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黒川紀章建築へのちょっとした私的な論考です。

さて、ロシアワールドカップが始まりました。日本代表チームは決勝トーナメントに進みましたね。ベルギーに敗れ残念な結果でしたが非常に素晴らしい試合内容でした。

このロシアワールドカップのサンクトペテルブルクのスタジアムは黒川紀章が設計したものです。

https://en.wikipedia.org/wiki/Krestovsky_Stadium

A(写真はネットより)

黒川事務所在籍時、私はちょっとだけこのコンペに関わっていたのですが、当時なぜこの吊り構造のポールを内側に傾けているのだろうと案を見ながら考えていました。構造的に考えればポールを外側に開くのが合理的なわけです。

もちろん案の下地には黒川が以前設計した豊田市スタジアムがあるのですが、敷地はクレストフスキー島という人口アイランド上にあり(以前キーロフ競技場というのが存在していた。http://www.ipetersburg.ru/stadion-na-krestovskom-ostrove/)、

海に面していることから帆船のマストをイメージして再度吊り構造を採用したと思うのですが、内側に傾けた構造の案を見ながら、ロシア正教の教会を考慮しているのかなと私は思っていました。

2009年に書いた「なぜ、中央アジアの建築のブログを書こうと思ったのか」にも書いたのですが、以前「黒川紀章 – ロシア・建築と初恋に燃えた日々」という動画を見ました。

2007年に再放送されたもので、元は2001年にNHKにて放送された映像です。

黒川は1958年ロシアのレニングラードで開かれた第5回世界権建築学生会議に議長として出席し、そこでソビエトの建築家たちと交流したのですが、約40年ぶりにサンクトペテルブルグ(旧レニングラード)を再び訪れ以前出会った建築家たちと交流を交わすといった映像です。

その映像にて黒川はモスクワのシューセフ記念国立建築博物館にて、イワン・レオニドフの重工業省コンペ案(1934年)のオリジナルのドローイングを目の当たりにします。

そこで黒川は「クレムリンを全く無視して考えていたのじゃないかと思っていたけど、やっぱり相当やはりクレムリンとの調和を考えていたんですねぇ」と発言しています。

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参照;http://www.alyoshin.ru/Files/publika/khan_archi/khan_archi_1_119.html

この映像を見てピンときました。スタジアムの構造の黒川のイメージはここから来ているのではないかと。

レオニドフがデザインコンテクストとしてクレムリンに調和させたように、おそらく黒川はこれを参照し、構造体を内側に傾かせることによってサンクトペテルブルクのロシア正教との親和性を図ろうとしたのではないかと思います。

 

黒川は以前からロシア構成主義とイタリア未来派からの影響を自ら公言しています。

しかしながら具体的にどのような影響を受けたのかは分かりません。

私が黒川の建築とロシア構成主義との関連性について考えるようになったのは、以前も書きましたように

メタボリズム 一九六〇年代-日本の建築アヴァンギャルド」(八束はじめ+吉松秀樹著、1997年出版)の「プレ・メタボリズムとポスト・メタボリズム」の項において、

「METABOLISM/1960」にて発表された黒川紀章の「農村都市計画」(1960)と、レオニドフの門下生であったパブロフ兄弟の「レニングラード学生コミューンのプロジェクト」(1930)の類似性を指摘しています。

八束氏は形態における類似性だけでなくコンセプトも反都市的な計画と言う事での類似性を述べています。ただ直接的な影響関係があったとは思えないと記しています。

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参照;http://www.alyoshin.ru/Files/publika/khan_archi/khan_archi_2_076.html

 

そこで思い出すのが先のレニングラードでの世界学生会議への参加です。

新建築別冊の黒川紀章特集(1986年出版)でのインタビュー記事では、世界建築学生会議の出席で約1か月ほどソ連に滞在したとインタビューで述べています。またそれとは別にモスクワでUIA大会も開かれていたようで各国のレポートを翻訳したようです。

事実黒川はソビエトの工場で生産されるコンクリートパネル住宅に大きな影響を受け、「プレファブ建築」を1960年に出版しています。この事はメディアでもオフィシャルに語っています。

 

ここからは私の単なる憶測です。

おそらく黒川はこのソビエト滞在時に当時日本ではほとんど知られていなかった幾つかの構成主義の建築作品を見たんではないかと。

八束氏は他にもヴフテイン(Vkhutein) の学生であったニコライ・ソロコフの「湯治場ホテル計画」(1928年)やゲオルギー・クルチコフの「空中都市計画」(1928年)の小屋・カプセル的なユニットは黒川の「ホモ・モーベンス」という概念を取り込んでいた黒川のプロジェクトにあってもよさそうなものだと述べています。

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ニコライ・ソロコフの「湯治場ホテル計画」(1928年)

参照;http://www.alyoshin.ru/Files/publika/khan_archi/khan_archi_1_096.html

 

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クリチコフの「空中都市計画」(1928年)

参照;http://www.alyoshin.ru/Files/publika/khan_archi/khan_archi_2_032.html

 

「METABOLISM/1960」の後に出版予定されていた「METABOLISM/1965」において黒川が提唱した「メタモルフォーゼ計画1964」(1969年に出版された「未来を創造する建築 黒川紀章」の本では1965でなく1964と書かれている)の地面から生えてくるつくしのように上方に伸びていくオブジェクト群は上部に丸みを帯びており、後にそのコンセプトはSpazio Brera Ginza(2005年)によって実現されたと黒川は述べています。

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ヴフテイン(Vkhutein) にてラドフスキーの生徒であったアンドレイ・ブニン北方の地域においてプロジェクトを行い、中央アジアのタシケント出身のビクトル・カルミコフはキルギスでプロジェクトを行っています。

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パラボラ型住居計画(1930年)

参照;http://www.alyoshin.ru/Files/publika/khan_archi/khan_archi_2_073.html

 

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キルギスタンの遊牧民の定住のための住居計画。

参照;http://www.alyoshin.ru/Files/publika/khan_archi/khan_archi_1_116.html

 

「メタモルフォーゼ計画1964」先が細丸まったオブジェクト群は若干変形されていますがカルミコフやブ人のプロジェクトを想起させます。

 

また黒川のプロジェクトの中でも最も明快で圧倒的な造形力を誇る「東京計画1961−Helix計画」のDNAモデルを模した二重螺旋構造は、明らかにウラジミール・タトリンの第三インターナショナル記念塔(1919-1920)の影響が見て取れます。

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参照;http://www.alyoshin.ru/Files/publika/khan_archi/khan_archi_2_032.html

 

黒川事務所在籍時、カザフスタンのアルマティの集合住宅プロジェクト、「Sakura Home」を担当していたのですが、黒川が最初にデザインしたのが、5棟が細長く直線的に折れ曲がっていくデザインでした。

1969年の 鴻巣ニュータウンのプロジェクトの建物に若干変化をつけたデザインでしたが、

施主からこの細長い建物群はソビエト建築のようだと言われ拒否されてしまいます。そこで黒川は当時国立新美術館でも行ったように各住居ユニット毎に曲面を適用しました。

それはまるで団子と言いますか、細胞セル状の形態が連なっていくようなデザインでした。

当時線上に伸びていくデザインというのは大谷幸男や磯崎新も既に行っていましたし(磯崎は構成主義とりわけカジミール・マレーヴィチのアルキテクトン、エル・リシツキーやコンスタンチン・メーリニコフの影響を露わにしている)、黒川独特のものではないですが、この構成主義的なものからメタボリズム的な表現への変換・転向は印象的でした。

「黒川の建築家の能力をメタボリズムのメンバーに知らしめたのは「K邸計画案」の類い稀なる造形力であったという話がある。」と八束氏の「メタボリズム 一九六〇年代-日本の建築アヴァンギャルドに述べられていますが、黒川には独特の造形センスがあったと思います。

黒川の出目として父親がもともと建築家であり、先の八束氏の本にもありますように黒川自身指摘しているようにモニュメンタル志向が見て取れます。

レム・コールハウスとハンス・ウルリッヒ・オブリストによって書かれた「Project in Japan メタボリズムは語る」(2012)でのインタビューにて、コールハースは黒川に「未来派やロシア・アヴァンギャルドには学生時代に触れたのですか」と質問し、黒川は「そう、高校時代に。父親の書斎には建築の本で溢れていた」と答えています。

この黒川とのインタビューは、黒川が1958年にモスクワを訪れたことから始まっています。私はコールハースがソビエト建築や構成主義に影響もしくは参照している可能性が高いことをブログにて度々指摘してきましたが、この黒川とのインタビューにおいてモスクワへの訪問を真っ先に述べたのは非常に示唆的な事のように私は思えます。

 

このロシアはサンクトペテルブルクの地において、黒川の最後の建築となったこのスタジアムに黒川は宇宙船またはUFOと呼ぶべきかと考えていました。

宇宙船は巨大な「カプセル」と言い換えても差し支えないでしょう。

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レオニドフの案を参照したであろうサンクトのロシア正教の尖塔(もしくは黒川の80年代以降の代名詞でもある円錐の暗喩)をこれまた黒川の代名詞でもあった「カプセル」に貫通させた構成は、この地サンクトペテルブルク(当時のレニングラード)において、黒川の建築構成の造形性における原点回帰とも呼べるようなものであったのかもしれません。

 

 

 

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今回はアルマティの現場打ちコンクリートの集合住宅を紹介したいと思います。

 

1955年のフルシチョフの政策以降、工場生産によるコンクリートパネルの集合住宅が建設され始めるのですが、

1969年以降、コンクリートパネルだけでなく、経済性・耐震性が向上した現場打ちコンクリート( いわゆるモノリシックコンクリート)による集合住宅が建設されるようになってきます。

現場打ちコンクリートにはコンクリート造のラーメン構造とパネルを組み合わせたもの、現場打ちコンクリートによる壁式構造があるのですが、今回は壁式構造の集合住宅を紹介したいと思います。

1971年にアバイ通り沿いのマイクロ地区(新たに計画された住宅団地)に実験的な9階建ての集合住宅が建設されます。設計は、テルポゴソフとソコロフ。

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1階ごとにコンクリートを打つのに1日しかかからず、このアパートの建設により、建設期間をかなり短縮できることが可能となり、

このプロジェクトの基づいて、1976年ジャンドーソバ通り沿いにこの建物をさらに発展させた形で3つのアパートが建設されます。

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先のプロジェクトと改良された点は、避難階段を両サイドに配置し、外観デザインとして角を滑らかなにしカーブを取りいれた事です。

この隅部を直角から丸めたことによって、シャープなデザインから柔らかいデザインへと移行し、都市空間への異なった印象を与えることになりました。

1978年にレーニン通り(現ドスティック通り)に軽量コンクリートによる正方形に近い平面構成の12階建てのアパートが建設されます。

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十字形平面の壁構造の適用により耐震性が増し、すべての部屋がバルコニーに面することによって居住環境が依然と比較してかなり改善されました。

隅部のバルコニー部分を湾曲させることによりより柔らかさを増しています。

このアパートはドスティック通りに2棟、1980年代にクルマンガジ通り沿いに2棟建設されます。

初めて目にしたとき、メンデルゾーンのアインシュタイン塔(1924年)を想起させましたね。

 

こちらはおそらく1980年に建てられたもので先の2棟に似ています。

1976年に建てられたアパートから両サイドの階段部分を省いたデザインとなっています。

シェフチェンコ通りに1棟のみ存在します。

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1983年にサマル地区で型枠によるコンクリート現場打ちの12-14階建てのアパートが2棟並んだ形で4棟建設されます。

設計は以前インタビューをしたアルマス・オルダバエブ。彼はこのサマル地区の地区開発のチーフアーキテクトでもありました。

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サマル-2地区に建設された棟を連結させたアパート群。実際にはバルコニー部分は連結されておらず分離しています。

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サマル-3地区に建てられた3方向のアパート。IMG_2331

 

トレビ通り沿いのアウル地区に実験的な集合住宅が1983年に設計され1つは1986年に完成します。

以前も紹介したこの集合住宅(通称シャムロック住宅)。

先と同じように120度に分割された3方向の建物を一つのユニットとして連結させていく方法で建てられています。

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最初の建設は1986年ですが、順々に建設され最終的には2002年頃でした。

このユニットを連結させていき、7~8棟を連結させたブロックを計画として4ブロック作成する予定だったようですが、結果的にはこのブロックのみ実現されました。

意匠上からしてもメタボリズムを想起させますね。

この方法論がアルファラビ通りのヌリタウという新しいビジネスセンターに適応されます。

設計期間は先のシャムロック住宅と同じカズゴルプロジェクト。

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写真は2009年次の物ですが、このシンメトリー状の2棟の裏側にも同様に同じデザインで建設されています。こちらもまだ建設中です。

 

先と同様な連結させていく方法で、シムケント市の気候条件を参考にして設計された集合住宅が1986年頃に建てられます。

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標準サイズの同じ型枠の使用されており、3つのユニットで構成されているのが分かると思います。こちらもユニットごとに順番ずつ建設されていきます。

正面に巨大な壁がありますが、おそらくその気候条件を考慮した結果だと思います。

ファサードにおける面的構成がうまく表現されています。

こちらもアウルの集合住宅同様ユニットを組み合わせてブロックを構成していく予定だったようですが結果的にはこの部分のみ実現されたと思われます。

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今回、アルマティのモノリシックコンクリートの集合住宅を紹介したのですが、次回はラーメン構造や剛性コアとコンクリートパネルの混合の集合住宅を紹介したいと思います。

先日、旅行会社のツアーを利用してカザフスタンの歴史的建造物の見学に行ってきました。

何としてでも行きたいと思っていましたので、このチャンスを逃すまいとすぐにツアーに申し込みました。ようやく念願がかないました。

アルマテイを出発して西に向かいながら50人乗りのバスに揺れること約12時間、最初に到着したのが、南カザフスタンのオトラル地区にあるアリスタン・バブ霊廟。

広大なステップの中に佇んでいます。

https://en.wikipedia.org/wiki/Arystan_Bab_Mausoleum

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イスラム教の霊廟なので女性の方は頭にスカーフを巻いて参拝します。

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詳しいことはwikiを読んでもらいたいのですが、

伝説によると、12世紀アリスタン・バブが死亡しオトラルの近くに埋葬されました。中央アジアを当時支配していたティムール朝のティムールは、ホージャ・アフマド・ヤサヴィー(後でまた説明します)のお墓にモスクの建設を命じましたがうまくいかず、夢の中でヤサヴィーの指導者であったアリスタン・バブのお墓を最初に建設しなければならないとお告げを受けました。

霊廟は14世紀の建立され18世紀までに数回再建されたようです。18世紀の地震で倒壊し新たに2つのドームを付け加えて再建されたようです。ドームを支持していた2本の曲がった木製の柱のみを残して20世紀初頭に再度再建が行われたようです。

 

その後訪れたのがオトラルの遺跡。中央アジアの歴史を語る上で非常に重要なオトラル事件が起こった場所です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%AB

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地上から盛り上がった部分が遺構です。

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浴場の遺構。

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新たに修復された防衛用の城門。

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裏側から見た城門。修復の跡がよく分かりますね。

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ガイドが説明しているのですがロシア語とカザフ語のためほとんど分からず。。

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オトラルの後に向かったのが今回のツアーの最大の目的地であるトゥルケスタンのホージャ・アフマド・ヤサヴィー廟。ようやく念願がかないました。

中央アジアのイスラム教徒の聖地の一つであり、2003年にユネスコ世界遺産に登録されました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%9E%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A4%E3%82%B5%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%BC%E5%BB%9F

バスの中から霊廟が見えた途端乗客から大きな歓声が上がりました。かくいう私もその一人ですが(笑

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広大な草原に霊廟が佇んでいるのかと思っていたのですが、意外にも周辺に街並みが形成されていました。世界遺産に登録された後周辺の街が急速に発展したようです。

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wikiにもありますように、トルコ政府の援助により敷地を囲む城壁などが修復されています。

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城門をくぐると見えてくるのがこの景色。手前の台にはカザフ語とアラビア語で記されています。

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古代浴場(東洋の浴場)。16世紀に建立。

1979年までは実際に一般市民に使用されていたようです。

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ヒルベット地下のモスク。12世紀建立。

内部の写真撮影は禁止されているため写真が撮れないのは残念ですが、

非常に興味深い構造です。

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博物館金曜日のモスク。18世紀建立。17 IMG_1831

 

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入り口の門から覗くホージャ・アフマド・ヤサヴィー廟。

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これからホージャ・アフマド・ヤサヴィー廟に向かいます。

途中にあるラクダの群商隊の彫像。

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ホージャ・アフマド・ヤサヴィー廟の南側正面ファサード。

14世紀末に霊廟の建設が始まりましたが、1405年にティムールが死去し建設が継続されず、

1994年にトルコ政府の協力と援助の下修復されたようです。

この正面部分は未完成のままで当時の原型が偲ばれます。

こちらの方がより古代への憧憬が生まれますね。

ティムールはこの霊廟の建設にあたってペルシャから建築家を呼びよせており、ホージャ・アフマド・ヤサヴィー廟で実践された建築手法はのちのティムール王朝時代のモスク(いわゆるティムリッド建築)の原型となっていきます。

内部中央の大広間は、直径18.2m、高さ約40mの中央アジア最大のドームで構成されており、礼拝用の壁ミラフーブがありません。広間の内壁には白い鍾乳石が貼られています。

広間の中心にはティムールが寄贈したと云われる巨大な合金の鍋が置かれています。ここから25キロ離れたカルナック村で7種類の金属の合金で作られていると言われています。

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北側ファサード。

トルコ石のタイルが使用されたドーム。

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修復された周囲の要塞壁から。

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結婚式で霊廟を訪れていた女性たち。お気に入りのショット。

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ラギム・スルタン・ベギムの霊廟。

ホージャ・アフマド・ヤサヴィー廟の南西に位置し、16世紀に残された資料によると、

1430-1485年頃ラギム・スルタン・ベギムのお墓の上に建てられたようです。

ラギム・スルタン・ベギムは、1485年に死亡したエミール・ティムールの息子であり有名な天文学者科学者であったウルグベックの娘のようです。

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夕日で黄金に輝く霊廟。非常に美しいです。夕方になると多くの方が訪れていました。

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今回の旅で宿泊したユーラシアホテル。ソビエト時代からあるようです。

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様々な大理石で構成されたロビーの床。見事ですね。ソビエト時代の建物には大理石がよく使われています。

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翌朝ホテルでツアー参加者と一緒に朝食をとった後、トゥルケスタンから35キロ離れた北の方にあるウカシャーアタへ。

伝説によりますと、ウカシャーアタは予言者ムハマドの弟子でありこの地域にイスラム教を広めた勇敢な戦士であり戦いにて負けたことがなかった。

多くの敵は彼の妻を買収し、彼女は朝の祈りの時間が最も無防備だと気付きました。翌朝の祈りの際敵が背後から忍び寄りウカシャーアタの剣で彼の首を切り落とし、その首は丘を転がっていったあと井戸に落ちました。その井戸はメッカと地下でつながっていると云われています。

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霊廟の中に21メートルに及ぶ石棺があります。

非常に静かな場所です。

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井戸は霊廟から結構離れたところにあります。井戸水には不思議な治癒性があると言われ

数多くの巡礼者が聖なる水を求めて訪れます。

この日は300人近くいたようで、ツアーの参加者から水をもらうのは無理だからバスの戻ろうと催促されました。

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ウカシャーアタを後にして向かったのが、第2のハイライト、アイシャ・ビビ廟。

ツアーのガイドがバスの中でこれからアイシャ・ビビ廟に向かいますとアナウンスすると

女性の乗客から歓声が上がりました。そしてガイドが女性に何やら紙を渡しており、みな何かを紙に書き記していました。。

 

https://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%90%D0%B9%D1%88%D0%B0-%D0%91%D0%B8%D0%B1%D0%B8_(%D0%BC%D0%B0%D0%B2%D0%B7%D0%BE%D0%BB%D0%B5%D0%B9)

カザフスタンの国家的重要な歴史と文化の記念碑に指定されています。

愛と誠実の記念碑として広く知られており、伝説によるとカラハン朝の支配者の美しい婚約者アイシャ・ビビのために建設されたと云われています。

数年前から建物の保護のため入場料を払うようになったようです。

右側にあるのはババジ・カトゥン廟。

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入り口の左側に新しく出来た施設(何なのかよく分からず)。

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テラコッタのタイルによる非常に美しい装飾で、60種類以上のタイルが使われているようです。

2002年にかなりの修復が行われたようで、それまでは西側のファサードのみが残存していたようです。1960年にガラスによって保護され保存されていたようで、ネットにその当時の写真があります。よってこの紺型のドームがオリジナルの形態なのか個人的には分かりません。

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ウズベキスタンのタシケントに住む知人の芸術批評家によるとウズベキスタンのブハラにあるイスマーイール・サーマーニー廟に似ているとの事でした。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%BC%E5%BB%9F

 

ババジ・カトゥン廟。11世紀に建立。

ババジ・カトゥンはアイシャ・ビビの乳母で、アイシャ・ビビの霊廟の近くに住み最期まで管理を行い無くなった後この場所に埋葬され、霊廟が建設されたようです。

折り畳み傘状のドームは半壊していましたが1981年にカザフスタンの修復研究所によって修復されたようです。

このようなドームは中央アジアでは見られない形態のようです。

https://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%9C%D0%B0%D0%B2%D0%B7%D0%BE%D0%BB%D0%B5%D0%B9_%D0%91%D0%B0%D0%B1%D0%B0%D0%B4%D0%B6%D0%B8_%D1%85%D0%B0%D1%82%D1%83%D0%BD

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アイシャ・ビビとババジ・カトゥンの形態構成とプロポーションは非常に似ていますが、

アイシャ・ビビの場合プロポーション的に上方に伸ばしたような印象を受けるのに対し、

ババジ・カトゥンの方がより純粋形態に近いですね。

私はこの構成に興味を抱きました。

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夕日で黄金に輝く西側のファサード。非常に美しいですね。

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コシュカールムイズと呼ばれるカザフスタンのパターンを用いたテラコッタのタイル。

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バスの中で何かを書き記したメモをタイルの隙間に埋め込む女性たち。

おそらく書き記した夢が実現するといったようなものだと思います。

我こぞって皆埋め込んでいました(笑)。

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飛行機雲は発生した印象的な夕暮れの空。

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バスで片道12時間と非常に疲れましたが、誠に有意義な旅でした。

ツアーに参加できて本当によかったです。

外国人のみならずカザフスタン全土からも多くの人がこの地を訪れてきます。

途中で立ち寄ったシムケントやタラズにも訪れてみたいですね。

 

 

 

以前もキルギスの建築の本を紹介したのですが、

Architecture of the Soviet Kirghizia

 

先日ビシュケクを訪れて本をコピーしてきました。

日本語で「キルギスの近代建築」。1982年にキルギスで出版されたものです。

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以前ビシュケクの建築家連合の事務所を訪れて偶然出会った建築家の名刺を持っていたので

彼に連絡した所、違う場所に事務所を開いたようで電話で連絡を取りながら訪問してきました。

彼にとある本を持っていないか聞いたところその本は持っていませんでしたが、

この本を持っていたのでコピーさせてもらいました。

 

下記の本をコピーしようと思い、翌日以前訪れたギャラリーに連絡して訪問し

許可をもらい本をコピーしようとコピー屋に行ったのですが、A4サイズより若干大きく

明日でないと出来ないと言われ、泣く泣く断念しすべてのページの写真を撮らせてもらいました。

日本語で「フルンゼ市の建築」。1978年の出版です。フルンゼとはビシュケクのソビエト時代の名前です。

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さて、先の建築家とちょっと話していたのですが、ビシュケクのいくつかの集合住宅がもしかしたら丹下健三の影響(とりわけ築地計画)を受けていたんじゃないかと思って写真を見せて聞いてみたのですが、それはないと言われました。

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確かにこの建築は典型的な建物なので違うかなと思ったのですが、この下の建物の写真がその時手元になく見せることが出来ませんでした。

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彼が持っている丹下健三の本を見ながら話していると、築地計画の影響を受けたのはトビリシのこの建築だと言いました。

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以前も紹介したトビリシのジョージア銀行本店、旧高速道路建設省です。

ラザール・ヒデケルが1923-28年に提案した空中都市(柱上都市)の方がより近いと思うのですが、

言われてみるとそうかもしれません。

確かにジョージアのボルジョミ市の作曲家の建物(1982年)は丹下健三の香川県庁舎に非常に似ています。

丹下健三の影響はあったのかもしれません。

今の所極めて私見ですがアルマティを含む中央アジアやコーカサスだけでなく、ソ連圏全般においてメタボリズムを含む丹下健三の作品の影響がもしかしたらかなりあったのではないかと推測してます。

 

 

今回初めて古典主義建築を紹介したいと思います。

今まで写真を撮ってきたのは殆どいわゆるソビエトモダニズム建築だったのですが、今回初めて写真を撮ってきました。

 

構成主義の建築が終焉し始める1930年代後半から新古典主義建築が作り始められるようになります。

パンフィロバ-キロバ通りにギンズブルグらによる構成主義スタイルの行政庁舎(1928-1931),通信局、トルキスタン・シベリア鉄道管理ビルなどが完成し、パンフィロフ通り沿いの北側に水資源省(現在すでに解体)、人民委員会の住宅が建設されます。その後労働者のクラブや住宅団地が同様に構成主義のスタイルで周辺に作られていきます。

しかしスターリンの政策により、構成主義の代わりに古典主義が台頭しはじめ、アルマティでは1933年頃から新古典様式で建設されていきます。

 

パンフィロフ通りの西側のアブライハーン大通り(旧共産主義通り)沿いに北から南に向かって

アルマトイⅡ駅、設計はM. クドリャフツェフ、A. ガルキン。1936年竣工。

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都市執行委員会(中央)、設計M. シュガル。1938年。食品産業人民委員会(右)、設計G. クシュナレンコ。1938年。国家農業省(左)、設計G. クシュナレンコ。1938年。

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人民委員会財務省、設計M. シュガル。1937年。

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人民委員会外務省。設計A. レピック。1938年。

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コンサルバトール。設計A. ストレメンコバ。1935-1937年。

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アブライハーン・カリーニナ通りの交差点に建設された住宅団地No.6。設計Ya.スタンケビッチ。1937年。

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パンフィロフ通りとキロバ通りの交差点に作られた住宅団地No.7(Stakhanovitesの家)。設計Ya.スタンケビッチ。1938年。

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フルマノバ通りの構成主義スタイルの住宅団地No.1, 2, 3, 4の後にNo.2と3に間に建設された建物。設計B. トベルドフレドフ。1935年。

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カザフスタン南部地質管理ビル。設計G. クシュレンコ。1930-1939年。

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繊維工場ビル。設計K.シムカチェフ。1941年。

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1941年に完成したアバイ・オペラバレー劇場。設計はN. クルグロフ、N. プロスタコフ。

設計競技にて選ばれた建築です。この建物から純粋な古典主義でなくカザフスタンの伝統を表現した様式がはっきりと表れるようになりました。

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シェフチェンコ-バリハノバのカザフスタン共和国科学アカデミー。設計シューセフ。1953年。

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この建築においてカザフスタンの宗教建築の特徴でもある、尖塔アーチ、ペシュタクと呼ばれる入り口にそびえ立つ四角形の平面、計画案に示されたドーム(実現されなかった)などが表現されています。

1981年に南側の方に増築された科学者の家。設計はV. エック、M. ズヴォンツェフ。

ペシュタク部分がより彫りの深いものとなっています。

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センターの開発と共に1928年代以降、アバイ通り沿いに高等教育機関(現大学)が建設されていきます。

動物衛生研究所(現農業大学の一部)。設計N. ペトロフ。1928年。両翼が1939年と1954年に別の設計者によって増築されます。構成主義の影響が若干見受けられますね。

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農業研究所(現農業大学)。設計設計N. ペトロフ。1934年. 尖塔アーチなどの伝統様式が反映されています。

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現カザフ国立農業大学。1935年。

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アバイ通りのずっと西の方のマサンチ通りの交差点にトルキスタン・シベリア鉄道病院。設計M. クドリャフツェフ。1950年。

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アバイ-シーフリナ通りにある水文学研究所。設計V. ビリュコフ。1952年。

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トレビ通り沿いに医学関係の施設や高等教育機関が1930年代から建設されはじめます。

治療クリニック(現代1市立病院)。設計I.ドルガチ、A. カプルン。1938年。

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医学研究所(現カザフスタン国立医科大学)。設計A. ゲゲッロ。1932年。設計変更P. パスポポビム。1939年。

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外国語研究所(現国際関係と世界言語大学)。設計M. クドリャフツェフ、G. ボズニューク。1940年。

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No.39 学校。1938年。

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1940年代後半から文化、科学、教育の労働者、高級軍人のための住宅施設が建設されていきます。

アブライ・ハーン通り沿いの中央委員会の労働者用の住宅団地。設計A. レピック。1951年。

伝統様式が反映されています。

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アブライ・ハーン-カリーニナ通りの水力発電所の労働者のための集合住宅。設計V. ブチコフ。1954年。

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アブライハーン-トレビ通り沿いの集合住宅。設計A. レピック。1951年。

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アブライハーン-キロバ通り沿いの集合住宅。1950,1951年。

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アブライハーン-カリーニナ通り沿いの集合住宅。設計A. レピック。1940-1950年。1954年。

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政治検事の家(現カザックコンサート)。設計A. レピック。1955年。

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管理ビル。1960年。

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アブライ・ハーン通りの西側のミラ通り(現ジェルトクサン通り)沿いにも建てられていきます。

ミラ-キロバ通りのホテル・イシック(現オフィスビル)。設計V. コルシン。彫刻N. コルシン。1947年。

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ミラ-トレビ通りの住宅団地No.9。No.39 学校の丁度真向かいですね。

設計S. シェビーレフ。1950年。伝統様式の装飾が施されています。

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ミラ-ゴーゴル通りの集合住宅。1950年代。伝統様式の装飾が施されています。

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ナウリツバイ・バティル-ゴーゴル通り交差点の集合住宅。1950年代。

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その向かい側にあります行政と集合住宅。1950年代。

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ナウリツバイ・バティル-アイテケ・ビ通り交差点の集合住宅。1960年。

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フルマノバ-カリーニナ通り交差点のシベリア鉄道従業員の住宅。設計M. イルチェンコ。1953年。ソビエト帝国様式と言えばいいのでしょうか、尖塔が取り付けられています。

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トレビ-ナウリツバイ・バテイル通りの集合住宅。1946年。

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トレビ-ナウリツバイ・バテイル通り交差点の集合住宅。1956年。伝統様式が反映されています。

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トレビ-パンフィロフ通り交差点のうまく日本語に訳せませんがカザフスタン消費同盟(Kazpotrebsoyuz)。こちらも尖塔様式です。

設計B. ステシン。1953年。

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アバイ-ドスティック通り交差点の高等教育学校。設計キム・ドセン。1954年。こちらも尖塔が取り入られています。

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アバライ・ハン-トレビ通り交差点に新たに建設された行政庁舎(現カザフスタンイギリス工科大学)。設計B.R. ルバネンコ、T.A. シモノフ。1957年。設計競技によって選定され紆余曲折を経てこの構成に落ち着いたようです。

ギンズブルグ設計の旧行政庁舎から公園を挟んで北側向かい側に建設されました。

アルマテイの古典主義建築の集大成です。

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行政庁舎からアブライハーン通り沿い北側に新たに市議会ビルが建設されます。

設計カーツェフ。以前紹介したサーカスの設計者でもあります。1963年。

こちらはドーム状の上に小さな尖塔様式が取り入れられています。

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1953年のスターリンの死後、フルシチョフによる「設計と建設における過剰撤廃」が1955年に決議され、いわゆるスターリン様式と呼ばれる新古典主義の建築は衰退し、今までのブログで数多く紹介されているように、60年代中旬以降コンクリートパネルによる集合住宅やいわゆるソビエトモダニズムの公共建築が建設されていきます。

先日、アルマティの建築家セルゲイ・マルテミヤノフにインタビューをしてきました。

こちらの建築大学を訪れていたところその場にいた教授が突然彼に電話をかけまして急遽後日に会うことになりました。

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彼はアルマティの建築家組合の代表も務めておりまして、

非常にエネルギッシュな方でして、ものすごいスピードで自らのプロジェクトを次々と解説していきまして少し圧倒されました(笑

建築家とは元来エネルギッシュですけどね。

 

上の写真のプロジェクトは音楽学校で1986年完成。設計は1976年に始まったようです。

いくつか彼のプロジェクトを見せてもらったのですが、以前紹介した集合住宅が出てきました。彼の設計によるものでした。

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過去から現在までのプロジェクトの説明が終わった後、彼が設計した建物の見学に行きました。

まずは代表的な作品であります音楽学校。

以前訪れた際は敷地内に入れず外から写真を撮ったのですが、学校の先生が出てきまして少し説明をしてくれまして、その時に設計者の名前を教えてもらいました。

それがセルゲイ・マルテミヤノフでした。

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中心のキャンティレバーの大屋根が非常に特徴的で反対側まで貫いています。

この大屋根の両側にアシンメトリーに諸機能を配置しています。

天井に貼っているのは薄いコンクリートのパネルです。

最初は木材に白でペイントしたものかと思っていました。

この天井がダブルのガラスのカーテンウォールの内部までそのまま貫入しています。

 

中に入らせてもらい彼にいろいろ説明をしてもらいました。

カーテンウォールの内部は吹き抜けのエントランスホールで、奥の2階部分が講堂となっています。

その講堂の天井部分も同じ白いコンクリートパネルの天井材で構成されています。

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ガラスのカーテンウォールの右側部分に入り口用のボックスが挿入されています。

左側は2階に登っていく階段部分の踊り場で外部に突き出しています。

内部から見ると非常に開放的な吹き抜け空間で、外部と内部がガラスを通じて相互に貫入しています。

外部から内部、そして建物の反対側の奥までを貫く同じ材で成したボールト状の天井の元、極めて流動的で透明な空間が形成されています。

この開放的な吹き抜け部分に接する2階の講堂部分の廊下はサイドの建物とそのまま連結されており、吹き抜けを中心とした明快で流動的な動線となっています。

吹き抜けがが北側に向いているのですが、敷地が道路の南側ですのでそのような配置計画になったのでしょう。南側でしたら2階からの景観も素晴らしかったのかもしれませんが、その代わり夏に日射が厳しかったのかもしれません。

私の知る限りですが、おそらくアルマティで初めてガラスによる外部・内部空間の相互貫入性が実現された建築ではないかと思います。

建物の構成といい空間といい非常に素晴らしい建築でした。

ちなみに学校の先生(か校長先生)は私のことを覚えていたようで、彼は以前も来たわよと言っていたようでした。

よく覚えていますね(笑

 

その後、スポーツ学校を訪れました。1981年に竣工。

この建物は以前からちょくちょく見ていました。

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陸上競技用のトラックやプール、飛び込み台が中に作られています。

水平に連続していくガラスの開口部が美しいですね。

石の部分とガラスの部分の取り合いのディテールが綺麗で、巧みに分節化することによって素材の違いをうまく表現していると思います。

ダブルのガラス部分が壁の部分から切り離されて、何と言いましょうか、後からはめ込んだような表現になっています。

てっきりアルミサッシュと思っていたのですが、彼によるとスティールだそうです。

アルミはその当時非常に高価で使用できなかったと言っていました。

スティールサッシュにしては厚みも薄く非常に軽やかに感じます。

ガラスやバルコニーのエッジの部分を90度ではなく、角度をつけて納めています。

非常に滑らかな印象を与えます。

 

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プール棟の部分ですが、屋根が一段と角度をつけて伸びています。

彼によると最初はそのままの勾配でデザインを進めていたようですが、他の設計師の意見を取りいれて、このようになったようです。よりダイナミックになっていますね。

全体的にディテールが非常にきれいな建築だと思います。

 

先の集合住宅もそうですが、セルゲイ・マルテミヤノフの建築表現として、オブジェクトをはめ込む、もしくは挿入するといったような操作が見受けられます。

立面図を見るとそれがより一層明確に見えてきます、

これがカザフスタンのモダニズム期の建築においてどのような意味を果たしたのかは分かりません。

ただ先の音楽学校のガラスのカーテンウォールで囲まれた吹き抜けの開放的で流動的な空間は当時非常に画期的であったと思います。

新年明けましておめでとうございます。

本年も宜しくお願いします。

沖縄滞在中にいつものように沖縄の建築に関する記事を書こうと思っていたのですが、

結局できませんでした。

 

今回紹介するのはアルマティのシンボルと言っても差し支えないでしょう。

ホテル・カザフスタンです。

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設計は以前にも出てきました、ユーリ・ラトゥシュニー、ウフボトフ、アンチュゴフ、カシュタノフ。

竣工は1977年です。

ホテル・カザフスタンという名のホテル(1960年竣工で初期のモダニズム建築)が以前から存在していて、このホテルがその名を踏襲し、以前のホテルは「ゼティス・ホテル」と名称が変更されました。

ドスティック通り(旧レーニン通り)に沿って、以前紹介した共和国宮殿政治教育舎の隣に立地し、アバイ広場を中心とした建築群を構成しています。

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(写真はコクトべから。改修前の共和国宮殿が見えます。)

 

2層の低層棟部分(バンケットホールなど)と高さ102mの25階建ての高層棟(ホテル部分)で構成されています。

2007年まではアルマティで最も高い建築でした。

当時地震に対してどのように施工するかかなり考慮したようで、現場打ちコンクリートによる施工、

楕円形を模した形状に階段室や各部屋の壁を耐震壁とした両端コアシステムが初めて導入されたようです。

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屋上の王冠のような部分は最初の設計時にはなかったようです。

というのもエレベーターの屋上機械室の配置がシンメトリーではなく、外観に予想以上の影響を与えたため急遽このような王冠を載せることになったようです。

頂上部の王冠によって、背景の山々と呼応し溶け込んでいきます( この写真の方向からは山は見えませんが)。

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低層部のデザインを見ると分かりますが、それらに呼応させているのが分かります。

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1階エントラン部分の両サイドに低層棟のバルコニーが曲線を描いて巻き付いています。

石を細長く縦貼りで貼り付けています。

 

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ホテル棟のファサード部分に注目すると、居室部分の壁がジグザグになっており、南側(山側)に窓が設けられ室内からの眺望を考慮しています。

居室部分のファサードには、楕円曲面上に垂直・水平方向のグリッドラインを強調するかのように、

アルミによる水平ルーバーと細長いアルミパネルが使用されています。

この繊細さを表現したことによって圧倒的なボリュームが消え去り、軽やかな印象を与えています。

こちらのジャーナリストが設計に従事した建築家(当時は若手)にインタビューをした記事がありまして、

それによると設計者は当時コルビジェに触発されたようですが、このホテルの設計にあたっては、日本の丹下健三の影響がかなりあったようです。

どの建築から影響を受けたのかは分かりませんが、個人的にはおそらく旧東京都庁舎ではないかと推測しています。

以前こちらの建築家アルマス・オルダバエフにインタビューした際、

丹下の影響について少し語っていたのですが、

どのような影響だったのかまたどの建築が具体的に受けたのかまでは分かりませんでした。

今回ようやく一つ、そしてアルマティの代表的な建築が日本の丹下健三からの影響を具体的に受けていたことが発見できました。

 

1979年にこの建築は共和国の重要記念碑として登録されます。

1980年には技術者を含む設計チームにカザフスタンソビエト共和国のバリハノフ国家賞が贈られました。

ソビエト時代のポストカードを含むアルマティの写真を見ると、必ずと言っていいほどこのホテル・カザフスタンが出てきます。

サーカスや共和国宮殿同様もしくはそれら以上にアルマティを代表する建築であり続けるでしょう。

 

 

 

現在沖縄にいます。やはり蒸し暑いですね。今年は特に暑いような気がします。

東京に滞在中は上野や六本木、鎌倉を訪れていました。

まずは上野。おそらく約10年以上ぶりです。以前よりもかなり綺麗になりましたね。

 

上野駅で降りて目に飛び込んでくるのが、前川國男設計の東京文化会館。1961年設計。

代表的な作品ですね。

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コルビジェ設計のインドのシャディガールを彷彿させる大屋根の元、細かく分節された外観もさることながら、

やはり外部と流動的に連結された内部空間が素晴らしいですね。

大学1年生だったでしょうか。学生時代、建築というものを始めて意識させてくれたのが前川國男設計の熊本市美術館でした。

動線計画と空間の流れが綿密に計算され非常に見事だったと記憶しています。

建築家の考えた通りに我々は動いているのだとその時気付かされました。

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そして言わずと知れたコルビジェの国立西洋美術館(1959年)。

昨年本建物を含むコルビジェの作品13件が世界文化遺産に登録され、知名度が一気に上がりました。

かくいう私も以前東京に10年滞在していたのですが、恥ずかしいことに一回も訪れたことがありませんでした。。

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外観に貼られた緑っぽい石。オリジナルではなく改修後に取り付けられたようです。

縦長に交互に貼り付けているので、ファサード上に動きがありますね。

パウル・クレーの絵画のようでもあります。

 

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丁度「ル・コルビジェの芸術空間」という展示も行われていました。

エントランスから内部に入ると、まず最初に体験する19世紀ホール。

トップライトから柔らかく差し込む自然光と垂直性を規定する打ち放しのコンクリートの柱、

そしてそれらを受け止める十字の梁。いきなりハイライトの空間が現れます。

ここからスロープで上がっていきますので、変化していく空間の垂直性の感じられます。

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スロープを上がっていき、2階の展示室へ。

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「ル・コルビュジェの芸術空間」展では、数多くのエスキスやスケッチが展示されていました。

初めて見たのも多かったですね。

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さて、西洋美術館を後にしまして公園を散策していると見つけたのが上野東照宮。

東照宮が上野にあるとは全く知りませんでした。。日光の東照宮は訪れたことはあるんですけどね。

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翌日、上野界隈が近代美術のエリアとすれば新しいアートエリアとなった六本木へ。

ミッドタウンを訪れ、磯崎事務所のご厚意によりARK NOVAを見学することが出来ました。

厚く感謝申し上げます。

ARK NOVAとはスイスのルツェルンの音楽祭が、東日本大震災の復興支援のために

建築家の磯崎新と彫刻家のアニッシュ・カプーア氏のデザインによって実現された移動式コンサートホールのことです。

磯崎さん独特の曲線美と申しましょうか、コンピューター・エイディッド・シティーから連なる北九州市立中央図書館のような有機体を想起させますね。

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ミッドタウン内からもその存在感は抜群です。建築物というよりは巨大なアート作品のようです。

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圧巻の内部空間。まるで胎内にいるかのような感じを受け、

クラインの壺のようなチューブ状のものはまさしく異形のエロティシズムといった様相でした。

膜材の接合部のラインが曲面性を強調しスケール感が分かりやすいようになっています。

ずっとこのままその場所に滞在したくなるような空間でした。

久しぶりに素晴らしい空間に出会えたと思います。

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その後、国立新美術館へ。設計は黒川紀章。

黒川事務所在籍時、竣工前に見学会がありました。

以前、某大手の組織事務所に在籍していた時、この美術館のプロポに参加しておりまして、

残念ながら2位だったのですが、その当時の記憶も蘇りながら見学していました。

エントランスに挿入されたコーンは黒川の代名詞ともいえるアブストラクト・シンボリズムの一つの典型例ですが、

話によると、設計段階ではなく工事中に挿入を決定したそうです。カーテンウォールを切ったのでしょうか?

それにしても難しい施工だと思います。

 

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個人的にはこの緩やかなカーブを描く曲線のカーテンウォールが美しいのですが、

さらに内部に突き刺された大小の2つの逆円錐に従って作り出される2つの3次元曲面がさらに美しいですね。

ガラス状の水平ルーバーにより非常にリズミカルなファサードです。

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開館10周年という事で館内は非常に賑わっていました。

黒川の美術館建築に関して、展示室に曲線のボリュームをまとわるつかせるという手法はよく使われていまして、この新美術館もその手法によるものですが、ホワイエに2つの逆円錐が挿入されているのが非常に特徴的です。

空間としては非常に圧迫感があるわけですが、この違和感を感じるほどの挿入が黒川の提唱する「共生の思想」の一部ではないかと思うのですが、むしろ共生というよりは異物(もしくは異質なもの)の挿入による異化作用に近いのではないかという気がします。

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外部デッキのガラスのカーテンウォールのくぼんだ部分に植栽が施されているのですが、後から植えられたものだそうです。

黒川は都市計画はもちろんのこと建築においても緑化を非常に行い、彼の建築思想において非常に重要な部分を占めてるのですが、その曲線がくぼんだ部分に1つの植栽を施したという事は彼の思想が非常に重要な意味で表れているのではないかと思っています。

 

さて、3連休の初日大学時代の友人と鎌倉に行ってきました。

正直に言うと暑かったので神社仏閣巡りをしたかったんですね。

境内は緑も多く舗装もされていないので自然を感じつつ涼めるからです。

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まずは円覚寺から。

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夢窓疎石が作庭したと言われる方丈の庭園。

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方丈の内部の畳。

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円覚寺を後にして建長寺へ。臨済宗建長寺派の大本山です。

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こちらも夢窓疎石が作庭したと言われています。

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お寺を後にしまして鶴岡八幡宮へ。その路先の途中にある神奈川県立近代美術館鎌倉別館で休憩。

1984年竣工で設計は大髙正人建築設計事務所。

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そして鶴岡八幡宮へ。

連休という事もあり観光客も含め多くの参拝者が訪れており、凄く混雑していました。IMG_9645 IMG_9646

 

最後に神奈川県立近代美術館。

残念ながら2016年3月をもって一般公開を終了しました。現在は鶴岡八幡宮の所有となっています。

私の友人なども公開終了前に美術館を見学に訪れていました。

今まで一回も訪れたことがなく後悔の念で一杯ですね。

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今回の東京滞在時はARK NOVA等の素晴らしい建築を体験でき、非常に有意義なものでした。

やはり建築は「空間」なんだと再認識させられた滞在でした。

 

 

カザフスタンの首都アスタナにて6月10日から9月10日まで万博が行われています。

中央アジアで初めての万博であり、テーマは「Future Energy」。

https://expo2017astana.com/

 

万博のマスタープランのコンペも2013年に行われまして、ザハの事務所やコープ・ヒンメルブラウ、

日本からは磯崎新事務所も参加していましたが、

1等はアメリカのAdrian Smith + Gordon Gill Architectureの案が選ばれました。

http://www.archdaily.com/420867/top-firms-compete-to-design-kazakhstan-s-world-expo-in-2017

https://archi.ru/world/51417/tochka-promyshlennogo-perevorota

都市軸、被膜・仮面性など磯崎さんらしい提案でしたが残念ながら3位でした。

ちなみにこのコンペはとある建築専門のサイトからオートキャドの戯れかと少し揶揄されていました。

 

さて、アスタナアートフェストに招待されているついでに万博に訪れてきました。

後日、日本から構造設計者である友人がアスタナを訪れ一緒に行ってきました。

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中央にそびえる球体が非常に目立ちますね。ちなみにカザフスタンパビリオンです。

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球体の周辺に施設を配し、皿のその円周上に各パビリオンを配しています。

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パビリオンのゾーンは各エリアに分かれています。

訪れましたパビリオンをざっと紹介したいと思います。

 

イングランド館。

最も印象に残ったパビリオンでした。

建築家のアシフ・カーンが設計したもので、カザフスタンの伝統的な住居ユルタをモチーフとしたものです。

透明なポリカーボネイト(館内の人によると)に触れますと反応して光を発します。

センサーに反応して下から光が反射されます。

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ユルタの周辺の円周上にスクリーンを配し、地球上の悠久の大地を映像として流しています。

ちなみに館内に流れる音楽を担当したのはブライアン・イーノ。

もうこの組み合わせだけで最高です。空間デザインとしては一番良かったですね。

コンセプトが若干私のアスタナアートフェストに出品したインスタレーションと似ていますね。

 

ギリシャ館。

エーゲ海を見立てた空間構成となっています。

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ラトビア館。

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ヨルダン館。

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ベラルーシ館。

ちなみに後日再度ここを訪れた際に民族衣装のようなデザイナーによるシャツを購入しました。

着る機会があるでしょうか。

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トルクメニスタン館。

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中にユルタが展示されています。カザフスタンのものと若干異なりますね。

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ウズベキスタン館。

この3次元曲面をどのような材料で作っているのだろうと思い近寄ってみたら膜材でした。

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ジョージア館。

館内でやっぱりジョージアワインを販売していました。

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フィンランド館。

何となくですが、アルバ・アールトのニューヨーク万博のフィンランド館(1939年)を思い出しました。

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リトアニア館。

イギリス館に次いで空間的に面白かったです。

直線的な回路のような発光体がランダムに放射していくのですが、サイバー的な空間でした。

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スロバキア館。

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スロバキアの現代芸術家によるリサイクルのインスタレーション。

他のパビリオンと違い、おそらくここだけ芸術家による作品が展示されていました。

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先にも述べましたように、後日再び万博を訪れました。

最初訪れたときはカザフスタンパビリオンは3時間待ちと言われ断念。

今回朝早くから友人とカザフスタンパビリオンに行ってきました。

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1階内部。

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ユルタを模したシェル構造の建物の内部。

カザフスタンに伝わる民話で、古代遊牧民の宇宙発生論を表しています。

幸福を呼ぶ魔法の鳥と神話的な生命の樹に関するもので、

幸福を運ぶサムルグと呼ばれる鳥がポプラの2本の枝に卵を産み落とすというものです。

バイテレクタワーはこれをもとにデザインされています。

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球体は8層になっていまして、1階からエレベーターで最上階に向かい、

そこから降下していく展示方法です。一部吹き抜けになっています。

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最上階上部の展示物。その上部は風力発電機が取り付けられています。

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上部吹き抜け部分に突き出たガラスの渡り廊下。

私は怖くて渡りませんでした(笑

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各階の展示の様子。

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そこから1階に降りていきますと、写真を撮ってクラウド上に反映されるインスタレーション。

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カザフスタンパビリオンを出まして、オランダ館。中には入っていませんが、

何となくモンドリアンっぽいですね。

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モナコ館。

床に映し出されたLED照明が、可動式のさざ波のようにうねる鏡に反射しています。

かなり人気の高いパビリオンです。

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ドイツ館。

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スイス館。

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オーストリア館。

自転車をこいで電気を発生させたり、非常に体感的で、子供に大人気でした。

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ベトナム館のエントランス。

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トルコ館。

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アゼルバイジャン館。

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日本館やアメリカ館、ロシア館など先進国のパビリオンも訪れましたが、

総体して現在・未来のエネルギー政策を巨大なスクリーンで映像で説明しているものが殆どでした。

後進国はどちらかというと自国の文化を表現しているものが多かったですね。

アフリカ館は各国のブースが設置されていましたが、物品販売の方が大盛況でバザールかといったような様相でした。

やっぱり建築屋としては空間展示の方に興味が行きますね。

こちらのサイトに全部ではないですがいくつかのパビリオンが紹介されています。

https://www.dezeen.com/2017/06/20/pavilions-astana-expo-2017-photography-paul-raftery-kazakhstan/

 

オープンスペースのパブリックアート。

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なんとなくトビリシの平和橋を想起させますが、設計は同じイタリアの建築家かもしれません。

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知人のカザフ人建築家、サケン・ナリノフ氏によるインスタレーション。

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敷地内に併設されたシルク・ド・ソレイユ館

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鋼管を外壁に張り付けた施設。

OMAのディー・アンド・チャールズ・ワイリー・シアターを想起させますね。

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屋外イベント施設。こちらで各国のナショナル・デーとしてイベントが行われます。

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屋外オープンスペースの飲食・休憩スペース。

館内のレストランよりもこちらの方で多くの人が飲食をしていました。

ローカルの人にとってレストランの値段はかなり高いですから。

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こうやって見ていくとまだまだな個所もありますがカザフスタンもかなり建設技術が上がったなと思います。

デザイン・意匠も以前よりもかなり洗練されてきたと思います。

万博によってアスタナの都市計画、特に交通計画が以前よりもかなり良くなっています。

後は一般市民の意識の問題でしょうか。

しかしここを訪れた子供たちはどのような印象を持ったのでしょうか。

特に地方から訪れた子供にとって万博は今まで体験したことのないような正しく夢のようなものなのかもしれません。

我々の未来はやはり子供の手に委ねられているという印象を持ちました。

 

2015年にトビリシに行ってきたわけですが、今回も4泊5日行ってきました。

やっぱりいい街ですね。

以前書いた記事はこちら。

https://axelshockie.wordpress.com/category/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%A2/

 

ところで昨年、やたらジョージア関係の記事への検索が多いなと思ったら、

CASA BRUTUSで旧グルジア建築の特集があったんですね。

https://casabrutus.com/architecture/17336

 

さて、飛行機着陸直前の機内から見たトビリシ市。

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到着翌日にはトビリシの著名な写真家、ユーリー・メチトフ氏に会ってきました。

セルゲイ・パラジャーノフとユーリー・メチトフ

彼とは昨年アルマティでお会いしていましたので連絡先を知っていました。

ユーリー氏とスポーツパラスで待ち合わせ。1961年の竣工です。

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ユーリー氏曰く、当時周辺環境に合わせて高さを抑えて設計したようですが、

現在周辺に高層建築が立ち並び、景観をぶち壊しだそうです(写真では見えませんが)。

彼の写真をシルクスクリーンにするとの事でとある大学の図書館にようなところに連れていかれました。

しかし彼はいつお会いしてもユーモアに溢れたな方ですね(笑

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図書館内にあるスタジオ。天井も高く大きな開口部で緑に囲まれ快適です。

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私が日本人だと知ると、先生のような方が話しかけてきて、

トビリシの日常を松尾芭蕉の俳句のように撮って表現した写真集を見せてくれました。

ロンドンで購入若しくは出版されたようです。

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この日はユーリー氏へのメディアインタビューもありました。

ついでに私の写真も撮っていました。掲載されることはないでしょうけど(笑

 

その後、ユーリー氏らと別れスタジオを後にし、建築を見てきました。

前回の旅で見れなかった建築を主に掲載していきます。

 

National Archives of Georgia

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Trade Union Cultural Center(1971-73)

フェンスで仮囲いされていますので解体されるのかもしれません。

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Former Engineering and laboratory building of the Ministry of Rural Construction(1977)

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こちらは建設年数が分かりませんがおそらく1974–1976 だと思います。

あの有名な複数の棟がブリッジで連結されているものと同様の建物です。

それが見たかったのですが、バスを目的地からかなり手前で降りてしまい見れませんでした。

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そこから近くにあるアパート(1974–1976)

裏側から撮った写真が有名ですが、斜面地で登るのが大変で断念しました。

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Vazha-Pshavera通りより北側は斜面地で、かなりの高層のアパートがソビエト時代から建てられています。

あの当時交通機関は殆どバスだったでしょうから行き来は大変だったのではないでしょうか。

街への眺望はすごくいいと思いますが。

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途中で見かけた建物。

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こちらは新しい建物ですが、おそらくソビエト建築で改修されたものではないかと思います。

アルマティにも見られるようなマルセル・ブロイヤーを彷彿させる建物ですね。

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その後、宿泊先に帰る途中立ち寄ったカフェ。

2年前も訪れ、wifiのパスワードは変わらず自動的に繋がりました(笑

ジャズが流れ非常に落ち着いた雰囲気で一番好きなカフェです。

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翌日は、さらに北の方へ。

宿泊先の近くで見かけた鉄骨の屋根。凝ってますね。ケーブルでも支えています。

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バスでずっと北の方に行くと見えてきたのはこの建築。

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Tbilisi Archeology Museum(Tbilisi Archaeological Repository)

建設は1980年代後半です。現在は廃墟。手前に見ますのはSaint Nino Monument。

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小高い丘に建立されていますので非常に目立ちます。

写真で見るとスケール感が分かりませんが、予想以上に非常に大きいです。

まさしくソビエト建築といった様相です

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間近で見るとその巨大さ重厚さに圧倒されます。まるでスフィンクスのようです。

これを見ていると日本人はどうあがいても敵わないですね。

何となくパルテノン神殿を訪れた堀口捨巳のような気分でした(笑

現在廃墟で内部には入れません。階段部分を登って入口の方までは行くことが出来ます。

その上部部分の巨大な梁がまたすごい迫力です。

建物の後ろ側にも円形状のような部分があるのですが、行きませんでした。

今回最も見たかったのがこの建物でしたので見ることが出来てよかったです。

 

さてこの丘から街の方を見渡すと向こうに見えるのがこの建物。

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何かしらのモニュメントのように見えます。

ジョージア人の友人が教えてくれたのですが、The Chronicle of Georgiaでモニュメントです。

http://episodesoftheroad.com/ourtrips/georgia-with-pegasik/item/19-chronicle-of-georgia

 

次回またトビリシを訪れる機会があればぜひ訪れてみたいですね。

 

翌日は前回も行きましたムタツミンダ公園へ。

その途中で見かけた建物。

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ムタツミンダ公園へはケーブルカーで登っていきます。

頂上には1938年に建設されたソビエト時代からレストランもあります。

レストランの写真は撮っていないですが、眺望は非常に素晴らしいです。

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以前紹介したイタリアの建築家マッシミリアーノ・フクサスの設計した建物が見えます。

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ここから高松伸が設計したビジネスセンター(2007年竣工)が見えます。

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ここから下っていきますと前回も紹介した聖ダビテ教会(パンテオン)があります。

ここにはジョージアの著名な方々のお墓があります。

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スターリンの母親のお墓もあります。

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トビリシにおいて最も聖なる場所ですね。

 

そこから街中を見ていると、かなり遠く向こうにに見える建築のようなものに気付きました。

(この写真は後日別の所から)

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写真真ん中に巨大なコンクリートの塊のようなものが見えます。

ネットで調べても出てきません。病院の近くだというのは分かったのですが。

次回どんな建築かが分かれば訪れてみたいですね。

 

翌日はナリカラ砦に向かいました。

リケ公園のケーブルカー乗り場に朝10時過ぎには到着したのですが、

予想以上に観光客(特にアラブ系)が多く、30分以上待ちました。

 

公園から望む平和橋。

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ここから高松さんのビジネスセンターも見えます。

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工事中のコンクリート壁と手摺。日本ではそうみられないですね。

日本だとほとんどがフラットバーで構成されていて均質すぎて退屈ですね。

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ケーブルカーから見たトビリシの街並み。

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頂上の眺めは最高ですね。いつ来ても心地よいです。

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そこから少し下にあるカフェにて一休み。夏期のみオープンだそうです。

確か前回来たときはやっていませんでした。

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手摺から突き出たテーブルで休憩。

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峠を下りますと、歴史地区になります。

数多くの観光客がいます。日本人の旅行者にも初めて会いました。

アバノトウバニのすぐ横にあるモスク。前回も改修中でしたが未だに変わらずですね。

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そしてそのアバノトウバニ。

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市内にありますシナゴーク。前回は通りかかっただけでしたが今回は内部にも入ってみました。

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いくつかのトビリシの現代建築。

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アルマティの建築と比較しても施工の精度が非常に高いですね。

 

ジョージア技術大学。おそらく1922年ですね。

古典主義の様相を帯びた伸ばしたようなシリンダー系の正面が印象的ですね。

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そして最後にはやはり、Bank of Georgia headquarters。これは外せません。

いつ見ても身震いがしますね。

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空港に行く途中バスから見た建物。ソビエト時代のアパート建築です。

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空港近くのモニュメント。

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空港に設置されているモザイク。

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市内の街頭で売っている古本市場でジョージアのソビエト建築の本を手に入れました。

タイトルは「Архитектура Грузии」。1976年の出版です。

他にもかなり分厚いジョージアのソビエトモダニズム建築の本を見つけたのですが、

次の日来るからと言って、翌日行くとすでに売られていました。。

1976年出版ですのでモダニズム建築は少なく、むしろ古代からの建築の方が多いですね。

スターリン以降の古典主義建築も数多く掲載されています。

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さて、短い滞在時間でしたが、非常に有意義な旅でした。

前回街中をかなり歩き回っていたので、大体憶えていました。

トビリシ市内はサービスもよいですし食べ物はおいしいし、やはりまた来たいですね。

最後はいつものハチャプリと非常に貴重なジョージアワインで。

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カザフスタンの首都アスタナ市で行われていますアスタナ・アート・フェストに参加してきました。

https://artfest.kz/

今年で3回目になります。
私の2作品が展示されていますので、組織委員会の招待により行ってきました。
ちなみに上記の動画は昨年の物です。

 

“Reflection of Yurta”

こちらは提案時の画像です。
Yurta art for Astana 5211

実現したインスタレーション。

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実際の図面と若干異なりますが、コンセプトが如実に表現されていますので、

これはこれで良しとします。実際の解説文も私が送ったものと若干異なり、

委員会の方で修正しています。話を聞くと私の解説文が一般客にとって若干難しく

少し分かりやすく修正したようです(笑

 

2つ目は、”The Shells of Yurta”

こちらはキオスクとして提案したものです。当初の案はこれよりも少し規模が大きく、

若干縮小して実現されました。正直に言うとこれはコストもかかり選ばれないだろうと思ったら予想に反して選ばれました(笑

New Yurta bus stop new 5721 final

New Yurta bus stop new concept-1 New Yurta bus stop new eyelevel-5

こちらが実現したものです。

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見てわかりますように、提案した図面とかなり違います(笑

ダブルのDPGは正直無理だろうと思ったので、それは予想通りでしたが、

パンチングメタルやアルカボンド、透明なビニールは鉄骨にそのまま接合されています。。

パンチングメタルも3種類を適用したのですが、実現されたものは1種類でした。

ちなみにキオスクとして提案したのですが、委員会がこれはバス停に最適だといって、

メディアも、日本人建築家が伝統的な家屋であるユルタの形式を用いてバス停を提案した、と伝えています(笑

ちなみにメディアではこちらの方が紹介されていました。

1番目の方はメディアでの紹介が全くなかったですね。そちらの方がメインの提案だったのですが(笑

 

さて、数多くのアート作品が展示されています。一つ一つ写真を掲載していきます。

私の知人のアーティストも何人か参加しています。

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こちらはメディアセンター。委員会の方々はこちらにいます。

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通りの向こうにそびえるのが、アスタナを象徴しますバイテレックタワー。

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こちらはロシアのアーティスト、ニコライ・ポリスキーのインスタレーションです。

彼は日本でも展示を行ったようです。

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フェスティバルにおいて、私が最も好きな作品。カザフ人アーティストによるものです。

極めて批評的な作品と言えるでしょう。

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フェスティバルでは、アート作品の展示だけでなく、パフォーマンス、ライブミュージック、

アートフォーラムなど、数々のプログラムがあります。私も2日間にわたってフォーラムに参加してきました。

パフォーマンスは夜行われたようですが、連日の猛暑でへとへとになり、

夜はホテルに帰っていましたので残念ながら見ることはできませんでした。

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アートフォーラムの様子。数々のアーティストやキュレーターが講演を行い

討論を重ねていきます。

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こちらは、席を円形に囲んでの討論会。テーマは現在におけるノマディズムについて。

私も建築的観点から少しばかり意見を述べました。

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8日にすべてのプログラムが終了しまして、その日の夜アフターパーティーが行われました。

そこで数々のアーティストやキュレーターの方々と交流することが出来ました。

5日間の滞在でしたが、非常に意義のある滞在でした。

また来年参加できるのなら参加したいですね。

ブログを始めてから初めてバス停を紹介します。

とは言いつつあまり写真を撮っていないのですが。。

 

Christopher Herwigという( おそらくカナダ人だと思うのですが)写真家が旧ソ連圏の国々を旅し、

ソビエト時代のバス停の写真集「Soviet Bus Stops]という本をを2015年に出版しました。

 

http://herwigphoto.com/soviet-bus-stops/

 

 

これがかなり好評のようで、その本が出版されて以降、ロシア系のSNSで旧ソ連圏の様々なバス停の写真が投稿されています。

 

さて、アルマティのバス停です。

ソビエト時代は交通機関はもちろん公共ですので、個人の自動車所有が殆どなくバスが殆どを占めていたわけです。

そこで建築家が、様々なバス停のデザインを行ったようです。

 

2009年に初めて見たバス停。

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コンクリートパネルに、様々なタイプの石器タイルを散りばめています。

当時、非常に面白いなと思って写真を撮ったのですが、このようなタイプは市外のあちこちで見かけます。

しかし残念ながらこのバス停は現在すでに解体されていました。

 

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アルマティ湖に行く途中で見かけたバス停。

既に使われていませんが、山中には既に使用されなくなり、そのまま破棄されたバス停が数多く存在します。

 

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市の中心部にあったバス停ですが、解体され既に存在してません。写真は2009年時です。ただこちらはソビエト時代からこのようなデザインのバス停だったのかは分かりません。おそらく独立後ではないかと思います。後ほど確認してみます。

 

私が見た中でもっともユニークなのがこちら。

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フランク・ロイド・ライトが1939年に設計したジョンソンワックス本社事務所棟の内部の柱を想起させますね。

このようなタイプのバス停のデザインは旧ソ連圏でいくつかみられると思います。

ロシア系のSNS上でもウクライナや他の国で似たようなデザインのバス停が掲載されています。

 
バス停の設計にはどのような設計機関が関わっていたのか分かりませんので、後ほど調べてみたいと思います。

しかし市内にはソビエト時代のバス停はほとんど残っておらず、多くがすでに解体されています。

先の写真家の写真も多くが郊外です。

郊外を車で通りがかった際にバス停を発見することが多く、写真を撮り逃す場合が殆どですので、なかなか写真が撮れませんが、撮れた際は随時更新したいと思います。

久しぶりの投稿です。

カザフスタンの建築家、アルマティの建築についてアルマス・オルダバエフ氏(1938年生)に、
2回に分けてインタビューを行いました。

彼は歴史家でもあり、こちらのイスラム建築についても研究を行っておりまして、

度々レクチャーも行っています。

ギンズブルグのアルマティ行政庁舎(現国立芸術アカデミー)から60年代、70年代、80年代のモダニズム建築について、インタビューを行いました。

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インタビューの中で一番驚いたのは、60年代当時アルマティの建築家の間で最も大きな影響を与えたのが、丹下健三だと言う事でした。ル・コルビジェと同等かもしくはそれ以上だという事です。

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インタビューそのものは非常に貴重で、アルマティのモダニズム建築も含めて

何らかの形で日本で発表できればと考えています。

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新年明けましておめでとうございます。

本年も宜しくお願いします。

2013年にも投稿しました、「アルマティの特異な建築 Peculiar architecture in Almaty」の続編です。

アルマティの建築もこれまでかなり見てきたわけですが、

写真を撮ったにもかかわらず記事に挙げていないのもいくつかります。

そういったものも取り上げていきたいと思います。

タクシーに乗っていましたら偶然見つけまして、後から見に来ました。

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日本語で言うところの自動車運転手連合みたいな名前の建物です。

1986年に建設されたようです。

四角い箱に曲面の壁を貼り付けたような表現が非常に特徴的です。

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この曲面がもともと創建当時にあったのか、それとも後から取り付けられたのか分かりません。

数年前の写真を見ると窓がありません。あとから開けたようです。

せめて石を窓周りに貼りなおせばと思いますが。

知り合いの建築家に聞いたのですが、誰が設計したのか分からないとの事でした。

デザイン上から私は、以前紹介した子供宮殿の設計者じゃないかと思ったのですが、全く分かりません。

この表皮を剝がしたかのような、もしくは貼り付けたかのようなデザインは、アルマティで唯一でしょう。

ソビエト建築ではよく見られる手法ですが、代表的なものをあげると、

アルメニアの首都エレバンにあるチェスハウス(1970)があげられるでしょう。

https://en.wikipedia.org/wiki/Tigran_Petrosian_Chess_House

個人的にですが、コールハウスの「引き剥がす」といった初期の手法はこの辺りからきているような気がします。

こちらは、1938年にできた産科病院です。

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正面ファサードに面する通路部分でしょうか、

外部に面する大きな開口部の窓と、内部の窓の開口部の大きさが異なっています。

竣工が1938年ですのでレンガ造だと思うのですが、それにしてはファサードの開口部が非常に大きく

レンガだと支えきれないのではないかと思いますがどうなんでしょうか。

3つの大きな三角状のへこみがありますが、通路部分はどうなっているのでしょうか。

内部に入って一度見てみたいですね。

しかしスパン割としては同じだと思うのですが、内部と外部のこれらの開口部の大きさが異なることにより

外部から見るとファサードの像がずれて、妙な奥行き感を醸し出しています。

偶然の産物だと思うのですが、非常に面白いですね。

最後はこちら、1996年竣工のようで独立以後ですね。

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以前の記事「Brise-soleil architecture in Almaty」で紹介した

中央スーパーマーケット(1978年)に並行するように建てられています。

ちなみに2008年次はこのようになっていました。

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上部部分はまだ増築中でした。

その後低層部に新たにガラスのカーテンウォールが挿入されています。

実際にはどの部分が1996年竣工なのか分かりませんが、特徴的なのがこの大きな庇です。

ジャン・ヌーベルのルツェルン文化会議センター(1999年)の庇のように真っ平らに見えるよう梁を工夫しています。

個人的にはベスニン兄弟のバクーのバイロフ・クラブ(1928)を想起させますね。

影響を受けているのか分かりませんが。

今回は特異というほどのものではないですが、アルマティで僕が知る限り唯一と呼べるデザインでした。

また何かしら見つけましたら投稿したいと思います。

今年も北部総合芸術展であります「やんばる展」に出展してきました。今年で第43回目になります。

昨年に続き2回目の出品となります。

 

やんばる展とは、

沖縄県の北部地域を対象とした芸術文化展として、「木工芸」、「染織」、「民芸」、「絵画・デザイン・彫刻」、

「写真」、「書道」、「陶芸」の7部門について作品の公募を行い、多くの人々に作品発表の機会と鑑賞の場を提供し、

芸術文化を通じた地域の交流と文化の創造発展に寄与することが目的の芸術展です。

 

私は「絵画・デザイン・彫刻」部門で出品しましたが、

今年の出品作品は「花ブロックとニライカナイ」。

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こちらは昨年出品の「ソテツ建築」。

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やんばるの文化とは他と何か違うのか、常に考えさせられます。

非常に難しいですが、出品することにより常に考えることになります。

創作することによってそのことを常に意識することに意義があると思っています。

来年もぜひ出品したいと思っています。

 

写真はバスが高速道路に入る辺りから見た那覇の街並み。

コンクリート建築群は赤瓦の建築以上に、私にとっての沖縄の原風景です。

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現在、沖縄に滞在してます。

恒例のように沖縄の建築に関しての投稿です。

名護市中心の建築はほぼ見終えたと思うのですが、いくつか撮ってきたので掲載します。

 

例年のように訪れる名護市庁舎。

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そして近くの名護市民会館のエキスパンション部分。

金物をかぶせていないところにこだわりと、それによる緊張感を感じさせますね。

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教会ですが、もともと教会の建物であったのか、それとも元は別の用途で後から教会が入ったのか分かりません。

手摺や垂れ壁のコーナー部分が丸みを帯びており、柔らかい表現となっています。

 

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名護十字路の交差点に建つ建物で1950年代です。正確な年代は忘れたのですが、

流線型の曲面がなんとなく山田守を想起させますね。

名護市におけるかなり初期のモダニズム建築になると思います。

この向かい側にも同じような建物が建っていたのですが近年解体されてしまい、

残念ながら駐車場に変更されてしまいました。

 

さて、今回那覇を訪れまして、国際通り付近を見て回りました。

当たり前ですが、やはりモダニズム建築は圧倒的に多いですね。

 

県庁裏を歩いていますと、偶然琉球政府立法院跡に遭遇しました。

沖縄県庁舎(黒川紀章設計)の建設に伴い解体されたと聞いていたのですが、

記念碑が建立されていたのですね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E6%B3%95%E9%99%A2_(%E7%90%89%E7%90%83)

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そしてここから県庁横の42号線の坂を下っていきますと、目の当たりにしたのがこの建物。

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2,3階部分の道路側正面をコンクリートの縦ルーバーで覆っています。

1階に店舗が入っていますが、2,3階は空き家のようです。

おそらく1950年代に建てられたのではないかと思いますが、

立法院のすぐ真向かいでしたので、おそらくファサードデザインをそれに合わせたのでしょう。

沖縄を代表する建築家、仲座久雄氏の事務所ビル(1956)もこの辺りに建っていたと思います。

以前沖縄県公文書館を訪れた際、ある写真を見て職員の方に伺ったのですが、

そのオフィスビルがちょうどこの付近だったのです。公文書館のデジタルアーカイブを見てもよくわかります。

ここから国際通り沿いに下って行ったすぐだと思います。

 

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こちらは国際通りから少し入っていたところにあるのですが、こちらで働いているという方に聞いたところ、

1950年代だそうです。

写真右側側面部は角度を付け、正面2階部分は一部湾曲させています。

1,2,3階と階ごとに分節を行い、2階部分においては同じ縦ルーバーを用いながら

異なる表現を挿入しています。非常に面白い試みですね。

設計者は全く分かりません。

しかしこの当時50年代、縦ルーバーを用いるのは一種の流行だったのでしょうか。

ちょっと分かりませんが、アメリカの影響があるのかもしれませんね。

 

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松尾消防署。既に閉鎖されたようです。随所に花ブロックが用いられています。

 

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ぐるぐる辺りを回っていましたら、突如目の前に現れました

那覇の入り組んだコンクリートジャングルの街中に突然舞い降りたかのような非常にさわやかで軽やかな建築。

後ほど調べてみましたら、沖縄県教職員共済会館八汐荘で、昨年新たにオープンしたようですね。

元は1960年に開館したようです。2013年に老朽化に伴い閉館したようで、

残念ながら解体された沖縄会館の設計者宮里栄一氏によって設計されたようです。

http://ryukyushimpo.jp/news/prentry-204533.html

建て替えの設計は、アトリエ門口で、琉球の城を想起させる緩やかな複層の曲線で構成されており、

鉄骨とRCのハイブリッド構造ですね。

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国際通り沿いや付近の建物群。

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img_54712層目に花ブロックをあしらったものもいくつか残っています。

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img_5491こちらは国際通りに面した建物の裏側部分ですね。

 

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思わずこれは何だと思い近寄ってみると、コンクリートの水平ルーバーを鉄筋で吊っていました。

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ちなみにこの水平ルーバーと反対側のファサードは縦ルーバーで構成されています。

 

 

ちなみに偶然見つけた建物。

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これから解体される建物ですが、沖縄建築専門学校と書かれています。

ネットで調べても何の情報も出てきません。

実際この建物が学校であったのか、それともただ看板として書かれていただけなのか全く分かりません。

 

今回、国際通り付近を探索できたのは非常によかったですね。

花ブロックを用いた建築はあまり紹介できませんでしたが、

やはり50年代以降の沖縄のコンクリートのモダニズム建築が非常にありますし。

散策しながら思ったことは、先にも出た50年代の医院にもありますように、

1950年代、60年代に建てられた医院建築について調べてみるのもいいかもしれません。

良質な沖縄のモダニズム建築がまだまだ残されているかもしれません。

 

最後にふらりと立ち寄った三線の店にて。ローカリティが息づいています。

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新たに写真をとった建物や以前の未紹介の集合住宅を紹介したいと思います。

 

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バルコニー手摺部分に張り付けたコンクリートの格子のパネルが印象的です。

1977年竣工で、おそらくこのタイプの集合住宅はアルマティでここだけです。

面を貼り付けたような深みのない表現で非常にグラフィカルですね。

 

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上下にカザフパターンを伸ばしたパネルを張り付けたものです。

1987年竣工のようですが、おそらくこの集合住宅がカザフ的な要素を最も表現した建物だと思います。

おそらく階段室だと思いますが、そこにカザフパターンをファサードに配し

イスラム的な門型アーチのような表現を取っています。

 

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こちらは以前紹介したものですが、再投稿です。1982年竣工です。

階段室にカザフパターン、バルコニーにコンクリートパネルを張り付けた表現です。

フレーム状の形態は、ソビエト建築によくみられる表現ですね。

 

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こちらも門型フレームを配したものです。

 

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フレーム状にカザフパターンを配したものです。バルコニーも直角ではなく角度をつけています。

 

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1988年竣工のバルコニーに円形状の開口部を配したものです。

 

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こちらは歩いている最中偶然発見しました。中心に階段室を配し、角度をつけて両側に居室が並んでいますが、

平面の形態はT字状のようになっており、この写真の部分はTの上部の部分です。

私が知る限り、このような平面形式の建物はこれだけです。

竣工は1972年のようですが、定かではありません。

 

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初期のコンクリートパネルのような建物ですが、竣工は2002年のようですが定かではありません。

異なった装飾を施したパネルを階層ごとに用いています。

 

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こちらはビッグ・アルマティ湖に行く途中で発見しました。

年代は不明ですが、おそらく90年代以降かと思われます。

パターンを模した刷り込みによるコンクリートパネルが連続した己状のバルコニーが印象的です。

コンクリート上の刷り込みが赤い部分もあればない部分もあります。

どちらが元のデザインなのかちょっと分かりません。

窓周りにコンクリートのフレームを配していますが、細長い窓も含めて珍しいタイプです。

 

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アルマティのメイン道路の一つゴーゴル通りに面した建物です。

1975年竣工で設計はアルマティギプロゴル。

全体として非常にマッシブで、建物の正面中心部分のみバルコニーをさらに突き出させています。

 

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1990年竣工の建物です。独立の直前ですね。建築家の名前は手元に資料がなく今は分かりませんが、

彼はいくつかの集合住宅の設計を手掛けています。

バルコニーの頂部からアーチ状の付け柱部分を一番下のバルコニーまでかぶせるように伸ばしています。

全体として垂直方向を強調するようなデザインです。彼は他の集合住宅も似たような手法で設計しています。

 

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今回、初めてこのような縦ルーバーを全面に施した建物を発見しました。

隣国のビシュケクでは以前に見たことがあったのですが、アルマティでは見たことがなくおそらくないのだろうと思っていました。

しかし、100mほどの長いスパンにかけて縦ルーバーを施していると圧巻ですね。植栽であまり見えませんが。

ルーバーは上部のバルコニーの下の部分で止まっています。

竣工はおそらく1978年です。

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その集合住宅に連続して小さな交差路に対してカーブしながら直交して連続していく建物がこちらです。

竣工はおそらく1982年。特にこのカーブ部分が非常に特徴的です。

5階建てですが、4、5階にあたる部分でしょうか、バルコニー部分が突き出ています。

カプセルのような表現を取っています。

この2つの集合住宅の設計者は誰なのかまだ分かりませんが、おそらくアルマティギプロゴルではないかと思います。

 

今回未紹介や新たに発見した集合住宅を紹介することが出来ました。

ソ連時代の集合住宅は年代ごとにシリーズで別れていまして、本当はそれにそって紹介しないといけないのですが、

まだ詳しいことは把握できていません。それらを整理出来た後、きちんと紹介できればと思います。

今回は映画館を紹介したいと思います。

ビシュケクの映画館は以前写真のみ少しだけ紹介しましたが、

アルマティの映画館は初めて紹介します。

1950年代から新たな映画館が建て始めたようです(以前は古典様式の建物を使用)。

ソビエト・モダニズム様式の建築が作られていきます。

1960年に映画館アラタウが建設されます。設計はドゥヤトロフ。

正面ファサードの構成は、真ん中がオープンで列柱を配した構成で若干古典主義を意識したデザインでしたが、

2000年に改修されその部分はガラスで覆われて、外壁も青くペイントされました。

(写真はWikipediaより引用)

2015年にマクドナルドの建設のため、残念ながら取り壊されてしまいました。

 

ツェリニー映画館

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建設は1963年です。設計者は今の所分かりません。

ある記事によると、以前紹介したサーカスの設計者、ウラジミール・カーツェフが設計したとありますが、定かではありません。

現在は映画館としては営業しておらず、元はここがマクドナルドに建て替えられる可能性があり、

解体か建物の後ろにあるニコライ教会の外観を通りから見えるようにするため外観変更の可能性がありましたが、

市に譲渡され伝統芸術のアートセンターやギャラリーになることが決定しました。

外壁に施されたレリーフは、グラフィックデザイナー、イエヴゲニ・マトヴェエビッチによってデザインされています。

ただ1998年あたりの写真を見ると外壁には何もありませんので、後から壁画として書かれたと思います。

内部にもあるようですが、入ったことがないのでどのようなものか分かりません。

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アルマン映画館

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設計はコルジェムポ、パニン。1968年に竣工です。

白くペイントされたマッシブな四角い箱に、正面・側面ファサードに施されたレリーフが非常に印象的です。

壁画家コンスタンチンによるものです。創建当時からあるものと思われます。

2階部分が1階部分よりもせり出しており、いかにもソビエト建築といったソリッド感です。

建物上部に白いテントのようなものが張り巡らせれていますが、もとは金属製の装飾です。

以前は覆われておらず見えていたような気がします。

手前にバーガー・キングがありますが、昨年ほど前に増築されています。

1階エントランスの三角形の部分も後から取り付けられたものです。

現在、アルマティ市の歴史的建造物のリストに加えられています。

 

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入り口から見て左側の側面ファサードのレリーフですが、コンスタンチンによるもので、

兵士、宇宙飛行士、女性の革命、豊作などを表現しているようです。

 

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バックヤード側の側面。ファサードです。

外壁に取り付けられた突起物が単調な外観に変化を与えています。

特に日差しがある日は影を生み出し、白い平面に奥行きと深みを与えています。

 

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こちらはピラミッド状のトップライトを伴った内部の吹き抜けのホールです。

壁に石が貼っておりレリーフが取り付けられています。

イスラム的な表現をかたどった門の形をしたレリーフが正面左側に見えます。

どうやら以前はここは屋根がかかっていない外部の中庭だったようです。

 

ArchCodeというアルマティの歴史的ソビエト建築の保存を呼びかける団体がありまして、

建築ツアーを行ったり、フォーラムを行ったりといろいろ活動しておりまして、

私も時たま参加したりしているのですが、そのツアー中にこちらを訪れ中に入りました。

ソビエト時代から働いているらしいロシア人女性が参加者にいろいろ説明していまして(もちろんロシア語)、

その後、参加者に通訳してもらい、この中庭はイスラム的なものを表現していたのかと質問したのですが、

彼女はそうではないと答えました。ただ全くの建築外の人なので確かなのかちょっと分かりませんが、

アルマティのソビエト建築で初めて中庭を設けた建築を目にしました。

 

以前紹介しました「Architecture of the Soviet」に中庭だけの写真が小さく掲載されていまして、

雪が積もってよく分からないのですが、レリーフの下に噴水のようなものがあります(現在は既に取り除かれている)。

このレリーフの意味が解読できれば、この中庭の意味も分かってくると思うのですが、

今の所は分かりません。ロシア語が完全に分かってればと思うのですが。

アルマティで中庭を設けた最初のソビエト建築だとすれば、非常に重要な意義を持っているのではないでしょうか。

今回はサーカス劇場を紹介したいと思います。

アルマティを代表する建築といっても差し支えないでしょう。

http://circusalmaty.kz/

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設計はウラジミール・カーツェフ、竣工は1972年です。

ソビエト時代はモスクワのボルショイ・サーカスでも知られていますように、サーカスは非常に盛んでした。

モスクワのボルショイ・サーカス劇場も1971年に建てられています。

以前、ビシュケクのサーカス劇場(1976)の写真を載せましたが、他の中央アジア諸国と比較して、

アルマティのサーカスは非常にユニークな形態といえるでしょう。

円形アリーナ、管理棟、トレーニング・ルーム、団員の居住施設などで構成されています。

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アリーナ右手に見えるカラフルなレリーフをまとった部分はチケット売り場で、竣工当時から同じデザインです。

その右手に見えるタワーも同様です。

このアリーナ部分ですが、サーカスという機能を果たすため円形になっていますが、

リブ状の屋根も含め、建築家のカーツェフはカザフスタンの文化を表現しようと努めたようです。

つまりユルタですね。

この円形アリーナの外形は、3層の水平ルーバー、回転するようにまとわりつくバルコニーで形成されています。

水平性を非常に強調しています。

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バルコニーサイド部分には手摺壁は回らず、開口されています。回転性を表現するための手法だと思います。

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バルコニー部分の床は先に向かって細くなっています。手摺部分の笠木の板の出が非常に大きいです。

水平性をより強調しようとしているのが分かります。

アリーナは回転するコスモロジーのようなものを、ナショナル・アイデンティティーと同時に表現使用したのではないでしょうか。

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登頂部分は、レオニドフの重工業省コンペ案(1934)のホール部分を想起させますね。

 

アリーナの内部からからドロッと突き出るチケット売り場が印象的です。

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後から塗装されたものだと思っていたのですが、竣工当時の写真を見ると最初から塗装されたカラフルなデザインでした。

 

アリーナの北側に管理棟などが併設されています。

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木の板が壁に貼られていますが、何年か前の改修で貼られたと思います。

エントランス部分から左側はおそらく増築ではないかと思います。

70年代に撮影されたと思われる上空写真にはこの部分はありません。

ネット上で公開されているオリジナルの立面図にもないですね。

今の所、いつ増築されたのか、同じくカーツェフらのチームによってなされたのかも分かりません。

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この増築部分の完成により、全体としてデザインが引き締まったような気がします。

ただ建物自体全体として大きく、高低差が非常にありますので、全体を通して見ることはできませんが。

 

ソ連崩壊後、経営などで紆余曲折あったようですが、2015年に正式に民営化から外されることが決定しました。

アルマティの都市景観のシンボルの一つともいえる建築ですので、

是非ともこれからもその魅力を保ち続けてほしいですね。

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ちなみにカーツェフは、スポーツ宮殿(1967)、メデオのスケートリンク場屋ホテル、

スキー場のチンブラックのホテルなども手掛けています。

アルマティのプール施設「ダイナモ」も彼の設計によるものです。

年代は分かりませんが、大きくフレーミングされた開口部から内部が表出したようなファサードで

バルコニーが突き出した外観デザインです。現在は改修されアルミパネルが貼られています。

オリジナルのデザインが見れないのは残念ですが、彼の代表作に数えられるでしょう。

現在所用でビシュケクにいます。

今まではタイトルに番号をふらず、その他の建築とだけタイトルをつけていたのですが、

よく分からなくなるので番号を振りました。

2010年に初めてビシュケクを訪れて数多くのソビエト建築を見てきたわけですが、

前回のブログにも書いたようにほとんど見たんじゃないかと思っていたのですが、

まだまだありました。

以前の記事にも書きました「Architecture of the Soviet Kyrghizia」にも掲載されています、学校です。

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文法の学校のようで学校の番号は69です。ソビエトの教育システムは欧米や日本と異なっていまして、

私は詳しいことは分かりません。

竣工は1970年代後半から80年代初期だと思うのですが、正確なことは分かりません。

エントランス庇の付け根に取り付けられた大きな樋が目につきます。

先の本にもこのブリーズ・ソレイユとも呼べる日除けのパネルがついた写真が掲載されていますので、

後から取り付けられたのではなく、オリジナルだと思います。

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これをぐるっと回って裏手に行きますと目に飛び込んできたのは、

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おそらく体育館だと思いますが、

ガラス部分、レンガ、レンガ上に窓フレーム、そしてレンガの上にモルタルコンクリートを張り付けています。

これは重ね合わせの手法といっていいのではないのでしょうか。

窓フレームが木製ですので、ソビエト時代からだと思います。

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木で隠れてよく見えませんが、コンクリートの壁が斜めにガラス窓部分まで伸びてきて、また下がりレンガを表出させています。

異なるレイヤーを重ね合わせた表現といっても差し支えないでしょう。

 

そこから歩いていきましてコスモパークというショッピングモールに向かっていきましたら偶然発見しました。

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通行人に聞いたところ、プールで1985年あたりだそうです。

それ以外の情報は今のところ全くありません。

ファサード上の波打つような縦ルーバーが非常に印象的です。

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上下タイプのの2つの異なったルーバーの組み合わせですが、非常にリズミカルに感じます。

当初はコンクリートそのもでしたが、後から水色にペイントしたのではないかと思います。

アルマティ同様、ビシュケクでもこれまで紹介したように縦ルーバーの建築は数多く存在しますが、

この建築が表層としてルーバーのみで表現されています。

樹木がなければもっとよく見えるのですが。

これまで紹介してきた中で最も現代的のような気がします。

 

こちらは中央ヒーティングセンター。1977年で設計はゲルマン・ムリャビン

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木で見えませんが、円形窓がサイド部分にもいくつか取り付けられています。

印象的なのが正面ファサードの斜めに向いた出窓といえばよいのでしょうか、突起物です。

明らかにマルセル・ブロイヤーのホイットニー美術館(1966)を想起させますね。

 

今回は3つの建築の紹介ですが、個人的に上記の2つには驚きました。

先にも述べましたように、おそらくもうないだろうと思っていましたので

発見した時は非常に驚きました。

またの機会に新たに発見出来たらなと思います。

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