沖縄のコンクリートと花ブロックの建築 Part 4」でも紹介しましたように、

前面にスクリーンブロックとしての花ブロックを施しているこの建物は1960年に作られています。

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先の那覇の建物もおそらく1960年代ではないかと思っています。もちろん推測にしか過ぎないですが。

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こちらも昨年の記事「沖縄のコンクリートと花ブロックの建築-part-3」で紹介した名護の住宅建築ですが、

こちらは3種類の花ブロックを適応しています。

建物右側ファサード部分の花ブロックに注目しますと、スクリーンブロックとしての機能は全く果たしていません。

コンクリート壁に貼り付けているだけです。左側奥のコンクリとブロックも同様です。

これらは表層における装飾としての機能を果たしています。

この2つの建物にいえることは街の中心部に位置しどちらも道路に面しているということです。

花ブロックをファサードに用いる理由はもちろんスクリーンブロックとしての機能が主ですが、

これらはその機能を果たしていません。

むしろ外部空間に対して、ファサードにおいて花ブロックを何かしら複数の断片として散在させ浮遊させたかのようです。

これら2つはコンクリート造のモダニズム建築です。モダニズム言語を用いながら、花ブロックを表層に散らばせています。

これはいわゆるポストモダンと呼べるのでしょうが、これらの設計者はそのような意識があったのでしょうか。

この2つの建物が1960年代と仮定するならば、

ベンチューリの母の家が1963年ですから、その影響はあったのか。

しかしその当時、沖縄はまだアメリカの占領下にあったわけで、日本からの建築の情報は非常に乏しかったようです。

ならばアメリカから直接入ってきていたのでしょうか。

もしくはやはり沖縄コンクリート建築の匿名的な無作為性からきたものでしょうか。

その辺に関しては今の所全く分かりません。

以前からたびたび取り上げてきた仲座久雄氏の事務所ビル(1956年)が花ブロックを全面に纏わせたものでしたが、

こちらも大きな公園に面したものでありました。

建築のファサードにおいて花ブロックを外部の都市空間に対しこのような表現方法を用いたことは、

沖縄の都市空間と建築の関係性について非常に重要な考察を与えるかもしれません。

このシリーズもPart 4まで来ました。

今回も色々と、名護、石川、金武、那覇など色々廻ってきました。

 

那覇の安里を歩いていると、偶然目に飛び込んできたこの建築。びっくりしましたね。

この通り、国際通りから名護に帰る際いつもバスで通っていたのですが、反対側に位置していたので、

座席から全く気づきませんでした。久しぶりの衝撃でしょうか。

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まるでイスラム建築を想起させるファサードです。サイドに花ブロックを廻り込ませていますね。

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2年前の記事、「那覇バスターミナル、那覇市民会館そして沖縄県公文書館」にも触れましたが、

沖縄の建築家、故仲座久雄氏の事務所ビルが1956年ですので、

この建物が建設されたのはその前後あたりでしょうか。それとも後から建物に花ブロックを取り付けたのでしょうか。

詳しく調べてみたいですね。

このように道路に面した建物には、スクリーンブロックとしての機能を果たすために花ブロック用いられています。

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個人的な推測ですが、こららのようなタイプの住宅は1960年代ではなかろうかと思います。

これらのタイプの花ブロックを調べれば分かることかもしれないですが。

 

こちらは名護の住宅ですが、店の中にいた人に聞いたところ1960年に建てられたそうです。

その当時は周辺にあまり建物が建っておらず、かなり大きな建物だったとの事です。

壁と花ブロックの間に僅かな隙間がありますが、おそらく人が通れるほどのスペースはないのではないでしょうか。

個人的な推測ですが、60年代までの沖縄の住宅には2階のバルコニーが殆どなかったのではないかと思います。

60年代後半か70年代に入ってから2階のバルコニーが作られるようになったのではないかと思っています。

バルコニーに上がるために外部階段が設置されるようになってきます。

あくまで推測ですが。これは沖縄の住宅建築史を語る上で非常に重要ではないかと思います。

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花ブロックを前面に用いた那覇市の現代的な建物。IMG_1530

 

1、2階やバルコニーの手摺などに用いた例。2階から屋上へ向かう階段が垂壁の内側にあるので

織り込まれた印象ですね。屋上スラブのキャンチレバー部分を支える梁が2重になっていますね。

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那覇市のある教会。沖縄の教会には花ブロックを施したものが多いです。

牧港諸魂教会(1957)や聖アンドレア教会(1970)、以前紹介した聖クララ教会(1958)も同様です。

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袖壁や間仕切壁にも花ブロックを用いた那覇の集合住宅。

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遠くからで分かりづらいですが、アパートの外部廊下に施したもの。

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こちらは現代的な例ですね。IMG_1869

 

那覇市壷屋の建物。以前も反対側を紹介しましたが、屋上手摺が花ブロックで、

かつ入り組んだコンクリートの造詣が面白いですね。

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いつものように花ブロックだけでなくコンクリート建築も紹介したいと思います。

 

石川あたりをバスで通ったときに見かけたものです。

バルコニーのデザインがカプセルのようですね。屋上の手摺も同様にデザインしています。

まるでメタボリズムの建築のようですが、菊竹さんあたりを参照しているのでしょうか。

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名護の店舗兼住宅ですが、水平線とボリュームによって規定されたモダニズムデザインは、やはり好きですね。

アクセントに花ブロックを用いています。
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こちらは名護の東江あたりを自転車で廻っていたのですが偶然発見しました。

年代も全く分かりません。現在は使用されておらず、不動産が売りに出しています。

レンガを貼っているのを見ると70年代以降ではないかと思うのですが、おそらく市の何かの機関ではなかったでしょうか。

バルコニーのデザインを見ると、思わずバウハウスかと呟いてしまいました。

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通りに面した2階建て住宅兼店舗の建物の場合、2階部分のファサードにおいて特徴的なデザインを施しています。

60年代は花ブロックを用いたものが多かったと思いますが、

推測ですが、おそらく70年代以降からファサードデザインの表現が非常に多彩になったのではないかと思います。

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こちらは2階部分のファサードにおいて垂壁を下に伸ばし、

ファサードから剥がされたような表現になっており、

非常に特徴的です。建物の横から2階に上がる階段が設置されているのが分かります。

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上記の小さな10枚の小さな写真のうち、いくつかに2階のバルコニーがあるのが分かります。

こちらは昨年紹介した建物。

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昨年のブログ「沖縄のコンクリートと花ブロックの建築 Part 3」でも書きましたように、

2階部分にバルコニーが取りられるようになってからこのようなファサード表現が出てきたように思います。

次回のブログは、この2階バルコニーと外部階段、そしてこのフレーミングされたようなファサードについて書きたいと思います。

現在沖縄にいます。このシリーズもPart 3を迎えました。

今回も少しばかり建物を見て回りました。

琉球放送の「沖縄BON!!」という番組で花ブロックの特集がありました。

http://www.rbc.co.jp/tv_blog/10%E6%9C%8818%E6%97%A5%E3%81%AE%E6%B2%96%E7%B8%84bon%E7%89%B9%E9%9B%86%EF%BD%A2%E9%AD%85%E5%8A%9B%E3%81%84%E3%81%A3%E3%81%B1%E3%81%84%E3%80%80%E8%8A%B1%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%EF%BD%A3/

花ブロックを考案した故仲座久雄氏についても言及しています。

この番組を見て、番組内で紹介された建物を見てきました。

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沖縄県警察運転免許センター(2010)、設計は根路銘設計・梓設計共同企業体です。

ファサードに花ブロックが全面にわたって使用されています。

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150角のタイルでしょうか?おそらく沖縄製の花ブロックではないような気がします。

内側から外側がどのように見えるのか見てみたいですね。

 

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あいレディースクリニック(2012)、設計は矢作昌生建築設計事務所です。

http://www.myahagi.com/j/archi/clinic/2013alc/2013alc.html

一昨年、かふうにも掲載されて知っていたのですが、ようやく見ることが出来ました。

この時はあいにく天気が悪く夕暮れで写真が綺麗に撮れませんでした。

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手前の薬局の壁にも同じような花ブロックを用いています。

リンク先の写真を見てもらうと分かるのですが、花ブロックの開口部の内側と外側の大きさが異なっています。

少しばかりコルビジェのロンシャンを想起させます。

日差しが差し込むと、どのような表情になるのでしょうか?実際に見てみたいですね。

 

あいレディースを訪れる前に、沖縄コンベンションセンターに立ち寄ってきました。

設計は大谷幸夫・国建JVで1987年に竣工、公共建築100選にも入っているようです。

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この建築に関して大谷氏は住宅建築別冊「南島・沖縄の建築文化 -その1・地域的個性と現代の課題」にて文章を寄せています。

歴史的、地理的、環境的な要素からこのデザインは導き出されているようです。

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話を元に戻しますと、ここ数年、沖縄にて花ブロックを用いた住宅が非常に増えてきました。

デザイン的には白のミニマルなデザインに用いられているのが多いですね。

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昔の建物だと色を付けたものも数多くあります。

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道路に面する住宅にはこのようなタイプのものが比較的良く見られますね。

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いろんな要素が混在しています。

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実家の名護を散策して見つけたのですが、非常に面白いですね。

花ブロックをスクリーンや通風を目的としたものでなく、むしろ装飾として用いています。

その配置の仕方が非常に曖昧で、花ブロックのパターンによって表層で虚像が揺らいでいるように見えます。

70年代のポストモダンの影響でしょうか?

那覇バスターミナルから高速バスで移動中これと似たような建物を見かけます。

非常に面白いです(写真はありません)。

 

しかし沖縄のコンクリートの建築は実に多種多様です。アジア的雑多感とでも言いましょうか。

なぜそのような形態になるのか説実がつかないようなものが非常に多いです。

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沖縄のコンクリート郡による風景は、やはり私にとって原風景ですね。

これこそ沖縄という気がします。

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さて、今まで書いてきた沖縄のコンクリート建築について、ある特徴に気がつきました。

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バスの中から撮ったものですが、このように2階バルコニー部分をフレーミングのように皮膜をかぶせています。

実は私の実家も1階バルコニー部分がこのようになっているのですが、

コンクリートの量塊性をあえて表現せず、皮膜をかぶせることによって、重ね合わせたような表現になっています。

70年代からこのような手法は出てきたのでしょうか。ちょっとよく分かりません。

日本の住宅建築だとどうなんでしょうか?

この辺り来年調べてみたいと思います。

以前にも申し上げたように予定は未定。私も沖縄人です(笑

2010年にも似たような記事を書きましたが、今回はより数多くの写真を掲載したいと思います。

名護の街ですら歩いていますと、オッとするようなコンクリート建築を見かけたりします。

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これらはいつ頃建てられたのか分からないのですが、個人的に少しばかりロシア構成主義の建築っぽく見えたりしますね。

そういった方法論はないですが、ヴォリュームの構成が1950年以降のロシア建築っぽくあったりします。

 

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こちらは窓の開口部の上部を庇が連続して回っているのですが、2000年代辺りの流行った建築みたいですね。

 

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おそらく右側部分が新しく増築だと思いますが、階段を半ば強引に合わせた感じですね。

しかし階段の踊り場を支えるこの梁、内部も同じ高さで貫いているのでしょうか。

 

街の中を自転車で周りながら見つけたものです。

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こちらは那覇の国際通りから見えた建物

どうしたらこのような造詣になるのだろうと不思議に思います。

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本当に沖縄のコンクリート建築は多様で無作為です。

那覇から名護に向かう途中バスの中から眺めていると、どうやったらこんな風になるんだろうと絶えず発見があります。

取り巻くような直通の外部階段のデザインも面白いです。

こういった無作為のでこぼこが沖縄の強い日差しによって作り出され深い影を生み、独特の光景を作り上げています。

以前にも述べたように、那覇などの密集地にオランダのMVRDVなどがデザインしても、何の違和感もなく収まるでしょう。

 

さて、町中を探索してみると数多くの花ブロックにも遭遇します。

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こちらは塀に使われているものですが、このようなタイプは初めて見ました。

花ブロックというよりは、ちょっと違うタイプかもしれないですが面白いですね。

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こちらは屋上に設置されている水タンクの隠し壁に使われているものですが、新しいタイプのものですね。

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組み合わせが一風変わったもので、

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これらは外部からの視線を遮るためのスクリーンブロックとして使用されています。

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以前にも書きましたように、近年沖縄では花ブロックを使用する建築が増えてきています。

沖縄の新聞の琉球新聞にて毎週金曜日発行される「かふう」(http://www.kahu.jp/index.jsp)を見ていますと、

集合住宅だけでなく、病院など様々なタイプに使われています。

新しいタイプのの花ブロックも色々考案されているようです

 

以前にも紹介した名護の集合住宅。なんとなくジャン・ヌーベルのアラブ研究所を思い起こさせますね。

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こちらも以前紹介した、義空間設計工房による那覇の集合住宅

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花ブロックによる多孔質は、内部への吸引力を生み出します。

これがまた深い影と相まって、沖縄独特の風景となります。

先の記事でも述べた、花ブロックを全面に多用した故仲座久雄氏の自社ビルは、

残念ながら残されていないですが、是非とも見てみたかったですね。

 

最後に首里の金武町石畳を歩いていてふらりと寄ったそば屋の天井です。

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沖縄の建築に関する記事は今年はこれで最後です。

また来年、沖縄に帰ってきて書きたいと思います。

 

 

1979年、名護市の新しい市庁舎のための設計競技が行われました。

300を超える応募総数だったようで、沖縄の現代建築のみならず、当時の日本建築界において画期的な出来事であったようです。

当時、モダニズムからポストモダンへと移行していくなか、アメリカの建築批評家ケネス・フランプトンによるクリティカル・リージョナリズム(批判的地域主義)

が1981年に提唱されますが、まさしく地域と風土性とは何かと言うものが問われてきた時代でした。

主催者の名護市は、設計競技において、「沖縄における建築とはどのようなものであるか」、「その市庁舎とはどのようなものか」を問い、

非常に重要な設計競技の趣旨を述べています。以下長文ですが

名護市庁舎設計競技の趣旨

1.目的と意義

本協議の目的は、次のとおりである。すなわち、沖縄の地域特性を体現し、かつ要求される諸機能を果たすことが出来るとともに、市のシンボルとして良く市民に愛される市庁舎を建設するための基礎となる案、および敷地全体計画のすぐれた構想案を求めることにある。

また、本協議を公開にすることの意義は、「沖縄における建築とは何か」、「市庁舎はどうあるべきか」という問いかけに対して、それを形として表現し、実体化しうる建築家とその案を広く求めることにある。従って、すでに十分な実績を残している建築家はもとより、これから頭角を現すであろう気鋭の建築家で、地域の建築について志を同じくする方々の積極的な提案を期待するものである。

2.沖縄の地域特性と市庁舎建築

沖縄は亜熱帯に属し、多くの島々と周辺海域によって成り立ち、日本でも特異な自然環境に置かれている地域である。

古来、人々はこの自然に生き、人と自然、人と人との長い関わりの中から独特の風土が形成され、地域の個性的な感性と建築様式が生まれてきた。

しかし、現在の沖縄の建築は、このような歴史過程の結果として存在しているだろうか。建築の型、合理性、美しさは受け継がれているだろうか。

ことは建築のみに尽きるのではない。

機械技術の革新を背景とした近年の産業主義は、速やかな伝達手段を媒介として、著しい社会変容をもたらし、風土はすでに収奪の対象となるかあるいは歴史遺産として保護されるべきものとなった。地域文化が破壊していくのも、理由のないことではない。

このような状況にあって、主催者が市庁舎を建設するにあたってまず求めることは、沖縄の特異な自然条件とその風土を再考し、その上に立って沖縄を表現しうる建築家の構想力である。

市庁舎の建築にあたって、風土が問題にされる背景には、地域が自らの文化を見すえ、それを中央文化との関係のなかで明確に位置づけてこなかったという問題があろう。

地域が中央に対決する視点を欠き、行政が国の末端機構としてのみ機能するような状況にあっては、地域はその自立と自治を喪失し、文化もまた中央との格差のみで価値判断がなされることになるだろう。

しかし、地域に生きる市民は、すでにこのようなあり方に訣別を告げるべきだと考えている。従って、主催者の期待している新しい市庁舎は、地域の人々が自ら確認し、かつ自らを主張していくための活動の拠点となり、地域の自立と自治を支える拠点としての庁舎である。

主催者は、今回の競技において、沖縄の風土を確実に把え返し、地域の自治を建築のなかに表現し、外にむかって「沖縄」を表明しうる建築をなしうる建築家とその案を求めるものである。」

ご存知の通り、1等は故大竹康市氏率いた象設計集団でした。

彼らは、それ以前にも、1975年に今帰仁公民館を設計しています。

 

267本の朱色に塗られた柱によって支えられた屋根の下に出来る、日陰の空間がとても印象深いですが、

うちの母親曰く、暗くて不気味だそうです。

大地からそのまま生えてきたような柱郡は、やしの木にも負けないほど力強く、

その柱を通じて、屋根の上にパーゴラを設けて、ブーゲンビリアが伸びていってます。

(以前は屋根の上まで生い茂っていましたが、何かしらの理由で、刈ったのだと思います)

写真はないですが、天井や犬走りに、住民の手によって貝殻がはめ込まれています。

地域性とは何か、そして公共建築とは誰のためのものか、と言う理念を体現した建築です。

彼らの理念を更に大きく飛躍して体現したのが、1981年に完成した名護市庁舎でした。

(撮影した日が違うのはご了承ください)

沖縄の昔の集落を思わせる屋根の下で繰り広げられるアサギテラスは、住民に開かれどこからでも入れます。

 

屋上緑化もされ、写真はないですが、2階のテラスには水が溜まり、そこには小さな生物も棲んでいました。

昼休みには職員が、この日陰のテラスで将棋を楽しんでいました。

象設計集団のコンセプトに「外皮」と言うものがあります。

彼らはここにおいて、戦後の代表的な材料である「花ブロック」を大胆に表現し、まさしく「呼吸する建築」を体現しました。

花ブロックを通して、中に風を通し、その開口部から、内側の空間が滲み出し、更に開放性を高めています。

このコンペの重要なテーマの1つに、冷房に頼らない空調システムの採用でした。

彼らはここで「風の道」と言う大きなダクトを提案し、通風を確保しようとしましたが、

これは実際失敗に終わり、大きな批判を食らいます。

(実際名護市庁舎の話を沖縄の人とすると、冷房がなくて扇風機を使ってダメだという話ばかりです。数年前、市民からの強い要望で冷房が導入されました)

しかし1階窓口は、階高も高く、とても開放的な空間で居心地がとてもよいです。しかも1箇所でなくどこからも出入りが出来ます。

1階入口には、英語で「CITY HALL」と書かれています。「CITY OFFICE」ではなく。

まさしく市民のための庁舎がさりげなく表現されています。

 

しかし冷静になってよく見ると、外観はある種の狂気を秘めていると言っても良いのではないでしょうか。

コルビジェ-吉阪隆正-象設計集団、と継がれてきたモダニズムが、沖縄において、象の持つデザイン上の狂気性と、沖縄の風土が奇跡的に一致したような気がします。

 

しかしこれ以上に重要なのが、象設計集団が、沖縄とは何かをほぼ完璧に表現した点だと思います。

沖縄には「ガジュマル建築論」というものがあります。

ガジュマルとは沖縄に植生する南方の大木ですが、外見はとても異様で近寄りがたいが、その大きな枝は、太陽の強い日差しを遮り、濃い影を作り出す。

そこは風が通り、とても涼しくて心地よく快適で、これ以上の空間はない、と言ったものです。

名護市庁舎はこのガジュマル建築論をものの見事に体現したのではないでしょうか。

個人的に、沖縄の建築とは「アマハジ」に代表されるように、あの強烈な日差しから作られる濃い影、そのものではないかと思います。

市庁舎が出来た当時、私は小学校4年生でした。その時は、本土の設計者が、シーサーなどを用い、分かったような口で作ってんじゃねーよと、生意気にも思っていましたが、

大学にて建築を学び、実際に肌で感じながら、感動が増していくばかりです。

竣工から約30年が経ちますが、世界遺産に組み込まれてもいいのではないかと思います。

この建築を、誇りに思い、沖縄の文化とは何か、そこから生まれる建築とは何か、常にこの建築を通して、考えていかなくてはならないと思います。

正直に言うと、これ以上の建築は、沖縄において生まれてこないだろうとさえ思ってしまいます。

 

ちなみに名護市庁舎と国道58号線をはさんで、名護市民会館(二基建築設計室)がありますが、

 名護市庁舎を見学に来た建築関係者が、思わずオッとうなる建築です。

沖縄の風土にはなぜか、このようなコンクリートの建築が良く似合います。

やはり石造文化からくるものなのでしょうか。

その向こう側は、名護湾なのですが、運動公園やビーチを備えた「21世紀の森公園」があります。

そのランドスケープも象設計集団によるものです。

沖縄の石垣をモチーフに、緩やかな起伏を持った緑豊かな公園です。

今では、プロ野球チームの日ハムのキャンプ場としても有名です。

 

余談ですが、設計者の故大竹康市氏は、中高時代の私の同級生の叔父でした。

沖縄を初めて訪れた人は、あのムワっとくる湿度に驚くと思いますが、

コンクリートの建築郡にも驚かされます。

かく言う私は中学時代から本土だったのですが、木造の住宅にはビックリしました(笑

最初建造中の木造住宅を見たとき、友人に「あれは祭りの櫓なのか」と聞いたくらいでした。

 

 
沖縄には、本土には見られない独特のコンクリート建築が数多く存在します。

強い日差しが織り成す深い影とコンクリートが、沖縄の風景を更に独特なものにしています。

 

1階を駐車場とした、ピロティ形式の住宅(沖縄は電車がないため、車が不可欠)

なぜこれほどまで多いかというと、戦後アメリカ軍が敷地内に建設したコンクリート建築からの影響が大きいです。
前回のブログにも書きましたが、これほどまでに普及したのは、もちろん台風の被害を防ぐためでもありますが、

石文化がすでに存在してたからであろうといわれています。

沖縄において、コンクリート住宅の普及に努めたのが、沖縄の建築家、故仲座久雄氏です。

しかし沖縄の日差しではコンクリート住宅はものすごく暑く、彼は「花ブロック」を考案しました。

強い日差しを防ぐだけでなく、湿度がものすごい高い沖縄ではかなり有効な通風が確保できます。

彼個人のの設計事務所も、花ブロックを多用した独特のデザインとなっています。

 

彼の功績は、こうした新しい建築の普及活動や設計だけでなく、

1949年の円覚寺放生池の埋立てに対する座り込みの抗議活動にみられる、歴史的建造物の調査・研究・復元などの活動は現在、大きく評価されているようです。

この花ブロックが、戦後の沖縄の建築風景を更に独特のものとしていきます。

90年代くらいから廃れていったこの花ブロックですが、最近になってまたよく使われるようになって来ました。

意匠として、表現上更に豊かな表現となっていきます。

もちろん近年の表層のデザインからの大いな影響があるでしょう。

 

 

この花ブロックを使用した最大例にして最高傑作は、名護市庁舎だと思います。

 
名護市庁舎に関しては、沖縄建築のブログの最後に書きたいと思います。

赤瓦の建築

沖縄と言えば、赤瓦を思い出す方も多いかもしれませんが、
 
赤瓦が普及したのは、明治以降です。実際100年ほどの歴史しかありません。
 
 
沖縄の民家で有名なものは、「中村家
 
 
国の重要文化財に指定されています。
 
 
 
 
沖縄には石の文化がありまして、琉球石灰岩を使用したものが多いです。
 
 
下の2つは、勝連城、今帰仁城の写真ですが、うねった曲線が他の日本の城と違い、大きな特徴となっています。
 
沖縄は戦後、アメリカ軍によるコンクリートの普及が物凄く早かったわけですが、
 
これが受け入れられた理由として、この石文化があったからだろうと言われています。
 
 
 
 
 
 
現代の沖縄建築には、この赤瓦を取り入れたものが多いです。
 
沖縄公文書館
 
 
宮古空港
 
 
読谷文化センター
 
 
これらは国建設計と言う沖縄を代表する建築設計事務所によるものですが、
 
近年の代表作と言えば、「美ら海水族館
 
 
 
ロケーションもかなり良く、コンコースから、伊江島が見渡せます。
 
いつも観光客でにぎわっています。

アルマティには、ソビエト様式といわれる、フルシチョフ時代の、プレキャスト製の集合住宅がたくさんあります。

 

 

後、イスラム圏でもありますので、イスラム的な意匠やカザフの意匠を施したものも数多く存在します。
 Youtubeにもっと分かりやすい動画がありました。
こちらアルマティは冬場はかなり寒いので、ほとんどの場合、バルコニーが存在します。

このバルコニーのデザインが、1940年代後ほど、大きな変化を遂げて、面白いデザインの建物がうまれて来ます。

こちらについては、また後で書かせて頂きます。

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