以前、アルマティの現場打ちコンクリートの集合住宅を紹介しましたが、その際アルマトイのコンクリート造のラーメン構造や剛性コアとコンクリートパネルやレンガ壁の混合の集合住宅を紹介すると書きましたので、今回それらの建築を紹介したいと思います。
以前書いた記事アルマティの集合住宅Part5やアルマティの集合住宅Part6やそれ以前に紹介した集合住宅も出てきます。
先のブログでも述べたように耐震性が向上した大型パネルの集合住宅が1971年に建設されましたが、それ以前の1968年にアブライ・ハーン通り沿いに9階建てのコンクリート造のラーメン構造による集合住宅が初めて建設されます。設計はA. ナウミフ、V. ソコロフ。
ただしラーメン構造は1階部分のみで2層目以上から以前からI-464ACシリーズのプレキャストの大型パネルが使用されたようです。混構造ですね。日本ではあまり聞いたことがない組み合わせですが。
1層目はピロティ形式でオープンになっており、上層階にはバルコニーが取り付けられていました。写真だとピロティが全く分からないですが。以前反対側から写真を撮った記憶があるんですが見つかりません。

1968年から1970年に耐震性のより強いコンクリート造のラーメン構造の9階建てと12階建ての集合住宅が旧レーニン通り沿いの東側に建設されていきます。
これはレーニン生誕100周年を記念して、町の中心部のパンフィロフ公園からからアラタウ山脈の方に向かってレーニン通りを開発していく都市開発における建設政策でした。この旧レーニン通り沿いに以前紹介しました共和国宮殿(旧レーニン宮殿)や映画館アルマン、ホテルカザフスタンが建設されていきます。
これらの集合住宅が通り沿いにNo.1からNo.5まで建設されていきます。設計はN. リピンスキーをはじめとするKazgorproekt。SZKUシリーズ(プレハブ式式鉄筋コンクリートラーメン構造)と呼ばれるシステムのプレハブシステムの要素をより新たに拡張したシステムを用いて設計されました。
写真はNo.2

No.3
現在は新たにプラスティックの窓が取り付けられていますが、元来はバルコニーのみでソ連圏では集合住宅に初めて地域の気候性を考慮した集合住宅と言われています。市松模様のように配された手摺のパネルと垂れ壁のパネルで構成された当時のファサードの構成は非常にグラフィカルな様相で軽やかな印象を与えます。
1階部分はお店や公共サービス用の施設が装備されています。ラーメン構造の適用によりこのような機能を盛り込むことが出来るようになりました。
1972年に建設された12階建ての集合住宅。平面形式が先の集合住宅と異なっています。設計者は分かりませんがおそらくKazagorproektだと思います。

No.3とNo.4の間に通りから離れたオープンスペースを備えた12階建ての通称「3人の騎士」と呼ばれる集合住宅。1970年に建設されています。1階に「イスクラ」という映画館を備えています。設計は先のNo.1からの設計に携わっていたA. ペトロフ、A. ペトロバとその他の建築家。

アルマトイの集合住宅の中でも一際強い印象を与える建築です。3棟を繋ぐブリッジ部分も以前はバルコニーでしたが現在壁が作られ部屋となっています。以前中に入ったことががありますね。連結部分はおそらく鉄骨で構造が切れてエキスパンションメタルのようなものでカバーされているのと思うのですが実際のところどうなのでしょうか。
ちなみに以前紹介した昨年出版されたアルマトイのソビエトモダニズムの建築の本にこの集合住宅が紹介されているのですが、その記事にて丹下健三の香川県庁舎が紹介されています。確かに似ているといえば似ています(直接似ているとは書いていませんが、バルコニーとそれを支えて突き出る梁が丹下が設計した香川県庁舎のオマージュとなっていると書かれている)。香川県庁舎は3×3のスパンで中心がコアとなっていますがこちらは3×4スパンでコアは無し。ただし建物の中心を横切るように、また建物両サイドに壁があり、これらが現場打ちのコンクリートなのかコンクリートパネルなのかは分かりませんがもしかしたら耐震壁としての役割を果たしているのかもしれません)。
個人的には丹下の香川県庁舎と共に1階部分の連続した基壇の上に独立した3棟という構成は、ヴェスニン兄弟やギンズブルグのモスクワの重工業省コンペ案(1934年)に通ずるものがあります。磯崎新の上海征大ヒマラヤ芸術センター(2010年)やレム・コールハ-ス(OMA)のデ・ロッテルダム(2013年)もこの構成方法に近いと言えると思います。
もちろんアルマトイは斜面地ですので1階部分の基壇を作ってから上層部分を作る方が合理的ではあると思います。
1977年ころに建設された12階建ての集合住宅。設計者は分かっていませんが先の3棟の集合住宅とのいくつかの共通点からおそらくKazagorproektによる設計でしょう。2棟は若干ずれた配置となっておりバルコニーも湾曲させたより印象深いデザインとなっています。ただしこちらはブリッジによっては連結されていません。バルコニーも西側のみでボリュームにバルコニーをまとわりつかせた構成です。

1974年頃からコンクリート造のラーメン構造による集合住宅が市内に次々と建設されていきます。いくつか紹介していきます。
ゴーゴル通りに1974年頃に建設された6階建ての集合住宅。設計はA. コルジェンポ。1階部分がサービス機能となっています。北側に向いているファサードにはバルコニーが設置されておらず、階段室部分にカザフパターンの飾りが取り付けられています。壁はコンクリートパネルではなくレンガでフレーム内を充填しています。

上記の建物の反対にある1975年にAlmatygiprogorのYu. トゥマニャンによって設計された9階建ての集合住宅。こちらも同様に壁はレンガ。

1975年頃に建設された6階建てのコンクリートのラーメン構造とレンガ壁による集合住宅。設計はA. コルジェンポ。1階に「Ocean」と呼ばれるショップが入っていました。

1976年に初めて5.24m×5.24mのコンクリ-トのコア・ラーメン構造システムと軽量のコンクリートパネルによる12階建ての48戸の集合住宅が1976年に建設されます。設計はAlmatygiprogorのK. モンタハエフ。
ファサードの中心部は階段室でその向こう側建物の平面の中心に2つのエレベーターのコアがあります。階段室は外部空間となっています。東西両サイドにバルコニーを配していますが、階段室部分が西側です。

1980年にニュースクウェア(旧ブレジネフ広場)に建設された16階建ての82戸の2棟の集合住宅。1978年に承認された新たな都市計画に基づいて建設されました。コンクリートコアとラーメン構造、そして現場打ちコンクリートで建設されています。設計はM. パブロフ、Yu. トゥマニャン、R. ハルフィン、L. ビリノバ A. カパノフ、R. セイダリン、K. モンタハエフ。先に出てきた建築家らが携わっています。
共産党中央委員会の行政棟から北に向かって強い軸線を構成し2棟の対称性によってゲート性を表現し古典的かつシンボリックな構成となっています。余談ですが私のパブリックアート作品がその前の広場の右側部分に設置されています。


1980年に建設された1階部分に「開拓者の店」が設置された5階建ての48戸の集合住宅。設計はA. コルジェンポとO. ツァイ。
VT-25 (3.6 x 5.4 m) のコンクリートフレームシステムによる構造で壁は充填レンガです。両サイドにはアーチ状のファサードが雁行する平面形式で、中心部分の道路側のファサードのバルコニーには円筒形を適用しています。
これまでの集合住宅様式とは異なる歴史主義を適用したポストモダン的な建築です。アルマトイにおいて初めてシリンダー状のバルコニーが挿入されたケースです。

1984年頃に建設された1階に「子供の世界」のお店が入った5階建ての64戸の集合住宅。VP-25 (3.6 x 5.4 m) のコンクリートフレームシステムによる構造で壁は充填レンガです。VT-25とVP-25 の違いが今の所全く分かりません。
「Архитектура Советского Казахстана(Architecture of the Soviet Kazakhstan)」の本には設計は先と同様にA. コルジェンポとO. ツァイと記載されているのですが、1998年に出版された他の本にはK. モンタハエフと書かれています。どちらが正しいのか分かりません。
西側にはどちらかというとバルコニーを設置せずルーバーによって日差しを避ける手法をとっています。東側にバルコニーを設置させています。

1982年に建設された3角形の平面の剛性コンクリートコアと軽量コンクリートラーメン構造の12階建ての110戸の集合住宅。壁は大型コンクリートパネルで、3方向に建物が展開された通称「三つ葉」の建物です。設計はA. コルジェンポ、N. シャラバノフ、A. ラチコ、A. タジエフ。アルマトイにおける初めての「三つ葉」の平面形式で構成された建物です。


1984年に建設された補強されたコンクリートコアによる現場打ちコンクリートによる9階建ての280戸の集合住宅。設計はP. ブロニツキー。このコアの開発により更なる種類の集合住宅の設計が可能になったようです。詳しいことはよく分からないのですが、コアとラーメン構造の部位の剛性結合によって全体の質量と地震の影響を軽減し建設コストの削減につながったようです。

1984年に中心地のアルバットに建設されたコンクリートコアとラーメン構造、大型パネルの壁による18階建ての集合住宅。
モスクワの設計機関によって設計されたことは知人により以前から知っていたのですが(Mosgorproekとも聞いていた)今まで詳細がよく分からなかったのです。設計はモスクワの建築家、R. サラカニャンの指導のもとモスクワの設計機関MNIITEP(モスクワ類型・実験的デザイン研究所の略)でAlmatygiprogorが実際の設計に関わっています。
いわゆるシリーズI-521Aのタイプなのですが建設コストが非常に高かったためソ連全土で約10件ほどしか建設されなかったようです。知人曰くウズベキスタンのタシケントにも同じタイプが建設されたと以前言っていました。当時の大統領クなエフが父親にプレゼントするために建設されたと言われ当時のエリートたちがここに住んでいたようです。給水システムがうまくいかず上階まで水がうまく届かなかったという話も聞いています。
非常にユニークな点はツインタワーであること、そして45度に角度が振れられ並列されたものよりも緊張感が生み出されたいう点です。個人的にはこの双方向に交互に積み重ねられたボックスを見ると黒川紀章が設計した中銀カプセルタワー(1970)を想起するんですよね。影響はあったんでしょうか。

昨年くらいでしょうか、確かオーストラリアの組織事務所がこの建物のようなデザインの集合住宅を計画していました。インスタなどネットで写真が出回っているので参照したのでしょう。SOMも大学キャンパス計画でソビエトの建築を明らかに参照したと思われるようなデザインをしていましたし、今後もソビエト建築を参照したものが増えていくでしょう。
1986-1987にSamal-1地区に建設された8階建てのコンクリート造のラーメン構造とレンガ壁による集合住宅。設計は以前インタビューもしましたA. オルダバエフ。壁には中央アジア特有の貝殻の混じった堆積岩が使用されています。壁の一部にコンクリートパネルが使用されています。
独特な配置計画ですが、ドスティック通り沿いに山側の南側から北側に向かって流れ落ちていくような構成です。この先にA. コルジェンポが設計した映画館アルマンがあるのですが、そのホワイトボリュームが山脈の雪山のクリスタルを表現しているのなら、そのクリスタルが山から流れ落ちてくるといった連動した表現なのかなと思っています。
1987年から1988年に建設された9階建てのコンクリート造のラーメン構造と小さなパネル壁によるによる集合住宅。設計者は今の所分かっていませんが、対を成したゲート性を持った配置計画です。

1988に建設されたコンクリートラーメン構造と大型パネルによる集合住宅。設計はK. モンタハエフ。

以前、アルマティの現場打ちコンクリートの集合住宅で紹介した建物ですが、どうやら現場打ではなくコンクリートのラーメン構造とレンガ充填の壁で構成されているようです。

コンクリートコアとラーメン構造による集合住宅建設は現場打ちコンクリートと比較して、人件費を含む建設コストや意匠上の造形性において劣ることから、1980年代に行われたソビエト時代最後の地区開発となったサマル地区においては初期の頃は先のラーメン構造の集合住宅が建設されましたが、サマル-2、サマル-3の建設においては現場打ちコンクリートによって建設されていくようになりました。