沖縄の建築文化といえば、石を切り離して語ることは出来ません。

テレビでよくみられるように、城や民家の塀、亀甲墓など随所に見られます。

もともと珊瑚礁の隆起で出来た島々ですから、琉球石灰岩が多く使われます。

テレビで出てくる、離島の舗装されていない道路が白いのは、琉球石灰岩によるものです。

石文化に関しては、福島駿介氏の「沖縄の石造文化」に詳しく述べられています。

以前のブログでも紹介しましたが、今帰仁城です。
一番有名な首里城の写真は5年ほど前たくさん撮ったのですが、データ紛失しました。。。
民家の塀にもよく使われています。
こちら以前紹介した「中村家」
同じく重要文化財に指定されている「銘苅家」です。
今年伊是名島に一泊旅行に行ったのですが、これを見るのが目的でした。
写真からでも分かるように、屋根、塀、ひんぷんで構成された、幾何学的な美しさをかもし出しています。
左側の壁は、女性用の入口を示す壁で(男性は右側の門から)、柔らかな曲線となっています。
(沖縄の民家では、左側に台所がある)
非常に美しかったですね。これほど美しい民家もそうないでしょう。
 内地と比較して最も違うのはお墓でしょう。
初めて見る人は驚くのではないでしょうか?
これは中国から伝わったものといわれています。
こちら伊是名島の亀甲墓
代表的なものとして(wikipediaより)
亀の甲羅状の屋根が覆う部分は、母の胎内、そこから人が生まれてきた出生以前の胎内を意味している。
中国の易経の世界観では、人の一生が、誕生以前の漆黒の闇を黒冬し、青春(青年期)、朱夏(壮年期前期)、白秋(壮年期後期)を経て、
老い衰えて目も見えず、耳も聞こえなくなると、再び死の闇に戻る。これで一生の円環が閉じるのだが、
この四つの季節に方位の東西南北が当てられ、それぞれを四聖獣が守護するといわれ、北の玄冬(老年期)に充てられているのが、
伝説上の亀の一種、玄武であることから、母体の中の闇の世界を亀の甲羅で覆ったのではないか、と考えられる。
こちら墓の前で、お彼岸の日(シーミー)に、親族親戚一同集まって、食事やお酒を飲んで歓談します。
これも独特の風景ですね。先祖崇拝も中国からきています。
本当は民家の平面も説明しないといけないのですけどね。
与那国島などの離島には、これらが変形したようなものがあり、更に異様と化しています。
写真がないのでネットより拝借
世界的に有名な建築家ザハ・ハディを思い起こさせるような、伸びやかで大胆なつくりです。
個人的にこの目で見てみたいですね。
さて色々石造建築物を紹介しましたが、これらを表現した現代建築も出てきています。
最も代表的な例が、「沖縄県立博物館・美術館
こちら、米軍基地住宅が返還されて出来た那覇新都心にあります。
設計は石本建築事務所で2007年開館です。
この地区は、新しく大きなグリッドで都市計画がなされ、アメリカ的な雄大さを感じさせます。
見た通り、沖縄の石垣をイメージしたものとなっています。
当初、琉球石灰岩を使おうとしたようですが、予算の都合により、PCaコンクリートに変更したようです。
花ブロックを意識した外観ですが、この外壁の裏の空間(いわゆる雨端、アマハジ)が使用されることはなく、
2階も管理上出れませんでした。
この空間を生かす生かさないで、大きく特性が変わってきますね。
公共建築の性格上、更に博物館・美術館なので難しいのでしょうけど。
中の抽象的なホワイエが、逆に沖縄的な特性を消して、人工的なものに変わっています。
本当は色んなところからこのアマハジを通じて中には入れると面白いのですけど、
実際そんなにまわりに人いないですからね。
それよりも、こういう建築が、グリッド上にポンとおかれている状況が面白かったです。
今までの沖縄にはなかったコンテクストですね。
ちなみに中の展示、特に美術館はとても興味深いです。
戦後の沖縄を代表するものが多く、ピカソのゲルニカを思い起こさせる(スタイルの話ではない)
戦争に対する強烈なメッセージと沖縄としてのアイデンティティを感じました。
ものすごく感銘を受けました。
建築以上に必見です。