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ソ連時代カザフスタンの首都であったアルマ・アタ(現アルマトイ)のソ連時代の建築に関する論文が九州大学紀要で公開されています。

共産党中央委員会の政策やソ連の建築界の言説が記述されており、カザフスタンを中心にソ連の建築史がある程度把握できる内容となっています。

カザフスタンのアルマトイ市の第一次・第二次五カ年計画におけるソビエト政権下の都市計画・建築様式に関する研究動向と課題 : ソビエト・カザフスタンの一般建築史 その1
https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/7217539/46_p039.pdf

カザフスタンにおけるソビエト政権樹立後の第一次五ヵ年年計画から第二次五ヵ年計画までの1928年から1937年までのスターリン時代における政府施設、文化施設、学校、病院、住宅の構成主義建築から古典様式へと移行するポスト構成主義建築について論述されています。ギンズブルグにおける地域主義は近代建築史において、今後重要となってくるでしょう。

カザフスタンのアルマトイ市の第三次五カ年計画におけるソビエト政 権下の都市計画・建築様式に関する研究動向と課題 : (ソビエト・カザフスタンの一般建築史その2)
https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/7337605/47_p037.pdf

1937年にモスクワにて開催された第一回全ソ連建築家同盟会議後の第三次五ヵ年計画中の1938年から1942年までの都市計画や官公庁、高等研究所、病院、住宅建築について論述されています。

会議において構成主義建築が批判され、社会主義リアリズムが提唱され、共産党によりマルクス・レーニン主義が強化され、構成主義の要素を残しつつルネッサンス建築やアール・デコが建築に適用されていき、民族装飾が建築に施されていきます。都市計画においてはアンサンブルの重要性が謳われ、広場の計画に適用されていきます。

カザフスタンのアルマトイ市の第四次・第五次五カ年計画におけるソビエト政権下の都市計画・建築様式の概要
https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/7390844/48_p027.pdf

大祖国戦争後の第四次・五時五ヵ年計画中の1946年から1955年までの都市計画や建築についての記述が行われ、都市計画においては有機体としてのアンサンブルが謳われ、建築においては尖頭アーチやペシュタク、イーワーンなどの民族建築の要素がルネッサンス建築の要素と共に取り入れられていきます。

カザフスタンのアルマトイ市の第六次五カ年計画・七カ年計画における ソビエト政権下の都市計画・建築に関する研究動向と課題 : (フルシチョフ政権時代のソビエト・カザフスタンの一般建築史)
https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/7337606/47_p053.pdf

スターリンの死後、書記長に就任したフルシチョフ時代の第六時五ヵ年計画・七ヵ年計画中の1956年から1965年までの都市計画、住宅、公共建築について記述されています。

スターリン時代の装飾的な「過剰」な建築に対する批判が行われ、戦後の住宅供給問題の解消のためコンクリートパネルによる建築の工業化・標準化が推進されていき、外国の建築・計画が参照され、住宅地のマイクロディストリクトが建設されていきます。しかしこれらは「単調」と批判され、1960年のレーニン生誕90周年を機に工業化における新たな社会主義リアリズムが謳われていきます。

カザフスタンのアルマトイ市の第八次・第九次五カ年計画におけるソビエト政権下の都市計画・建築様式の概要 : (ブレジネフ政権時代のソビエト・カザフスタンの一般建築史その1)
https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/7390845/48_p043.pdf

1964年にブレジネフが第一書記に就任し、第八次・第九次五カ年計画中の1965年から1974年までの都市計画、公共建築について論述されています。

フルシチョフ時代の建築の「単調」さが批判され、資本主義国家の建築の批判的摂取、特に日本の丹下健三や前川國男の建築が称賛され、建築における現代性と伝統の融合が謳われていきます。また1967年の十月革命50周年、1970年のレーニン生誕100周年を境にイデオロギーの強化が主張され、社会主義リアリズムが推進されていきます。

#Soviet architecture, #Urban design, #Kazakhstan, #Almaty, #Constructivism, #Post constructivism, #Stalinist architecture, #National style, #Microdistrict, #Soviet modernism, #Khrushchevka, #,Brezhnev
#ソ連建築,#都市計画,#カザフスタン,#アルマトイ,#構成主義,#ポスト構成主義,#スターリン建築,#民族様式,#マイクロディストリクト,#ソビエトモダニズム,#フルシチョフカ,#ブレジネフ

前回の続きでカザフスタンのアルマトイ市の1930年代のいわゆるポスト構成主義の建築です。

よろしければサブスクライブしてください(笑)

Youtubeチャンネルを開設しました。

チャンネル名はsinshockieです。サブスクライブ是非よろしくお願いします。

第一弾としてカザフスタンのアルマトイのソ連時代の構成主義建築についての動画を作成しました。

今後もシリーズとして動画を作成していきます。

2023年の5月16日と9月26日に、建築史家の五十嵐太郎氏と市川紘司氏が主宰する建築系勝手メディアver.3.0にて、カザフスタンのアルマトイとキルギスのビシュケク、ジョージアのトビリシのソ連時代の建築に関する講義、議論を私が撮影した写真をお見せしながら2回に分けて行いました。

https://shirasu.io/t/kenchiku/c/kenchiku/p/20230421214404

第一弾は構成主義建築からポスト構成主義、スターリン建築、戦後のスターリン建築、フルシチョフ時代に入ってプレキャスト等によるいわゆるソビエトモダニズム建築を紹介しています。

https://shirasu.io/t/kenchiku/c/kenchiku/p/20230830135535

第二弾は1975年以降のソビエトモダニズム建築、まだあまり使われていない言葉ですがソビエトのポストモダニズム建築を紹介しています。

特に第二弾においては、ソ連においてどのようにポストモダニズムが成立していったのかを政治を含めて簡略的に話しています。これまで日本においては殆ど知られていないソ連の建築史の背景について話しておりますので、非常に貴重だと思います。

有料チャンネルなのですが冒頭の30分は視聴は無料ですので、是非ご覧になってみてください。第一弾は視聴期限がありませんが、第二弾は半年の3月26日までとなっておりますのでお早めに。

新たに入手した本

かなり久しぶりの投稿です。コロナ過で未だ実家で自粛中ですので、ずっと翻訳などを行っています。どなたかお仕事のご依頼ないでしょうか (笑

この2年間で購入できたソ連建築関係の書籍に

現代ソビエト建築 PROCESS ARCHITECTURE54

https://hamonika-koshoten.com/?pid=43884930

1970年代以降のソビエト建築についての物で、ソビエト建築家協会の全面的な協力の下にまとめられたようで、他国にてこのような形で出版物を通してソビエト建築が紹介されるのは初だったようです(本当か?)。

この本には、ジョージアのジョージア銀行本店やカザフスタンの建築もいくつか紹介されています。

ソビエトの著名な批評家A.V.リャブーシンによる「1970~80年代のソビエト建築」という論考も寄稿されています。オリジナルはどのソビエトの建築雑誌に書かれたのかは今の所不明ですが。

ソヴェト建築の理論

https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=62658491

ソヴェト建築研究会によって1955年に刊行されたもので、雑誌「ソ連の建築」1952年10月号から1955年3月号までの記事をまとめたものです。

新たに購入できたのはこの2冊ですね。雑誌「国際建築」なども出来れば購入したのですが。

後、キルギスの建築書籍4冊やウズベキスタン、モスクワの建築ガイドブック、以前紹介したアルマトイの美術史家マリノフスカヤの書籍、ソ連時代に出版された雑誌や書籍の記事の一部などを翻訳してきました。

ソビエト時代日本の建築がどのように紹介されてきたのかよく分かってきました。特に丹下健三やメタボリズムについてですね。丹下健三の香川県庁舎は伝統と現代の統合性において高い評価を得ていたようです。黒川紀章の中銀カプセルタワーについてもかなり紹介されています。

この情勢の中、以前紹介した「ソビエト・ウクライナの建築」も翻訳しようか考えています。60年代以降のウクライナの集合住宅のファサードデザインの変遷はソ連全土に影響を与えたようです。ただ仕事を探さないと。。

久し振りの投稿です。これまでコールハースとソビエト建築について少し書きましたが、今回どの建築が構成主義やソビエト・旧共産圏の建築と形態上の類似性があるのか見てみたいと思います。ただどのようにして影響を受けたのかを検証するものではありません。

以前にも述べましたが2018年にモスクワで行われたアーバン・フォーラムにコールハースは出席しましたがその際1967年にモスクワを訪れたと語っています(書籍「レム・コールハースは何を変えたのか」にはギンズブルグに関する項で1969年と書かれている)。

そこで建築とは形を作るものではなく、社会の内容を定義し社会を形成するのに介入する職業だと初めて理解したと述べています。20年,30年代の建築を見てそれが彼らの本質だと理解したようです。先の書籍ではギンズブルグのナルコムフィンを見たようですが、他にどの建築を見たのかは私は分かりません。1967年に訪れたのであればそれ以前に建設された建物は見ているわけです。その後モスクワを再度訪れたのかどうかは今の所分かりません。ソ連の建築を扱った雑誌「ソ連の建築」が国外で入手できたのかどうかもちょっと分からないですが。

ではコールハースの建築と形態に類似点が見られる建築を挙げていきます。

・1982:ラ・ヴィレット公園コンペ案/今まで指摘されているようにレオニドフの線形都市。

・1989:フラン国会図書館のコンペ案/1967年にカナダのモントリールで行われた万博のソ連館。模型だとより分かりやすいですがガラスで囲まれたボイド空間に浮遊するボリュームの構成です。

・1989:クンストハル/1961年のモスクワのパイオニア宮殿。

・1991:ヴィラ・ダラヴァ/足元のランダムな斜めの柱は、1923年のクリンスキーのソヴィエト国家経済局のプロジェクト。

・1992:ジュシュー図書館コンペ案/メーリニコフのフランス、パリのセーヌ川のガレージプロジェクト第一案

・1994:コングレスポ/1919年のメーリニコフの集合住宅計画。楕円形ですね。シュプレマティズムの絵画にも多くの楕円形が用いられています。

・1994:C3マーストタワーズ/1927年のレオニドフのレーニン研究所計画

・1997:エデュカトリアム/このブログで度々言及していますが、1967年に建設されたロシアのチェラビンスクの体育館。

・1995:ダッチハウス/地表面を剥がしたようなデザインが特徴的な住宅ですが、1970年にアルメニアのエレバンに建設されたチェスハウス。皮をめくったような表皮を纏わせたデザインでこのような感じの装飾を貼り付けた建物は旧ソ連圏に数多くあります。

・1996:ストックホルム・オリンピックスタジアム/1970年にアルメニアのエレバンに建設されたラズダン・スタジアム。敷地条件も似ていますね。

・1998:ボルドーの住宅/ゴロゾフによる1932年のスヴェルドロフスクの大劇場コンペ案。ボルドーの住宅の上部の鉄骨はこの案を上下に反転させたような印象です。また三層構成はレオニドフの線形都市で、丸い窓はマグニトゴルスクの線形都市の円形部分。

・1999-2004:シアトル中央図書館/1925-1926に描かれたL.ヒデケルの体積水平組成「構造物」のドローイング。ヒデケルのドローイングではスラブ状の物が位置をずらしながら浮いたまま積み重ねていくものですが、このスラブ状のものをネットで繋げるとまさしくこの図書館になります。若しくはヒデケルの1926-27年の「多層構造」のドローイングでしょうね。

・2002-2012:CCTV本社ビル/以前にも指摘しましたが、今手元に本がないので詳しく書けないですが、クリンスキーの造形演習での作品です。CCTVのように先が折れ曲がっているものと、そのまま上に伸びて尖がっている造形作品の混合。本社ビルの隣の建物と同様に屋根が折り曲がりながら連結している作品もあります。

・2006:スコッツタワー/これも以前指摘しましたが先のクリンスキーの造形演習での作品と同様です。CCTV以上にそっくりです。

・2006:ガズプロム本社ビル/1927年に描かれたL.ヒデケルの「垂直構造」。「アルキテクトン」シリーズの一つです。これに関しては以前他の方も指摘しています。

・2006:アルマティ・サイエンス・パーク/同じくヒデケルの「未来都市」シリーズのドローイング。特に「柱上の空中都市」(1929)ですね。もしくはジョージアのトビリシに建設された旧高速道路建設省。2007年のインターフェイスもこの編集版ですね。

・2007:23イースト22ストリートビル/こちらはソ連ではなく旧共産圏のスロバキアに1969年に建設されたパノラマリゾートホテルですね。このホテルの場合は上に行くに従って先が細くなっています。

・1997-2003:デ・ロッテルダム/基壇の4つのボリュームが上下に構成された建物ですが、ヴェスニン兄弟の重工業省第一案(1934)を彷彿させます。こちらは基壇の上に4棟がブリッジで連結された案です。ヴフテマスの造形演習で似たようなものがあるのかもしれません。

・2013:ノラ・テルネン/旧ユーゴのセルビアに1976年に建設された集合住宅を彷彿させますが、こちらは3棟が放射状に配置されています。A.ニコルスキーが1923年に描いた「形式的構成」のドローイングは4方向ですね。

・2020:アムステルダム・ライホテル/1924年のニコルスキーのフィンランド駅のレーニン記念碑のコンペ案。

ざっと挙げていきましたが、これら以外にもあると思います。L.ヒデケルやクリンスキーの作品や造形演習との類似性が一番挙げられるのではないかと思います。逆にメーリニコフあたりは殆ど見受けられません。形態的に非常に特徴があるからでしょうか。ただルサコフクラブの座席が突き出たデザインは他のソビエト建築にも引き継がれていますし、コールハースのプロジェクトでも度々見受けられます。レオニドフの影響は言われている通りかなりあると思います。

鍵となるのは1967年モスクワに訪れた際、建物だけでなくどのような書籍を目にしたのか、67年以降もソビエトの建築に関する情報を得たのかという事になってくるでしょう。

以前アルマトイの古典主義建築の記事を書きましたが、今回はビシュケクの古典主義建築を紹介したいと思います。アルマトイと比較してあまり写真を撮っていないのですがかなり抑えているとは思います。

アルマトイと同様旧ソ連圏では構成主義建築の終焉と共にいわゆるスターリン様式と呼ばれる古典主義の建築が台頭してきますが、ビシュケクにおいては1930年代中旬から建設させるようになってきます。

ジェルジェンスキー通り(現エリキンディック通り)の南側に鉄道駅が1938年に建設されます。以前紹介したビシュケクの構成主義建築のいくつかもこの通り沿いに建設されているのですが、同様に以降の建築もこの通り沿いに建設されていきます。建築家A. リマールの下ハリコフ設計組織によって設計が行われています。擬似古典様式と言われていますが建物のボリューム構成は後期構成主義に近いですね。

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ボコンバエフ―ログビネンコ通りの交差点に1935年に建設された医学学校。付け柱がファサード上にありますが、曲線部分の両サイドの構成は構成主義ですね。このような構成の建物は旧ソ連圏に数多くあります。

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ソビエツカヤ-アブディモムノバ通りの交差点に建設されたビッグチュイスキー運河の事務所(後にフルゼン地域党委員会と地域執行委員会 )がF.ステブリン、S.サアクヤンの設計で1938年に建設されます。

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フルンゼ-ラザコフ通りの交差点に建設された高等学校のホステル。この近くに構成主義の高等学校があったようですが取り壊されています。1938年にY.ドゥボフによる設計でドゥボフは総督邸の設計者ですね。若干構成主義の要素が残っています。

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1939年にジェルジェンスキーとトクトグル通りの交差点に建設された3階建ての住宅。

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同じく1939年に建設された以前も紹介した内務人民委員部と中央委員会の住宅と医学研究所。

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ログビネンコ通り沿いに1940年に建設された歯学学校。設計はG.サアクヤン

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以前も紹介したジェルジェンスキー-プシュキン通りにあるキルギス作家同盟の建物が1940年に建設されます。設計はF.ステブリン。

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ジェルジェンスキー通り沿いトクトグラ通り南側に1941年に建設されたキルギスSSRの科学アカデミーの地質学研究所。設計はP.イワノフ。先の医学学校と同様の構成ですね。

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キーロフ(現アブディモムノバ)-現カシム・ティニスタノバ通り沿いの食料品店。正確な建設年代は分かりませんが、以前の写真が残されており、撮影年代が1930年、1936年、1940年代と色々あり詳しくは分かりません。しかし写真が構成主義デザインの人民教育委員会(現在は残されていない)の建物と一緒に映っていますから外観のデザインを考慮すると1930年代後半ではないかと推測されます。

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1940年代にウセンバエバ-モスコフスカヤ通りに建設された参加病院。設計はF.ステブリン。

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ミラ通り西側に建設されたシャンパンワイン工場管理棟と門。工場棟は1945-48年にかけて建設され(年代が正しいかどうか個人的に疑問)、門は正確な年代は分かりませんが工場建設が1953年のようなのでその辺りと思われます。工場管理棟は1969年に改修されたようですがそれが現在の外観なのかは分かりません。

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ここから1950年代になります。

写真左からソビエト広場に建設された市実行委員会(1957年)、農業省(1962年)、灌漑排水専門学校(1956年、後に工科大学)。ビシュケクを代表する建築です。

実行委員会はP.イワノフ、農業省はV.ヌソフ、灌漑排水専門学校はE.ピサルスコイによる設計で農業省と灌漑排水専門学校は対照をなしていますが、農業省の頂上にある尖塔は以前の写真ではなくおそらく後から取り付けられたと思われます。

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フルンゼ-トグロク・モルド通りの交差点に建設されたソビエト貿易大学。1954年の建設で設計はE.ピサルスコイ。

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その反対側にスパルタクスタジアムの玄関口として1954年に建設されたスポーツ委員会館。設計はF.ステブリン。

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ここから少し東に向かったところに1954年に建設された体育棟。

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1955年に完成したキルギス国立オペラバレエ劇場。設計はA.ラブレンコ、P.イワノフ。

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1956年にマナス通り南側から少しは一致ったところに建設された空港ビル。設計はE.ピサルスコイ。こちらも尖塔様式ですね。数年前に空港の背後に巨大なマンションが建設されました。

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チュイ-モロドイ・グバドニー通りの交差点に1957年に建設された映画館「10月」。

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1956年、アブディモムノバ通り旧総督邸の西側に共和党党学校がA.アルバンスキー、R.セメルディエフ、G.ナザリャンの設計によって建設されます。1966年E.ピサルスコイの設計によって拡張が行われ、キルギスタン共産党の中央委員会とキルギスSSRの閣僚理事会が設置されます。1984年に新たな総督邸が建設されますが、それまではこの建物が総督邸でした。

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ログビネンコ-ボコンバエバ通りに1957年に建設されたラジオ・映画館。設計はE.ピサルスコイ。

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チュイ-ログビネンコ通りの交差点に1959年に建設されたキルギス共和国労働組合評議会に運営された組合棟。設計はP.イワノフ。

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マナサ-アフンバエバ通りの交差点に1962年に建設されたポリテクニック研究所。設計はG.ナザリャン、G.サバタエフ。

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ソビエツアカヤ通り沿い、オペラ・バレー劇場の反対側に1964年に建設されたチェルニシェフスキー州立共和図書館(現バヤリノバ共和国図書館)。設計はV.ヌソフ。

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チュイ-トゴロク・モルド通りの交差点に1966年に建設された機械技術学校(現キルギス州立大学地質学等)。設計はE.ピサルスコイ。

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後は建設年代が分からなかった建物です。

パンフィロバ公園の入り口のアーチ。アーチの形状から1940年代後半から50年代初期ではないかと思うのですが分かりません。1950年代に撮影された写真が残されています。

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チュイ-カシム・ティニスタノバ通りの交差点の産業省。設計はE.ピサルスコイのようですが、本によっては1954年、1966年と分かりませんが、柱を見ると1954年の方が正しいのではないかと思われます。

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保険省

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何の建物か分からなかった3階建ての建物。IMG_3913

先に紹介した1939年にジェルジェンスキーとトクトグル通りの交差点に建設された3階建ての住宅の横の2階宛ての住宅。

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ミラ通りポリテクニック研究所の北側にある道路技術学校。外観からおそらくポリテクニック研究所と同年代かと思われます。

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キルギス州立大学など写真を撮っていない重要な建築物もいつくかありますが、ある程度代表的なものは殆ど撮影しています。様式の傾向としてはアルマトイとほぼ同様だと思われますが、1940年に建設された歯学学校のように凹型の平面形式の建物が建設されているのは異なっていますね。

60年代中旬以降コンクリートパネルによる集合住宅やコンクリート造のいわゆるソビエトモダニズムの公共建築が建設されていきます。

Twitter

Instagramのアカウントもありますが、twitterも始めました。twitterでは日本語で表記しています。

twitter.com/sinshockie

写真はinstagramに投稿している同じものですが、宜しくお願いします。

ちなみに「Architecture of the Soviet Kirghizia」の翻訳を終えました。中世・近世、ロシア入植後の部分はまだ翻訳しておらずロシア革命以降の部分の翻訳を終えたのですが、キルギスのビシュケクのソビエト時代の建築に関して色々と分かってきた部分も多いですね。

 

現在日本です。

知人がアルマトイの建築土木大学で教えていたことから連絡を取り、昨年末大学に赴いて1970年に書かれたソビエト時代のカザフスタンの建築に関する最初の論文をコピーしてきたのですが、その際著者である教授から2019年に新たに出版されたカザフスタンの建築に関する書籍「РАЗВИТИЕ АРХИТЕКТУРЫ КАЗАХСТАНА В ЭПОХУ СОЦИАЛИЗМА」(社会主義時代におけるカザフスタンの建築の発展)をプレゼントされました。ISBNはありますが書店等では販売されていないようですのでこの本の存在そのものを知りませんでした。

写真左:論文、写真右:新たな書籍

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著者のベクリムジャン・グラウディノフは1974年と1987年に出版された「ソビエト・カザフスタンの建築」の著者であるのですが、1974年の書籍はこの論文が基になっており、新しい著書は現在翻訳中ですが1987年の本を基に新たに追加されているようです。

本にサインをするグラウディノフ氏。IMG_4861

 

知人がグラウディノフ氏の娘の連絡先を教えてくれてコンタクトできたのですが、その娘の方も建築大学で准教授として教えており(英語が多少喋れる)筑波大学を訪問したことがあるようですが、彼女から大学で日本建築に関する講義を行ってくれないかと依頼を受け、2月末に講義を行いました。聴衆は50人程度かなと思っていましたが、学部全体での講義で200人近く聴衆がおり、入室するや否や拍手が起こりかなり驚きました。

その際、大学の教授ガリム・イサバエフ氏から彼の建築作品の紹介を受け、新たに出版された彼の論文(論文は1992年)「19世紀後半から20世紀初頭のカザフスタン建築の様式の特徴」をプレゼントされました。有難うございます。

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カザフスタンの建築に関する論文をいろいろ探していたのですが、論文自体それほど多くないのですがソビエト時代に書かれたものの多くはモスクワの国立図書館にあり、著者でさえも手元になかったり、アルマトイの図書館に保管されてもマイクロフィルムであったりコピーは20枚までと制限があったりと入手において困難を極めている状況です。

 

後、国際建築第23巻・第8月号(1956年出版)を入手しました。この号にて藤井三郎氏による記事「ソビエト建築の民族主義的傾向性」が投稿されています。構成主義以降の潮流の話でモスクワなどの中心地域での建築が主でカザフスタンなどの中央アジアなどの周辺共和国に関するものは触れていませんが、何らかの参考になればと思います。

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かなり久しぶりの投稿です。カザフスタンではここ4か月ほどWordpress自体がずっとアクセスブロックされていました。

こちらの建築家アルマス・オルダバエフから丹下健三の本を借りてきました。

 

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タイトルは「丹下健三 日本の建築 伝統と近代性」で、1976年にモスクワにて出版されています。もちろんそれ以前に建築雑誌で丹下の建築が紹介されていたとは思いますが(1964年に東京オリンピックが開催されていますし)、ソビエト時代丹下に関する本格的な書籍はこの本が最初だと思います(アルマスがそう言っていた)。ちなみに1970年にスイスで出版された丹下健三の本が1978年に翻訳されて出版されています。

単なる作品集ではなく、伊勢神宮や桂離宮などが詳しく紹介されており当時の伝統的建築へのアプローチや社会状況などの解説が行われており予想以上に非常に充実した内容です。

都市計画に関しても東京計画や築地計画、スコピエの都市計画、万博の計画が解説されています。

最後に建物の紹介が掲載されています。挙げていきますと、

・広島平和記念館

・広島子供の家図書館

・丹下自邸

・愛媛県民館

・清水市庁舎

・旧東京都庁舎

・倉吉市庁舎

・香川県庁舎

・旧・草月会館

・墨記念館

・駿府会館/静岡市体育館

・今治市公会堂

・電通大阪支社

・倉敷市庁舎

・立教大学図書館

・熱海ホテル(1957-1962)

・ボストン計画

・WHO(世界保健機構)本部計画

・戸塚カントリークラブ

・日南文化センター

・代々木体育館

・香川県立体育館

・東京カテドラル大聖堂

・ゆかり文化幼稚園

・山梨文化会館

・静岡新聞・静岡放送東京支社

・旧・電通本社ビル

・大阪万博

 

旧ソ連圏の建築家がどのようにして丹下健三から影響を受けたのかを考察するにあたり非常に重要な書籍と言えるでしょう。

ル・コルビュジェの影響ではないかと思っていた建築がもしかしたらコルビュジェではなく実は丹下の建築だったのではと思わせるような事もあります。

ちなみにソ連圏で渦巻き状の建築がいくつかありますが、

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以前も紹介しましたが、1枚目はトビリシの結婚宮殿、2枚目はビシュケクのカフェ。この渦巻きの形態はどこから来たんだろうと思っていたのですが、丹下健三の本を読んでもしかしたら代々木第2体育館ではないかという印象を持ちました。単なる直感で根拠はありませんが。

 

今年の5月に2人のイタリア人の写真家によって中央アジアのソビエト時代の(特にフルシチョフ時代以降)の建築の書籍「Soviet Asia: Soviet Modernist Architecture in Central Asia」が発売されました。書籍と言ってもほぼ写真集に近い内容ではないかと思いますが、イタリアの建築史家でしょうか、2つのエッセイが書かれているようでしてそれは読んでみたいですね。

https://www.amazon.co.jp/gp/product/0995745552/

WIREDの記事にて紹介されています。

Central Asia’s Wild Soviet Architecture

日本語版WIREDにも翻訳されて記事になっています。

これらの中央アジアの建築には、いまも「ソヴィエトの美学」が遺されている

個人的にソビエトの建築に対するブルータリズムとソビエトモダニズムという用語の適用は未だに違和感がありますが、ブルータリズム・スタイルと変化してきたように思います。純粋なブルータリズム建築は存在しませんし。

 

実はこの記事に掲載されている写真の説明が英語版・日本語版共に間違っており、他の建物の説明になっていました。

1つ目は4枚目の写真、カザフスタンのアルマトイにある放送局ではなく、1976年に竣工したウズベキスタンのタシケントにあるサーカスです。英語版は修正されたようですが日本語版はそのままですね。

2つ目は10枚目の写真は綿工場の文化宮殿として1981年に建設され、後にState Academic Russian Theater for Children and Youths named after N. Satsとして用途変更になりますが、英語版ではカザフ国立学術演劇場(Kazakh State Academic Drama Theater)として建設されたと間違って記述されており、日本語版では現在カザフ国立学術演劇場と間違って記述されています。

世界的に有名なサイトですので、記述内容は適切であってほしいですね。私のブログも最初は間違いだらけであまり言えませんが(私のブログは殆ど読まれていませんけど)。

写真家の一人ロベルト・コンテ氏は2017年にアルマトイを訪問した際Archcode主催のレクチャーを行っていました。私はその時日本にいましたのでどのような内容のレクチャーだったのか知りません。ちなみに私と彼は共にインスタをフォローしあっています。

 

本当なら私もアルマトイとビシュケクに関するこのような本を先に出したかったんですけどね(笑。

しかし以前は写真はパッと撮っただけで綺麗な写真はなかなか撮れませんでしたが(私は写真専門家でもないため)、最近訪れる写真家が少し羨ましいですね。

 

 

ロシアの近いカザフスタンの都市コスタナイ市の140周年記念のイベントが8月16,17日と2日間にわたって盛大に行われたようで、その際数多くのパブリックアートやインスタレーションがカザフスタンのアーチストらによって作成され設置されたようです。

 

そのイベントにて私のインスタレーション「Transformation of Yurt」が市の中心部のツムの近くに設置されました。

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私は当然コスタナイ市を訪れておらず主催者の方から写真を頂きました。有難うございます。

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正直に言うと、フレームが曲線状でなく直線状に配列されており、フレームを接続する部分が異なり、フレームの形状その物が若干異なっていたりフレーム中心の円形部分が突き出ていなかったりとオリジナルと異なる部分が多いのですが、子供たちが私のインスタレーションで遊んでいるのを見るとそれはそれで良かったなと思います。

しかしカザフスタンの都市空間も大きな変貌を遂げてきました。以前はソビエト的な静的である種の管理下に置かれたかのような空間でしたが現在では一般人によるアクティビティに満ち溢れた活き活きした場所・空間へと変容してきました。偏に役所や各種の民間団体の努力に尽きると思います。

これでカザフスタンにおいて私のインスタレーション四作品が実現され設置されました。二つはアスタナ、一つはアルマトイ、そしてコスタナイです。他の都市においても実現されるといいですね。

 

先日アルマトイの共和国国家図書館に行きまして、とある本を探していたところついでにこれらのシリーズの本はないかと尋ねたら、ウクライナ、ベラルーシ、タジキスタンのシリーズがありましてコピーしてきました。

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右下のトゥルクメニスタンの物は1974年に出版されたものでカザフスタン編のコピーはすでに所有しています。これらのシリーズはソビエトの10月革命70周年を記念して1986年から87年に出版されています。

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すでに所有しているカザフスタン、ウズベキスタン、モルダビア(現モルドバ)のオリジナル本とキルギジア(現キルギス)、アゼルバイジャンのシリーズのコピー。以前にも紹介しましたがジョージア(グルジア)の本は1976年に出版されたものであの有名なジョージア銀行などは掲載されていません。グルジアとアルメニアのシリーズが欲しいのですが手に入らないですね。昨年も紹介しましたがキルギスの建築本のコピーは1978年と1982年に出版された本のコピーを持っています。

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このArchitecture of the Sovietのシリーズは以前はロシア圏のネットでも中古本がちょくちょく売られていたと思うのですが、Soviet Modernismの展覧会が行われた後、ほとんど見かけなくなりました。当然日本には1冊もないと思っていたのですが、今年あたりに東京外語大の図書館が入手したようですね。確か去年末辺りにロシアの通販サイトでシリーズ一式売っていたと思います。

翻訳したのはカザフスタンの物だけですが、何とか全部翻訳したいですね(笑 OCRのPDF版でも出れば非常に楽なのですが。カザフスタンの物だけで翻訳にほぼ1年はかかりましたし。

 

 

 

Garage Gallery主催の映画祭がアルマトイの現代芸術センターにて5月に行われ、2018年にアメリカにて撮影された草間彌生のドキュメンタリー映画「Kusama: Infinity」がそこで上映されたので見てきました。

https://www.cinematoday.jp/news/N0102514

https://www.cinematoday.jp/news/N0103100

何でこの映画が日本で評判になっていないんだと思っていたらまだ上映されていないようですね。新しい渋谷PARCOにて今年の11月にようやく上映されるようです。

https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/20023

日本ではまだ上映されていませんので内容については触れませんが、私は草間彌生の作品は90年代以降しか知らなく、彼女の50年代中旬から60年代の作品が紹介されており非常に素晴らしい内容でした。

彼女の当時のコンセプトが日本のネオダダグループや磯崎新などを通じて日本の現代建築のコンセプトでもある微分的・微粒子的なものに脈々と繋がっているのではないかと考えさせてくれる内容でした。

上映されると日本の建築界でもおそらく大きな話題となるでしょう。

 

久しぶりのビシュケクの集合住宅に関する記事です。約5年ぶりでしょうか。

ビシュケクの集合住宅 Part1ビシュケクの集合住宅 Part2新年明けましておめでとうございます&ビシュケクの集合住宅

ここ数年でビシュケクのソビエト時代の本などを購入したりネットの情報で、キルギスのソビエト時代の建築に関して色々分かってきました。

今回は1970年代初期に建設された大型コンクリートパネルによる105シリーズを紹介したいと思います。

1955年以降フルシチョフの政策によってコンクリートパネルによる集合住宅が旧ソ連圏にて建設されていくのですが、1970年代初期に105シリーズという5階建てと9階建ての大型コンクリートパネルの集合住宅がキルギズギプロストロイ(Kirgizgiprostroy)という設計機関によって開発されます。

地震地帯での建設が目的で1972年にはかなりの105シリーズの集合住宅が建設されたようです。1976年に9階建ての105シリーズが建設されキルギスで初めての高層建築だったようです。

一番の特徴としてはやはり外観のバルコニーのデザインでしょう。厳しい日差しを防ぐ目的で設置され数多くのタイプが設計されました。

5階建ての105シリーズ。

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大型パネルの妻側部分。パネルの接合がよく分かりますが筋状のものはおそらく後から補修されたものだと思います。IMG_3242

 

地区によっては妻側に装飾されたパネルが挿入されています。理由が分かりませんがおそらくどの建物か認識しやすいように施したのかもしれません。コンクリートの立体地図を嵌め込んだものもあります。

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9階建ての105シリーズ。

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E.G.ピサルスコイ、V. セードフを含む設計者グループが1978年にキルギスSSR国家賞を受賞しました。ピサルスコイは以前紹介した「Architecture of the Soviet Kirghizia」の執筆者の一人でもありキルギスの建築に関する本をいくつか執筆しており、また数多くの公共建築の設計を手掛けておりキルギスを代表する建築家でもありました。

幾つのタイプのバルコニーが設計されたのか分かりませんが、かなり多くのタイプがビシュケクに建設されています。格子構造の都市にこれまで無機質な表情のコンクリートパネルの住宅からこの105シリーズが登場したことにより、多彩な光景を都市にもたらすことになったでしょう。バルコニーの意匠によってはカプセル的な印象を与えます。

また装飾によっては夏場強い日差しによる深い影を落とします。この光景が中央アジアの都市空間を独特のものとしているように感じます。

 

 

これまでにもブログにてカザフスタンの建築における日本の建築の影響について少しながら書いてきましたが、今回は個人的な推測も加えながら書いていきたいと思います。

昨年の10月にツェリニー現代文化センターにて、日本から建築歴史家の横手義洋氏、以前インタビューを行ったアルマス・オルダバエフ、建築家のアレキサンダー・コルジェンポ、司会にセルゲイ・マルテミヤノフを迎えて「アルマトイと日本のレッスン」というタイトルのレクチャーが開かれました。1960年代から80年代にかけて日本の建築がどのような影響をアルマトイの建築に及ぼしたのかという内容のようだったようですが、私は残念ながら日本にいましたので参加できませんでした。

これまで書いてきましたようにアルマス・オルダバエフ氏とのインタビューでは、彼は丹下健三から大きな影響を受けたと言っています(彼が1960年代に設計した管理棟・ホールの立面図を見ると丹下健三の神戸博の展示施設《第二生産館》(1950)における軸組み構造の影響が見て取れるし、そのスケッチにはアルマトイの山とは異なり富士山と思しきものが書き込まれている)。カザフスタンホテルのファサードは丹下健三のおそらく旧東京都庁舎を参照しているでしょうし、1970年に建設された「3人の騎士」と呼ばれる集合住宅は現在ではバルコニーが閉じられ完成当初と印象が異なりますが確かに丹下健三の香川市庁舎(1958)を彷彿させます。ただ丹下健三の香川県庁舎の場合に日本の伝統的木造建築の構造をいかにしてコンクリートで表現するかということに主眼が置かれています。このバルコニーも梁で支えられていますが、ただの構造体かそれとも梁型を意図的に表現しようとしたのか分かりません。

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1971年にクナエフ鉱業研究所がAlmatygiprogorの設計によって建設されるのですが、同様に日除けのためのバルコニーが取り付けられています。そのバルコニーから梁が突き出した形で表現されています。この辺りは丹下健三の山梨文化会館(1966)におけるメタボリズム的な手法を想起させます。

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先のカザフスタンホテルですが初期のスタデイーでは外観が異なっており、垂直の巨大なフィンが建物頂部から1階低層部の屋根に連続しています。1981年に完成したオートラルホテル(未紹介)の最初の案においては建物のファサードが低層部に向けてカーブしており、丹下健三のWHO(世界保健機構)本部計画(1960)や東京計画(1960)の東京湾に浮かぶ日本の寺社建築を模した建築物を想起させます。実現されたものは最初の案とは全然異なりますが。

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1972年に友好の家(House of Friendship)がS. セイダリンの設計によって建設されるのですが、こちらのある歴史家は前川國男の京都会館(1960)の影響があるのではないかと言っていますが、以前紹介したAlmaty Modernismの本では共和国宮殿(1970)の設計者の一人であるL.ウホボトフにインタビューを行い、彼は友好の家は共和国宮殿のコピーだと語っていたようです。ただ個人的にはそうは思いません。1969年に完成したロシアドラマ劇場(未紹介)の設計者であるV.ダビネンコとG.ゴルリシュコフはモスクワ郊外のウラジミール市に地域ドラマ劇場(1971)を設計しています。これがほぼそっくりなわけです。それ以前の1968年に完成しているリオエツキ市の劇場も同様の構成です。ですからアルマトイの友情の家が前川國男の直接的な影響や共和国宮殿のコピーということはないでしょう。ソビエトの建築雑誌に京都会館が紹介されていたかどうかは今の所分かりませんが、ただ先のそれらの建築を含むソビエトの劇場建築が京都会館の影響を受けたという可能性はないとは言い切れないでしょう。ただしこれらの建築は構造体とガラスが分離して構造体が外部に露出しています。京都会館は柱間にガラスが嵌め込まれています。ちなみにこの友好の家の構造に関して前面の構造フレームを露出させて柱を梁で連結しそれを強調しており、かつ両サイド部分には柱がありません。無理やり日本建築からの影響をこじつけると丹下健三の電通ビルにおけるフレームの表現でしょうか。

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1983年に完成したバスターミナルは完全に同様の構成です。アルマトイのバスターミナルだけでなくビシュケクのバスターミナル(1981)やトビリシのバスターミナル(1970)もこれと同じような構成です。ターミナルは大スパンとなりますので殆どがこの構成になると思いますが、京都会館が2階のテラスを設けているのと同様にこれらのターミナル建築にも2階部分にテラスが設けられています。類似性としては外観の構成と同様高いといえるかもしれません。

 

以前も紹介している1984年に建設された集合住宅で、設計はモスクワの標準・実験的設計を行うデザイン研究所にて設計が行われたI-521aというタイプの実験的住宅ですが、平面は卍型でモスクワでは70年代中期頃から建設されていたのですが、殆どが縦長のブロックでこのように正方形に近いブロックの物はおそらく稀なケースです。

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先のアルマトイモダニズムの本ではホセ・ルイ。セルトのハーバード大学の学生寮やGLC Department of Architecture and Civic Designのロンドンのカナダ・ウォーターの建物の引用と書いていますが(セルトは全く違うと思いますが)、確かにカナダ・ウォーターの建物には確かに似ていますがI-521aのように交互に入れ替わってはいません。

ここで単なる仮説ですがもしかしたら黒川紀章の中銀カプセルタワーを参照したのではないかと。

ブロックを交互に重ねていく手法は共通しています。実際にロシア南部のクラスノダール地方に1974年に建設されたBKR-2シリーズのパネル住宅はバルコニーに丸窓があるユニットを積み重ねていくものであり、カプセルタワーの影響が指摘されているようです。またベラルーシのバブルイスク市に1985年に建設された巣箱と呼ばれる住宅はカプセルタワーとの類似性が言われています。ですからこのアルマトイのI-521aの住宅もカプセルタワーの影響があったのではないかというのが私の推測です。

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こちらお以前紹介した1979年に旧ブレジネフスクウエアに建設されたツインの集合住宅。この多角形のバルコニー部分の形状を見ると菊竹清訓のパシフィックホテル茅ヶ崎(1967)を想起せずにはいられません。

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もちろん参照したのかどうか分かりませんが、トビリシにある旧経済省(年代不明)は同様のファサードです。フレームの中に多角形のユニットを組み込んだようなデザインとなっておりこちらの方がよりメタボリズムの手法に近いと思います。今の所分からないですが旧ソ連圏にこのようなデザインの建物はいくつか建設されているのではないかと思います。パシフィックホテル茅ヶ崎を取り上げるのはかなり強引かなという感じではありますが。

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VDNH(博覧センター)にあるパビリオン。設計はD.ドミトリエフスキーで1975年に完成していますが、最初見たときはエーロ・サーリネンの建築を参照したものとばっかり思っていましたが、ではどの建築だろうと後ほど調べたらサーリネンにこのようなシェル構造の建築はなく、実は丹下健三の駿府会館(1957)でした。

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現在はかなり改修されパネルが貼られていますが、白いパネル部分は元はガラスですが、建物右側のリブ状のものはおそらくサッシュで構造としての役割は果たしていません。左側部分は構造としての柱でしょう。駿府会館と比較して規模が小さく、かつシンメトリーではなく勾配もきついので構造も左右対称でないのかもしれません。

写真が1枚しかないので詳しく分からないですが、リトアニアのパランガ市に1970年にこの形式と似た劇場ホールが建設されています。

 

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マイクロディストリクトのサマル地区ににM.ジャクスルコフの設計によって1988年に建設されたスポーツ学校。磯崎新の北九州美術館(1974)や一連のピラミッドシリーズの建築を連想させます。

 

旧ソ連圏における体育館のデザインにおいては先のエーロ・サーリネンの影響が大きく、イェール大学のホッケーリンク(1958)やWTAターミナルビル(1962)の影響が色濃く見てとれます。また丹下健三の代々木体育館の影響もあります。

 

アルマトイにおいて(カザフスタンに限らず他の共和国も》当時の日本のモダニズム建築の影響というよりも外観の構成を参照したといった方が適切かもしれません。当時の丹下健三やメタボリズムの方法論がカザフスタンという地域における建築的な意義と関連して発展していくということはなかったと今のところ思われますがこの辺りはもっと検証が必要でしょう。

 

おまけですが、以前も紹介したロシアのチェラビンスクの体育館(1967)。友人がそこに行ったのでついでに撮影してもらいました。レム・コールハースのエデュカトリアム(1997)は完全にこれですね。このチェラビンスクの体育館も設計当時すでに完成していたベラルーシのミンスクの体育館(1966)と同じものを建設するよう当局から指示されたそうですが建築家が反対し先を丸めたようです。エデュカトリアムの床と天井が連続していく部分はこれらの融合ですね。ソビエト時代のこのような体育館のプロトタイプになったのはオーストリアのウィーンに1958年に建設された体育館が元になったのではと個人的に考えています。

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セルゲイ・エイゼンシュタイン。

言わずと知れた映画史上に残る偉大な映画監督で、私も「戦艦ポチョムキン」のDVDを持っていまして時たま見返すのですが、エイゼンシュタインがアルマトイに滞在していたというのは日本ではあまり知られていないのかもしれません。もちろん歴史家は知っているとは思いますが。

大祖国戦争中に数多くの映画監督や芸術家、文化人などが避難のために移動してきたわけですが、その中にセルゲイ・エイゼンシュタインも含まれていました。

1941年にモスフィルムとレンフィルムがここアルマトイに退避し、アルマトイにて初めて建設された文化宮殿(現在フィルハーモニー)にスタジオを設立します。アルマトイの映画スタジオと合併し、Central United Film Studio(のちにカザックフィルムに連なっていく)の組織が形成されます。

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文化宮殿はレニングラードの建築家であったD. フォミシェフ、E. ツェイツによって設計され、1936年に竣工しています。新古典主義様式の建築でボリュームの構成から構成主義の影響が残っています。レンガ造だと思うのですが、鉄筋コンクリート造のラーメン構造で壁がレンガという話もあります。コンサートで中に入ったことがあるのですがそこまでは詳しく見ていませんでした。

1983年から89年にかけて以前にも出てきました、Yu. ラトウシュニーやT. エラリエフらの設計によって内装が新たに改装されそれ以後カザックコンサートの施設となります。

 

この場所にてエイゼンシュタインはあの「イワン雷帝」を撮影します。その期間中撮影者やカメラマンなどの技術者や脚本家が住んでいたアパートが文化宮殿から1ブロック南の方にありました。当時「受賞者の家」と呼ばれていたようで、スターリン賞を受賞した数多くの映画関係者がここに住んでいたからのようです。元はカザフ教育研究所の先生のための住居アパートだったようです。

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以前エイゼンシュタインらが滞在していたアパートですが2005年に改築されたようで残念ながら昔の面影は残っていません。元の建物は1918年に建設されたレンガ造の2層の建物で現在新たに3階部分が増築されています。

もしエイゼンシュタインのファンでイワン雷帝の撮影現場の場所を見学したいという日本人の方がいらっしゃいましたら、アルマトイを訪問した際、現フィルハーモニーを訪れてみるのもいいかもしれません。

 

 

3月5日に2019年のプリツカー建築賞に日本人建築家の磯崎新氏が選ばれました。

誰もがもう取ることはないだろうと思っていただけに、突然のニュースでした。

誠に喜ばしいニュースです。

Arata Isozaki, 2019 Pritzker Architecture Prize

速報:2019年プリツカー賞は、磯崎新。

 

 

つい先日著作の「空間へ」と「建築の解体」を読み直していただけに、個人的には尚更嬉しいニュースでした。

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磯崎建築に初めて触れたのは確か大学2年生時1992年に北九州市立美術館で行われた「磯崎新1960/1900建築展」でした。建築展では磯崎さんが直接作品を解説していた記憶があります。九州大学時代、六本松にある福岡シティ銀行六本松支店は教養部キャンパスのすぐ近くにありましたし、福岡シティ銀行本店や秀巧社ビルなど目にはしていましたがそれほど意識はしていませんでした。

展覧会の最中でしょうか、アネックスを訪れ回廊式の水を張った静寂なアトリウムでゆったりし、ヴォールト状の展示空間の絵画を横目にしながらドアを開けた瞬間2本の柱の向こうに目に広がったのはコンクリートの壁に囲まれた青い空。宮脇愛子の彫刻が真っ青な空の下静かに揺らいでおり、時間が止まったような感覚にとらわれました。

この瞬間僕の思考は停止し、まさしく「空白」状態でした。

その時磯崎が言っていた「切断することによって空間に帰す」の意味が初めて理解できました。

この時の空間体験は20年以上たった今でも脳裏に焼き付いており、だからこそ磯崎が作り上げた空間は僕にとって特別であり続けるのです。

 

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(写真は豊の国情報ライブラリー)。

 

 

以前、アルマティの現場打ちコンクリートの集合住宅を紹介しましたが、その際アルマトイのコンクリート造のラーメン構造や剛性コアとコンクリートパネルやレンガ壁の混合の集合住宅を紹介すると書きましたので、今回それらの建築を紹介したいと思います。

以前書いた記事アルマティの集合住宅Part5アルマティの集合住宅Part6やそれ以前に紹介した集合住宅も出てきます。

 

先のブログでも述べたように耐震性が向上した大型パネルの集合住宅が1971年に建設されましたが、それ以前の1968年にアブライ・ハーン通り沿いに9階建てのコンクリート造のラーメン構造による集合住宅が初めて建設されます。設計はA. ナウミフ、V. ソコロフ。

ただしラーメン構造は1階部分のみで2層目以上から以前からI-464ACシリーズのプレキャストの大型パネルが使用されたようです。混構造ですね。日本ではあまり聞いたことがない組み合わせですが。

1層目はピロティ形式でオープンになっており、上層階にはバルコニーが取り付けられていました。写真だとピロティが全く分からないですが。以前反対側から写真を撮った記憶があるんですが見つかりません。

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1968年から1970年に耐震性のより強いコンクリート造のラーメン構造の9階建てと12階建ての集合住宅が旧レーニン通り沿いの東側に建設されていきます。

これはレーニン生誕100周年を記念して、町の中心部のパンフィロフ公園からからアラタウ山脈の方に向かってレーニン通りを開発していく都市開発における建設政策でした。この旧レーニン通り沿いに以前紹介しました共和国宮殿(旧レーニン宮殿)や映画館アルマンホテルカザフスタンが建設されていきます。

これらの集合住宅が通り沿いにNo.1からNo.5まで建設されていきます。設計はN. リピンスキーをはじめとするKazgorproekt。SZKUシリーズ(プレハブ式式鉄筋コンクリートラーメン構造)と呼ばれるシステムのプレハブシステムの要素をより新たに拡張したシステムを用いて設計されました。

写真はNo.2

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現在は新たにプラスティックの窓が取り付けられていますが、元来はバルコニーのみでソ連圏では集合住宅に初めて地域の気候性を考慮した集合住宅と言われています。市松模様のように配された手摺のパネルと垂れ壁のパネルで構成された当時のファサードの構成は非常にグラフィカルな様相で軽やかな印象を与えます。

1階部分はお店や公共サービス用の施設が装備されています。ラーメン構造の適用によりこのような機能を盛り込むことが出来るようになりました。

1972年に建設された12階建ての集合住宅。平面形式が先の集合住宅と異なっています。設計者は分かりませんがおそらくKazagorproektだと思います。

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No.3とNo.4の間に通りから離れたオープンスペースを備えた12階建ての通称「3人の騎士」と呼ばれる集合住宅。1970年に建設されています。1階に「イスクラ」という映画館を備えています。設計は先のNo.1からの設計に携わっていたA. ペトロフ、A. ペトロバとその他の建築家。

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アルマトイの集合住宅の中でも一際強い印象を与える建築です。3棟を繋ぐブリッジ部分も以前はバルコニーでしたが現在壁が作られ部屋となっています。以前中に入ったことががありますね。連結部分はおそらく鉄骨で構造が切れてエキスパンションメタルのようなものでカバーされているのと思うのですが実際のところどうなのでしょうか。

ちなみに以前紹介した昨年出版されたアルマトイのソビエトモダニズムの建築の本にこの集合住宅が紹介されているのですが、その記事にて丹下健三の香川県庁舎が紹介されています。確かに似ているといえば似ています(直接似ているとは書いていませんが、バルコニーとそれを支えて突き出る梁が丹下が設計した香川県庁舎のオマージュとなっていると書かれている)。香川県庁舎は3×3のスパンで中心がコアとなっていますがこちらは3×4スパンでコアは無し。ただし建物の中心を横切るように、また建物両サイドに壁があり、これらが現場打ちのコンクリートなのかコンクリートパネルなのかは分かりませんがもしかしたら耐震壁としての役割を果たしているのかもしれません)。

個人的には丹下の香川県庁舎と共に1階部分の連続した基壇の上に独立した3棟という構成は、ヴェスニン兄弟やギンズブルグのモスクワの重工業省コンペ案(1934年)に通ずるものがあります。磯崎新の上海征大ヒマラヤ芸術センター(2010年)やレム・コールハ-ス(OMA)のデ・ロッテルダム(2013年)もこの構成方法に近いと言えると思います。

もちろんアルマトイは斜面地ですので1階部分の基壇を作ってから上層部分を作る方が合理的ではあると思います。

 

1977年ころに建設された12階建ての集合住宅。設計者は分かっていませんが先の3棟の集合住宅とのいくつかの共通点からおそらくKazagorproektによる設計でしょう。2棟は若干ずれた配置となっておりバルコニーも湾曲させたより印象深いデザインとなっています。ただしこちらはブリッジによっては連結されていません。バルコニーも西側のみでボリュームにバルコニーをまとわりつかせた構成です。

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1974年頃からコンクリート造のラーメン構造による集合住宅が市内に次々と建設されていきます。いくつか紹介していきます。

ゴーゴル通りに1974年頃に建設された6階建ての集合住宅。設計はA. コルジェンポ。1階部分がサービス機能となっています。北側に向いているファサードにはバルコニーが設置されておらず、階段室部分にカザフパターンの飾りが取り付けられています。壁はコンクリートパネルではなくレンガでフレーム内を充填しています。

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上記の建物の反対にある1975年にAlmatygiprogorのYu. トゥマニャンによって設計された9階建ての集合住宅。こちらも同様に壁はレンガ。

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1975年頃に建設された6階建てのコンクリートのラーメン構造とレンガ壁による集合住宅。設計はA. コルジェンポ。1階に「Ocean」と呼ばれるショップが入っていました。

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1976年に初めて5.24m×5.24mのコンクリ-トのコア・ラーメン構造システムと軽量のコンクリートパネルによる12階建ての48戸の集合住宅が1976年に建設されます。設計はAlmatygiprogorのK. モンタハエフ。

ファサードの中心部は階段室でその向こう側建物の平面の中心に2つのエレベーターのコアがあります。階段室は外部空間となっています。東西両サイドにバルコニーを配していますが、階段室部分が西側です。

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1980年にニュースクウェア(旧ブレジネフ広場)に建設された16階建ての82戸の2棟の集合住宅。1978年に承認された新たな都市計画に基づいて建設されました。コンクリートコアとラーメン構造、そして現場打ちコンクリートで建設されています。設計はM. パブロフ、Yu. トゥマニャン、R. ハルフィン、L. ビリノバ  A. カパノフ、R. セイダリン、K. モンタハエフ。先に出てきた建築家らが携わっています。

共産党中央委員会の行政棟から北に向かって強い軸線を構成し2棟の対称性によってゲート性を表現し古典的かつシンボリックな構成となっています。余談ですが私のパブリックアート作品がその前の広場の右側部分に設置されています。

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1980年に建設された1階部分に「開拓者の店」が設置された5階建ての48戸の集合住宅。設計はA. コルジェンポとO. ツァイ。

VT-25 (3.6 x 5.4 m) のコンクリートフレームシステムによる構造で壁は充填レンガです。両サイドにはアーチ状のファサードが雁行する平面形式で、中心部分の道路側のファサードのバルコニーには円筒形を適用しています。

これまでの集合住宅様式とは異なる歴史主義を適用したポストモダン的な建築です。アルマトイにおいて初めてシリンダー状のバルコニーが挿入されたケースです。

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1984年頃に建設された1階に「子供の世界」のお店が入った5階建ての64戸の集合住宅。VP-25 (3.6 x 5.4 m) のコンクリートフレームシステムによる構造で壁は充填レンガです。VT-25とVP-25 の違いが今の所全く分かりません。

「Архитектура Советского Казахстана(Architecture of the Soviet Kazakhstan)」の本には設計は先と同様にA. コルジェンポとO. ツァイと記載されているのですが、1998年に出版された他の本にはK. モンタハエフと書かれています。どちらが正しいのか分かりません。

西側にはどちらかというとバルコニーを設置せずルーバーによって日差しを避ける手法をとっています。東側にバルコニーを設置させています。

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1982年に建設された3角形の平面の剛性コンクリートコアと軽量コンクリートラーメン構造の12階建ての110戸の集合住宅。壁は大型コンクリートパネルで、3方向に建物が展開された通称「三つ葉」の建物です。設計はA. コルジェンポ、N. シャラバノフ、A. ラチコ、A. タジエフ。アルマトイにおける初めての「三つ葉」の平面形式で構成された建物です。

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1984年に建設された補強されたコンクリートコアによる現場打ちコンクリートによる9階建ての280戸の集合住宅。設計はP. ブロニツキー。このコアの開発により更なる種類の集合住宅の設計が可能になったようです。詳しいことはよく分からないのですが、コアとラーメン構造の部位の剛性結合によって全体の質量と地震の影響を軽減し建設コストの削減につながったようです。

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1984年に中心地のアルバットに建設されたコンクリートコアとラーメン構造、大型パネルの壁による18階建ての集合住宅。

モスクワの設計機関によって設計されたことは知人により以前から知っていたのですが(Mosgorproekとも聞いていた)今まで詳細がよく分からなかったのです。設計はモスクワの建築家、R. サラカニャンの指導のもとモスクワの設計機関MNIITEP(モスクワ類型・実験的デザイン研究所の略)でAlmatygiprogorが実際の設計に関わっています。

いわゆるシリーズI-521Aのタイプなのですが建設コストが非常に高かったためソ連全土で約10件ほどしか建設されなかったようです。知人曰くウズベキスタンのタシケントにも同じタイプが建設されたと以前言っていました。当時の大統領クなエフが父親にプレゼントするために建設されたと言われ当時のエリートたちがここに住んでいたようです。給水システムがうまくいかず上階まで水がうまく届かなかったという話も聞いています。

非常にユニークな点はツインタワーであること、そして45度に角度が振れられ並列されたものよりも緊張感が生み出されたいう点です。個人的にはこの双方向に交互に積み重ねられたボックスを見ると黒川紀章が設計した中銀カプセルタワー(1970)を想起するんですよね。影響はあったんでしょうか。

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昨年くらいでしょうか、確かオーストラリアの組織事務所がこの建物のようなデザインの集合住宅を計画していました。インスタなどネットで写真が出回っているので参照したのでしょう。SOMも大学キャンパス計画でソビエトの建築を明らかに参照したと思われるようなデザインをしていましたし、今後もソビエト建築を参照したものが増えていくでしょう。

 

1986-1987にSamal-1地区に建設された8階建てのコンクリート造のラーメン構造とレンガ壁による集合住宅。設計は以前インタビューもしましたA. オルダバエフ。壁には中央アジア特有の貝殻の混じった堆積岩が使用されています。壁の一部にコンクリートパネルが使用されています。

独特な配置計画ですが、ドスティック通り沿いに山側の南側から北側に向かって流れ落ちていくような構成です。この先にA. コルジェンポが設計した映画館アルマンがあるのですが、そのホワイトボリュームが山脈の雪山のクリスタルを表現しているのなら、そのクリスタルが山から流れ落ちてくるといった連動した表現なのかなと思っています。Jpeg

 

1987年から1988年に建設された9階建てのコンクリート造のラーメン構造と小さなパネル壁によるによる集合住宅。設計者は今の所分かっていませんが、対を成したゲート性を持った配置計画です。

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1988に建設されたコンクリートラーメン構造と大型パネルによる集合住宅。設計はK. モンタハエフ。

IMG_2354(K. MONTAKHAEV 1987)

 

以前、アルマティの現場打ちコンクリートの集合住宅で紹介した建物ですが、どうやら現場打ではなくコンクリートのラーメン構造とレンガ充填の壁で構成されているようです。

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コンクリートコアとラーメン構造による集合住宅建設は現場打ちコンクリートと比較して、人件費を含む建設コストや意匠上の造形性において劣ることから、1980年代に行われたソビエト時代最後の地区開発となったサマル地区においては初期の頃は先のラーメン構造の集合住宅が建設されましたが、サマル-2、サマル-3の建設においては現場打ちコンクリートによって建設されていくようになりました。

前回カザフスタンのアルマトイの構成主義建築を紹介しましたが、今回はキルギスのビシュケクに建てられた構成主義建築を紹介したいと思います。

アルマトイの構成主義建築

 

つい数年前までビシュケクには構成主義の建築は存在しないと思っていました。というのも「Architecture of the Soviet Kirghizia」や他のビシュケクの建築の本には構成主義の建築の写真が一切掲載されていませんでしたので(翻訳していないため文章では書かれているのかもしれません)、てっきり存在しないものだと思っていました。

3年ほど前にビシュケクのShutabという場所を訪れた際、そこのスタッフと話していて彼らがビシュケクのソビエト時代の建築に関するパンフレットみたいなものを作成しており、そこに掲載されていた建物を見て初めて構成主義の建築が存在していることに気付きました。

元々ビシュケクはソビエト時代フルンゼという名前でして、1926年にキルギス自治ソビエト社会主義共和国が誕生するのですがロシア革命時赤軍司令官であったミハイル・フルンゼから疎な名が来ています。

都市の開発が進み、当時主流であった構成主義の様式で建物の建設が進んでいきます。

 

アブドゥモムノバ通り(旧キロバ通り)にある学校No.3。1930年に建設されましたが設計者は分かっていません。1939年の写真がアーカイブとして残っていますが当時左側シリンダー状の部分の上部にラテン文字のキルギス語でスターリンの名のサインが取り付けられています。現在は警察署や郵便局が入っているようです。

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ネットの情報によると1930年代初期に構成主義の様式でいくつかの建物が建設されたようです。

映画館付きの防衛庁施設(1930)、印刷施設(1931年)は現在も残されていますが60年代以降に改修され石が貼られています。設計はY. ドゥボフ, A. フルタット。以前写真を撮ろうと思ったのですが巨大な広告のポスターが前面に貼られており結局撮らずのままでした。食品工場(1931)、赤軍施設(1932)、高等教育機関(1932)、郵便局(1934)、教育学研究所(1934)、などが構成主義の建築だったのですが印刷施設を除いて現在残っていないようです。

 

先のShutabという場所を訪れて知りました「チュストロイ」管理棟。設計はP. ガンチャロフで1932年に建設されています。先の学校No.3より少し南東側にあります。1948年から1991年まではキルギス自治共和国の「知識」協会(それ全土にある協会でその支店)として使用され、91年以降はNGOキルギス共和国の「知識」協会として使用されています。

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1930年代にトクトグラ通りに建設された建物で詳しい事は分からず設計者も今の所分かっていないようです。前回紹介したアルマトイの内務人民委員部のクラブとの共通点が見受けられます。3階曲面部分に屋根が架けられていますが当時の写真では何もなく両サイド部分も解放されたバルコニー空間となっています。柱や手摺などの意匠からすでにスターリン様式に移行しているのが分かります。

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ちなみに道を挟んでこの建物の反対側に内務人民委員部と中央委員会の住宅が建設されています。設計は S. サークャン, P.イバノフ, A. アルバンスキーで1939年から40年に建設されています。完全に古典様式ではありますが、コーナー部分の構成は先の建物を参照したと思われます。このようにコーナー部分にアーチを設けて連結させる手法はビシュケクにおいてこの建物が初めてではないかと思います。いわゆるソビエトモダニズム建築も含めてビシュケクの集合住宅の建築はコーナー部分の処理が非常にうまくデザインされています。Jpeg

 

この建物に関しても何も分かっていません。先の建物からエリキンデイック通りに沿って北側にあります。先の建物をより簡素化したようなデザインです。おそらく建設も先でしょう。この建物も先の建物も政治的な施設ではなかったかと思います。内務人民委員部と中央委員会の住宅がすぐ近くにありますし。

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1936年に建設された人民委員会の家または総督邸。設計はYu. ドゥボフ。10月革命の19周年を記念して建設されました。一番最初に紹介した学校No.3の反対側に建設されています。アラ-トゥー広場が出来るまではここが赤の広場でした。以前アメリカの大学が入っていたのですが現在は最高裁判所などが入居しているようです。

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最初見たときには構成主義だとは全く思わずにずっと素通りしていました。もちろん純粋な構成主義的なデザインでなく既に古典様式への移行が見て取れます。木で隠れてよく見えませんが1937年に入り口に古典様式のポーチがP.イバノフによって設けられ、1946年には他の建築家V. ベルウジュスキーによって建物中央部分の棟の上部に政府の紋章を飾った部分が増築されたようです。

 

チュイ大通り-エリキンデイック通りにある600席の「アラ-トゥ」映画館。1938年に建設されましたが設計はあのV. カルミコフ。以前「黒川紀章とロシア構成主義」でも紹介した建築家です。ウズベキスタンのタシケント出身のカルミコフは前衛的な建築家でしたが後期は映画館建築の専門家としてソ連各地に数多くの映画館を設計しています。カザフスタンのクズロルダやカラガンダにも映画館を設計しています。コーナー部分をシリンダーの形状で切り取った構成で角柱を貼り付けており年代的に既にスターリン様式に寄り添っていますが、構成主義のボリューム構成手法です。

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ファサード前面にモザイクが貼り付けられていますが元々はなく、1963年に地元の芸術家によってモザイクが貼り付けられました。このコーナーを凹ませて丸みを与える手法は後のビシュケクの建築に大きな影響を与えたのではないかと思っています。先の内務人民委員部と中央委員会の住宅もそうですし、80年代の集合住宅を見るとコーナー部分を丸めた建物が数多く存在します。

 

1939年に建設された医学研究所。設計はF. ステブリン。2棟の交差部分を曲面にした手法は先のカルミコフの映画館の影響が見て取れます。もちろん古典様式ではありますが両翼部分を見るとボリューム構成は構成主義の手法です。

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建物の反対側は窓は縦長く巨大で構成主義の手法が取り入られています。写真を撮りたかったのですが警備の人に何でだと言われ理由を説明するとこの入り口の右側をずっと行くとそこにもあるよと言われ行ってみたのですが無く、結局裏側は撮りませんでした。

 

最後に一枚。先の「チュストロイ」管理棟の2つ隣にある住宅です。前面は古典様式、裏側は構成主義の様式が残った住宅です。アルマトイの記事でも述べたようにこのような建物がいくつかあると思われます。この建物の場合建設当時実は陸屋根だったのかもしれません。

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アルマトイのギンズブルグが設計した旧行政庁舎などと比較するとビシュケクの場合規模的にも若干小さな構成主義建築ですが、先の詳細の分からない建築など折衷様式として素晴らしい建築も存在します。

 

 

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